正しい格差とは何か

2015.1.26

<正しい所得格差とは何か>

(ねこ)

「21世紀の資本」で有名な、ピケティという先生が「資本主義は格差が拡大する」という仮説を打ち出したところ、世界的な大反響を巻き起こしているのにゃ。以前から多くの人が「資本主義は格差社会だ」と思っていたけど、マスコミなどに登場する偉い学者先生が「いやいや資本主義でも格差は拡大せず豊かな社会を実現するのだ」「トリクルダウンだ」と言うから半信半疑でもみんな黙っていたのにゃ。そこにきて、しっかりした研究データで裏付けられた「資本主義は格差が拡大する」という仮説が出たものだから、そりゃあ「やっぱりそうだったのか」とみんな納得したのにゃ。

ところが、「資本主義は格差が拡大する」という仮説が出たら、マスコミから「経済成長のインセンティブには格差が必要」という話がでてきたにゃ。その一方で、格差は必要といっても「どんな格差が正しい格差なのか」という話はあまり聞かないにゃ。単に「格差が必要」という主張だけなら、なんでもかんでも格差が良いという話になるにゃ。そんなのへんなのにゃ。

(じいちゃん)

ほっほっほ、まったくその通りじゃのう。格差がインセンティブになるというのは、仮にそうだとしても、ワシは不健全な事だと考えておる。じゃから基本的には格差をインセンティブにする考えには反対じゃ。しかし不健全とはいえ、インセンティブがまったくないわけではない。それは認める。だからと言って、格差がなんでもOKだとは思わん。仮に格差をインセンティブにするにせよ、正しいやり方と、間違ったやり方があると思う。それについて考えてみよう。

ところで、格差と言っても、所得格差と資産格差がある。まずは所得格差について考えてみようと思う。ところでネコは、人々が労働して所得を得られるのはなぜじゃと思う?

(ねこ)

う~ん、労働して付加価値を生み出しているからなのにゃ。生み出した付加価値とか労働の成果に基づいて会社から給料が支払われるのにゃ。もちろん、会社が黒字で健全な経営がされていないと、給料は出せないにゃ。

(じいちゃん)

左様じゃな。多くの人は、所得はその人が生み出した付加価値や成果に応じて支払われると考えておる。労働対価とか成果主義とかは、そういう立場から成り立っておる。

もし本当にそうであるなら、より多くの付加価値を生み出し、より多くの成果を社会にもたらした人が、その程度に応じてより多くの所得を得るとしても、それを誰も不公平とは思わんじゃろ。その結果として社会全体が豊かになり、すべての人の生活が以前より豊かになるのであれば、より社会に貢献した人がより高い報酬を得るのは、むしろ健全かも知れん。その意味において、所得の格差がインセンティブになるのであれば、それを正面から否定する人などおらんじゃろう。

しかし実態はそうではない。だから格差は問題なんじゃ。

<ポケットにカネを流し込む仕組みをつくった者が勝つ社会>

(じいちゃん)

より多くの付加価値を生みだした者がより多くの報酬を得るのではない。むしろ「ポケットにカネを流し込む仕組み」が所得を決めておるのじゃ。例を挙げてみよう。

たとえばウォールストリートのような金融街はどうじゃろうか。サブプライムローン・バブルの崩壊で一時は暴落した株式など証券価格は、中央銀行がどんどんおカネを供給することで値上がりを続けておる。そのおかげで、株を定期的に売り買いするだけで、中央銀行が発行した通貨を「自分の利益」に化けさせることが可能じゃ。さて、これは如何なる付加価値を作っておるのじゃろうか。株式だけではない、原油、鉄鉱石、大豆、コーヒー豆などあらゆる資源がもはや金融取引の対象にされておる。先物市場はリスクヘッジの効果があるというが、それはあくまで大義名分であり、むしろ「投機マネーによって利ザヤを抜く」ことが目的と化しておる。

では、投機ファンドに膨大なカネを投じている投資家、あるいは金融街のトレーダー、そして会社役員の所得は付加価値に応じた報酬なのじゃろうか?

一方、たとえばノーベル賞を受賞した人はどうじゃろうか。彼らは人類の幸福と発展にすばらしい貢献をした。付加価値にすると、天文学的な金額じゃろう。しかし、その研究や発明をした人よりも、それを利用して世界に商品を売り込み、巨万の富を築いた企業がたくさんあるはずじゃ。また、それらの企業に投資を行う事で、これまた巨万の配当を得た資産家も多いはずじゃ。そうなると結局のところ、資産家に膨大な利益をもたらしてくれた科学者に、すこしばかりの分け前を与えてやるという、金持ちの趣味が「ノーベル賞」なのではないかと思えてくる。

少々、ブラックが効きすぎたかの。

(ねこ)

あぶないにゃあ。変な事ばかり言ってると、そのうち毒殺されかねないのにゃ。

(じいちゃん)

ほっほっほ、そうじゃな。ワシもまだ死にたくはないから、ほどほどにせんとな。さて、ワシの言いたいことは単純じゃ。現代社会の所得が「生み出した付加価値や労働の成果に基づいて決まる」というのは普通の賃金労働者には当てはまるかも知れんが、富裕層においては建前に過ぎず、実際には「ポケットにカネを流し込む仕組み」によって所得が決まっておるのじゃ。それをもって「格差は経済成長のインセンティブとして必要」などと言われても何の説得力も無い。

その人の生み出した付加価値や労働の成果に基づいて所得が決まる、そのようなシステムが社会の中心にあってこそ、所得格差は本当の意味でインセンティブとして機能するのじゃ。

もちろん、付加価値や労働の成果に基づいて所得を正しく決めるためのシステムを確立するのは難しい。じゃから世の中に若干の不公平が生じるのは、やむを得ない事じゃ。じゃが、何もしないまま不公平な格差放置していては、格差がインセンティブとなるどころか、社会の不満を増長し、犯罪を誘発するなど、経済成長にマイナスの悪影響を及ぼすことになるじゃろう。そして格差が拡大すれば中間所得層が消失し、内需が低迷して経済成長も減速するのじゃ。

<資産格差はインセンティブになるか?>

(ねこ)

ところで資産格差は経済成長のインセンティブになるのかにゃ?

(じいちゃん)

資産格差が経済成長のインセンティブになるかといえば、それほど期待できないと思う。なぜかというと、資産家の資産とは「過去において築き上げたもの」だからじゃ。

たとえば、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのような人物は、資産家だから画期的な製品を生み出し、世界を変えたわけではない。そのようなインセンティブは資産から生まれるのではない。画期的な製品を生み出したから資産家になれたのであって、資産家だから画期的な製品を生み出せたわけではない。

つまり、現にいま、多くの付加価値を生み出す起業家は、所得は大きいが資産は少ない。一方、莫大な資産を持つ富裕層は、今は付加価値をほとんど生み出しているとは思えない。つまり、どちらが経済成長に貢献しているか?と問われれば、「起業家」じゃろう。もちろん、統計的に証明したわけでは無く、日々の観察からその様な仮説を思いついたわけじゃが。

もしそうであれば、財源が足りないとして「増税」するのであれば、現にいま付加価値を生み出している起業家に対してはむしろ減税し、資産家の保有する資産に課税する方が経済成長にとって有利ではないかと思うのじゃ。現にいま付加価値を生み出している起業家は「所得(フロー)は大きいが資産(ストック)は少ない」。じゃから、税制として所得への課税を軽減し、資産への課税を強化する。同じ課税するのであれば、この方が経済成長のインセンティブを高くできると思うのじゃ。

もちろん反論はあるじゃろう。「資産家の投資が経済成長を支える」というに違いない。しかし、今や投資は成長の鈍化した先進国の市場ではなく、途上国に向けられており、投資によって先進国の人々の受ける恩恵は、高度成長期のそれよりはるかに少ないじゃろう。しかも、多くのカネが実体経済ではなく「投機」に向けられておる。統計上は経済成長するとしても、それは単に資産ころがしでカネが回っただけであり、財の生産における成長においては、投資家の投資は以前ほど人々に貢献していないじゃろう。

そして、投資家が投資しなくとも、銀行や証券会社、あるいはファンドによる投資、企業による投資、クラウドファウンディングなど投資を行う主体はいくらでもある。

また、仮に投資家の資産に課税したところで、投資家が投資を減らすことはあり得ない。投資家は投資によって資産を増やさなければ資産が縮小するばかりとなる。だからむしろ資産に課税したほうが、利益を求めてより活発に投資を行うようになることも考えられる。

繰り返すが、ワシは「経済成長には格差が必要」という考えには賛同しない。それは、仮にそうだとしても不健全じゃ。経済成長にはもっと健全なインセンティブが必要じゃ。それは教育によって培われる人間性によって実現できると信じておる。

じゃが、それでも「格差のインセンティブ」を認めたいというなら、その格差とはどうあるべきなのか?

それを考えもしないで盲目的に格差を認める姿勢には断固として反対するのじゃ。