方法論研究会(山口祐弘)

「ドイツ観念論の課題と方法―近代哲学の超克に向けて―」

2014年4月19日(土)、東洋大学白山キャンパス文学部会議室において、国際哲学研究センター第2ユニット主催の第3回「方法論」研究会が行なわれ、当センター客員研究員の山口祐弘氏による「ドイツ観念論の課題と方法―近代哲学の超克に向けて―」の講演がなされた。

山口氏の講演は、ヘーゲル哲学を軸に、ドイツ観念論の系譜を辿りつつ、それぞれの哲学者における「反省」という問題について論じるものであった。例えば、フィヒテがカントの理論理性と実践理性の分裂を、事行(自我作用)において統合しようと試みたのに対し、シェリングは、そうしたフィヒテの事行こそが主観と客観の対立を生むのだとして、それらをまた統合するために、同一性哲学を構想した。しかしまた、フィヒテはシェリングに対し、主客の統合点たる絶対的無差別が如何にして差別を生じるのかという点を再批判している。こうした対立の中で、ヘーゲルは、彼らの論理的方法である反省が、単に分離、対立を固定することに過ぎないとし、新たに反省の意味を拡充して、この対立を克服しようとする。その新たな意味での反省とは、「AはAである」、「非Aは非Aである」という同一性に留まるのではなく、対立し合うものを統合するべく、Aが非Aとなり、非AからAに還帰するといった、動的な反省である。つまり、ヘーゲルの言う意味での反省とは、こうした対立するものの円環的運動の遂行に他ならない。山口氏は、対立するものの円環運動という思惟の働きとしての反省が、まさにヘーゲル哲学の方法的中心概念であり、近代哲学を超克する方法として考えられると、論じたのである。ドイツ観念論の発展とは、ヘーゲルより見れば、対立的、相対的かつ有限なものの止揚において、絶対的かつ無限なものを把握するという、反省の円環的運動であったのだと、考えることができるだろう。

山口氏の発表後の質疑応答では、センターの研究員のみならず、外部からの参加者も非常に多かったため、専門分野を同じくする研究者からだけではなく、異なる分野の研究者、あるいは一般の方々などからの質問が多数なされた。その際、方法論としてのヘーゲル哲学における反省理論を多角的な視点で検討するなど、内容豊かな議論が活発になされた。