「ポスト福島の哲学」講演会(西谷修)

「ポスト福島の哲学」第2回研究会(西谷修)

9月24日、東洋大学白山キャンパス第3会議室にて、第2ユニットの「ポスト福島の哲学」研究会が開催され、西谷修氏(立教大学特任教授)による講演会「技術とカタストロフィ」が行われた。

まず、西谷氏は、3.11以前と以後とでは、大きく状況が変わったと述べ、3年を経て凡庸化されてしまった「フクシマ」の問題についていくつかの提起を行った。 

 現代の技術を特徴付けるのは、西谷氏の言葉によれば「技術・産業・経済システム」と呼ばれる、技術の独立性とはかけ離れた政治の要請に応じたかたちでの展開である。哲学において技術が主題となるのは第二次大戦以後のことであるが、近代の西洋を支えてきた科学合理主義に対する信頼は、二度の世界大戦を通じて大きく揺らぐことになり、技術は、それに巻き込まれるかたちで語られるようになった。その中でも重要な議論を行ったハイデガーによれば、近代の産物としての技術は、自然を客観化して人間の役に立つものと理解されるようになる。しかし、ハイデガーが展開した技術論は、結局のところ、人間が技術の「存在の声を聞く」に過ぎないものとして、現代フランス思想の中でカタストロフの問題として論じられている。特に原発の技術のカタストロフとは、事故とその収束の間にある悲劇である。西谷氏は、スティグレールやデュピュイなどの議論を紹介しながら、そうした悲劇的な事故をもたらす技術と向かい合わずに、人は生きていくことが許されるのかと、提起した。西谷氏は、人間は一人で生きているのではなく、他者の存在があって初めて生きて死ぬことができるという本質的な関係の中に希望を見出すことができると述べ、この関係は、「技術・産業・経済システム」を解体することではじめて生じるであろうと、講演を締めくくった。  

西谷氏の講演後の質疑応答では、センターの研究員のみならず、外部からの参加者による質問が数多くなされ、内容豊かな議論が活発になされた。