第3ユニット 第1回研究会報告(2011年)

ドイツにおける自然療法と近代医学―自然治癒説と人工治癒説をめぐって

長島隆研究員による第3ユニット第1回研究会が2011年7月22日(金)に開催され、「ドイツにおける自然療法と近代医学―自然治癒説と人工治癒説をめぐって」と題した報告がなされた。ドイツ観念論における自然哲学・社会哲学を研究テーマとする氏は、自然哲学研究には単なる理論史ではなく社会・文化史の理解も必要であるという問題意識から、自然療法・民間療法に着目してきた。今回の発表は、ドイツにおける自然療法の歴史をたどり、その原理に光を当て、近代医学の担い手としてのドイツ医師会と自然療法家の関係を考察したものであった。要旨は以下の通り。

こんにち世界に広がっている自然療法・民間療法は、歴史的に長く、ヒッポクラテスやパラケルススが先行者としてあげられるけれども、ドイツにおいては、直接的には19世紀の近代医学に根をもっていることが特徴的である。たとえば、近代医学の祖といわれるフーフェラント(Christoph Wilhelm Hufeland, 1762-1836)は自然医療を創始し、ハーネマン(Samuel Hahnemann, 1755-1843)は一種のワクチン療法であるホメオパシー(同種療法)を創始した。

その自然治癒説の理論的基礎は、「生命力」の概念にある。18世紀の「生気論と機械論」の対立において、「生命力」概念は提起され、しかも、物質の運動とは異なった「原理」とされていた。だが、フーフェラントは、生命力は内的に状態変化と結びつき固有の物質を形成するとし、構成要素の有機的結合を主張する。この生命力は18世紀の「生気論」の尾を引いているといえる。他方、ライル(Christian Reil, 1759-1813)にとっての生命力は、それとは異なっている。ライルは、むしろ生命力の理解は「化学」の発展に依存することを指摘している。したがって、ライルは18世紀「生気論」とは異なり、現段階では「生命力」についてこれ以上指摘できないことを指摘し、生命活動の「科学的理解」に基づいて明らかになると考えている。いずれの立場も、当時の自然科学的発見に基づいた主張であること、物質の結合と運動から「生命力」が主張されている点で注意される。

ところで、自然療法が大きく浮かび上がるのは1900年前後である。この自然療法は、19世紀後半に広がっていたヌーディスト運動や温泉療法などの自然治癒運動(Naturheil-bewegung)、そこから登場する生活改善運動(Lebensreform)を背景としており、今日まで影響力を持っている。その際、自然療法は多岐に渉り、魔術のようなものまで登場したため、自然療法の有効性に対する危機感が生じ、自然療法家の中で独自に専門教育を行うこともなされた。他方、近代医学の側にも、自然療法の隆盛を前にして、近代医学の基礎が崩壊するという危機感があり、しかも、近代医学は「実験医学」として展開されながら、「実験医学」の挫折(19世紀後半以来の「実験」による犠牲者の問題-1930年の「リューベック事件」はその典型事例)から、「医学の危機」が認識されるようになった。近代医学派と自然療法派の対立の根底には、「自然治癒説」と「人工治癒説」の争いがある。また、自然療法によって誰でも治療できるとなると、医師の経済的自立の問題も出ることとなった。

さて、ドイツにおける自然療法は「自然治癒説」に基づく。その自然の治癒力には、弱いバージョンである「穏やかな自然治癒力」と、強いバージョンである「超自然的力」とがある。後者は魔術やまじないも含むが、前者は近代医学が包摂可能である。このような状況であるから、今日の動向として、ドイツ連邦医師会(Bundessärztekammer)と自然療法家の団体は基本的に協力協同の関係にあることが指摘される。実際、ドイツでは鍼灸や整体は認められており、ドイツの近代医学の側の医師会も、自然療法家と協力する形になっている。自然療法家も、1939年のHeilpraktikergesetzが第2次世界大戦後も生き延び、しかも自然療法はドイツでは大学教育の中で専門教育を受けることになっており、その資格制度のもとで「療法師(Heilpraktiker)」として活動しており、独自の規則を作って自然療法家の水準を確保しようとしている。