国債を正しく理解させる論法

 「国債」と聞くと、多くの人が条件反射的に拒絶反応を示すのはなぜでしょうか。国会議員も含め、大多数の国民が考えている「おカネのしくみ」が、実際の銀行制度によって作り出される「おカネのしくみ」とは、似ても似つかないものである、ということが根本的な原因であると思われます。つまり、大多数の国民は、自分の信じてきた常識をひっくり返されることになるので、拒絶感が強い。国会議員も同じレベルです。


一般国民の認識

「おカネは日銀が発行して、それが世の中を回っている」

現実の社会

「おカネは企業や個人が市中銀行から借金することで発生し、それが世の中を回っている」


 つまり、ほとんどの国民には「おカネは借金である」という認識がない。これでは、話がかみ合うわけがない。そこを資料によって指摘した方が、理解が早いかもしれない。例えば、トークとして、以下。

 そもそも、経済活動が活発になるほど、世の中にはたくさんのおカネが必要になります。ところが、現代の金融システムにおいては、世の中のおカネは、すべて銀行からの借金によって作りだされるので、おカネを増やそうとすればするほど、必ず銀行からの借金を増やさなければなりません。そうしなければ、世の中のおカネは増えません。もし借金をすべて返してしまったら、世の中からおかねが消えてなくなってしまいます。


 そのため、経済規模が大きくなればなるほど、必然的に、企業や個人の借金がどんどん増えることになります。それは、企業や個人の負担を増やすことでもあります。ですから、金利を引き上げれば、企業や個人の経営や生活が苦しくなるのは当然です。しかし、もし、代わりに政府が借金すれば、企業や個人の借金は減ることになり、企業や個人は楽になります。もちろん、代わりに政府の借金は増えることになります。


 結局のところ、現代の金融システムにおいては、経済を維持するために、誰かが必ず銀行から借金を負わなければなりません。つまり「誰が借金を負うべきか?」が問題なのです。とすれば、企業や個人に過度な借金を強いるのではなく、政府が借金を負うべきです。とはいえ、一般家庭の常識から言えば、借金は自分たちの負担を増やすことになることから、同じように、政府が借金すると国民の負担がふえるのではないかと心配になります。


 ところが、そんな心配はまったくありません。政府は家庭や企業とは違います。日銀からおカネを借りることができるからです。政府が市中の民間銀行から借金すれば、それは確かに国民の負担になります。しかし、日銀から借金すれば、まったく国民の負担になりません。なぜ国民の負担にならないのか?政府も日銀も「国家の機関」であることから、国家(統合政府とは言わない)として見た場合、政府が日銀から借金をしたとしても、国家としての借金は一円も増えません(日本国が日本国以外の誰かから借金をしているわけではない)。これは実質的、国家として、おカネを発行したことになります。国家がおカネを発行することは、あたりまえのことです。


 具体的には、政府が国債を発行してこれを日銀が買い取る場合、日銀は信用創造という仕組みによって、おカネ(日銀当座預金)を、政府の日銀当座預金口座に発生させます。代わりに、政府の国債を買い入れて、日銀の資産に組み込みます。これにより政府は日銀に対して借金することになるわけです。ですから、政府は日銀に金利を支払わねばなりません。政府の支払った金利は日銀の利益になります。一方、日銀の利益は国庫(政府)に収めなければなりませんので、政府が日銀に支払った金利は、ほとんどそのまま政府に戻ってくることになります。また、元本についても、満期になった国債については、借り換えすることで、永久に返済する必要はありません。このように、国債の日銀引き受けは、国家としておカネを発行する行為であって、国家の借金は一円も増えません。


 ですから、政府の発行する国債を日銀が直接的に買い入れても、政府の借金が増えて国民の負担が増加する、ということはありません。また、国債すべて日銀が買い入れてしまえば、国債の金利が長期金利に影響を与える心配もなくなります。ただし、国債を日銀が保有すれば、おカネが増えますので、インフレに注意しながら行う必要があります。インフレをコントロールするには、日銀の金利政策と政府の増税政策があります。