財政再建 国債を廃止し、政府通貨を発行せよ

<会計学に頭が凝り固まっている人は経済を理解できない>

(ねこ)

ネットで経済記事を見ていたら、ある記事で財政再建推進派の学者が、「増税によって国債を減らせば消費が減るのは当然で、それは将来の世代のために受け入れろ」のような事を書いていたのにゃ。本当にそうなのかにゃ?その部分を引用してみるにゃ。

「これまでは、後世に債務を付け回していた分だけ可処分所得が多かったことで消費が多かっただけで、増税により後世に債務を付け回さないようにした分だけ消費が減るのは、今を生きる世代が、世代間の責任を全うするコストともいえよう。」

(じいちゃん)

ほっほっほ、これは噴飯モノじゃ。怒りを禁じえない記事じゃな。おまけに突っ込みどころ満載じゃ。世間の人はこういう「常識っぽい話」に騙されることが多いのじゃが、これはミクロ経済とマクロ経済を、意図的に混同させた記事じゃ。確かにミクロ(一般家庭)ではそうじゃが、マクロ(国家経済全体)で言えば、まるで意味不明の主張じゃと思う。

最大の誤解は「後世に債務を付け回していた分だけ可処分所得が多かったことで消費が多かった」という部分じゃ。ご家庭の話ならその通り!ある家庭のご主人の給料が毎月30万円で、それに加えて10万円の借金をして、合計40万円を毎月消費していたとしよう。すると借金の返済をはじめたら、たとえば毎月5万円の返済をはじめたら、毎月の給料である30万円から5万円を返済に回すから、消費は25万円に減る。これは、小学生でもわかることじゃ。これはミクロ経済(一般家庭や企業)の話じゃ。

(ねこ)

確かに、そんなのネコでもわかるにゃ。でも、マクロ経済(国家経済)だとそうじゃないのかにゃ?

(じいちゃん)

左様じゃ。もちろん、マクロ的な視点で見ただけではダメじゃ。「カネでしか物事を見れない」頭、つまり会計学でしか経済を理解できない頭では真実は見えてこない。会計学だけで経済は語れない。経済の原理原則から、ゼロベースで経済を考える視点が必要なのじゃ。経済の原理原則はカネではない。モノじゃ。そもそも経済活動とは、古来から、人々がモノを生産し、それを分配(または市場における交換)することで成り立ってきた。この「生産と分配」こそが経済の本質なのじゃ。そしておカネは生産されたものを分配(交換)する目的のためにある。そこを原点に考える必要がある。

すると、突然、現代経済の違う姿が見えてくる。

たとえば先ほどの「後世に債務を付け回していた分だけ可処分所得が多かったことで消費が多かった・・・」という下りじゃが、これが奇妙に見えてくる。確かに購買可能なおカネの量という、カネの視点(会計学)からみればその通りじゃが、分配可能なモノの量という、モノの視点から見れば、まるで違う。購買可能なモノの生産力は、負債を増やしていた時期も、返済を始めてからも、何も変化することはないからじゃ。つまり分配可能なモノは返済を始めてからも十分に確保できる。モノが十分にあるにも関わらず、消費だけが減るとすれば、これは通貨が不足しているに過ぎない。

つまり、カネすなわち会計学から言えば、最大消費量は可処分所得によって決まるが、モノの視点から言えば、最大消費量は生産力によって決まる。そして、実体経済とはカネではなく、モノである。ゆえに、借金を減らしたからと言って、最大消費量が必ずしも減少するとは限らない。

(ねこ)

う~、わかりにくいにゃ。もっと簡単に言うにゃ。

(じいちゃん)

つまり、「消費が多かった」という事は、おカネの量がどうこういう以前に、そもそも、消費可能なモノをたくさん生産できる生産力が存在していた事を意味する。つまり、人々の豊かな生活を支えるのに十分な量のモノを作り出す力があるという事じゃ。その生産力こそが人々の消費を支えるのじゃ。もし、借金をしてたくさんのおカネを持っていたとしても、そもそも買えるだけのモノが不足しておれば、消費は出来ない。消費とは借金で成り立つのではなく、モノがあって成り立つのじゃ。

消費の量を根本的に決めるのは、おカネの量ではなく、モノの量、ひいては生産力なのじゃ。おカネは、市場においてモノの交換を媒介する道具に過ぎない。もし生産力が十分にあるにもかかわらず、人々に豊かさが行き渡らないのであれば、それはカネが足りないだけなのじゃ。

たとえば借金によって消費していた時代に生産能力が100あったとする。ある時点から借金の返済を始めたとしても、相変わらず生産能力は100である。モノの視点から経済を見れば、100の生産能力があるのだから、国民は100の財を受け取ることができるはずだ。借金をするとか、しないとかは本来は関係がないのじゃ。これは実体経済がカネの理論でゆがめられる典型的な例じゃな。

<なぜ借金を増やすと経済が活性化するのか>

(ねこ)

ふ~ん、わかったような、わからないような。でも、おカネよりモノが大切なのはわかるにゃ。おカネがいくらあってもモノが不足していれば消費はできないにゃ。借金して消費が増えるというのは、そもそも前提条件として、それだけ生産力が大きいという事にゃ。

(じいちゃん)

経済の原理原則に戻ってみよう。経済とは人々が生産したモノを分配(交換)して成り立っておる。ということは、人々がより多くのモノを生産できるようになれば、より多くのモノを分配(交換)できるようになる。つまり、モノをたくさんつくる力、すなわち生産力が大きければ人々に行き渡るモノも多くなり、消費は大きくなるはずじゃ。これが消費が大きいという本質的な意味じゃ。

ところが、おカネが不足すると、モノや生産力がたくさんあるにも関わらず、分配(交換)がスムーズにできなくなり、消費が減退する。「おカネがまわらなくなる」とはこの事じゃ。おカネは市場経済において生産されたモノ(財)を交換する役割を果たす。だから回るおカネの量が減るとモノの交換に支障をきたすのじゃ。これがデフレの正体じゃ。

じゃからこそ、デフレを防ぐために政府が国債を発行して借金でおカネを増やし、それを使うことによっておカネを回し、モノ(財)の交換を活発化することで消費を増やしてきたのじゃ。おカネを増やせば、もともと社会に備わっていた生産力が十分に発揮されて経済が活性化するのじゃ。「回るおカネの量」が経済に極めて大きな意味を持つ。回るおカネが不足しておるから、それを増やすために借金するのじゃよ。

(ねこ)

にゃるほどニャ~。回るおカネが増えれば、市場におけるモノの交換がスムーズになって、生産力のポテンシャル(潜在力)を十分に発揮することができるのにゃ。

(じいちゃん)

回るおカネの量が足りないということは、本来必要とされているおカネの量に比べて、現在のおカネの量が不足しておるという事じゃ。じゃから借金をしておカネを増やせば、経済が本来のポテンシャルを発揮できるようになる。では、おカネを増やす方法としては借金しかあり得ないのじゃろうか?

<借金でおカネを増やすな 国債を廃止し、通貨を発行せよ>

(ねこ)

ふにゃ~!そう言われてみればそうなのにゃ。おカネが足りないから借金する、そんな事をしているから財政破たんになるのにゃ。「おカネは印刷すればできる」。それは日銀がバンバンおカネを刷って証明したにゃ。国債なんかすぐにやめるにゃ。おカネを刷るのにゃ!

(じいちゃん)

ほっほっほ、ネコもついに気が付いたようじゃな。国債を発行するから政府が借金まみれになり、将来世代への付け回しとなるのじゃ。国債は廃止すべきじゃ。そもそも通貨発行権を持つ「国家」が借金まみれになるのは、異常事態と言わすして何と言えるじゃろうか。なぜこんな異常事態になるかというと、通貨発行権を日銀という「政府であって政府でない」変な機関に握られておるからじゃ。おまけに日銀は「日銀の独立性」を主張し、政府のいう事を聞かず、国民を無視して勝手な事をしてきた。安倍政権に焼きを入れられて少しはおとなしくなったが、ネコをかぶっておるだけじゃろう。

(ねこ)

日銀がネコをかぶるとは、ネコに対する冒涜にゃ。いっしょにしないで欲しいにゃ。

(じいちゃん)

まあまあ。そこで、いう事を聞かない日銀は役に立たんので、政府紙幣を発行するのじゃ。極めて当然の事じゃが、もともと政府には通貨の発行権はある。だから「硬貨」は政府が発行しておるのじゃ。硬貨は日銀ではなく政府が発行しておる。それを紙幣に拡大するというだけの話じゃ。当然じゃが、政府紙幣の1万円と日銀券の1万円は同じじゃ。

もちろん、政府紙幣を発行しなくとも、日銀が政府に協力的になり、国債を直接引き受けするようになれば、政府紙幣は必要ない。じゃが、今のところ日銀は「国債の直接引き受けはしない」と言っているので、であれば、政府紙幣もやむを得ないじゃろう。

そして国債を廃止し、通貨発行で財政を補填するようになれば、財政破綻の心配は全く無くなる。

国債を廃止し、財政破綻の原因を元から絶つべきじゃ。

<預金課税で通貨を回収 インフレを防ぐ>

(ねこ)

でも、おカネを刷ると「ハイパーインフレが~」と騒ぐ人が出るのにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃな、じゃが、国債を廃しして通貨を発行すれば財政破綻を防げるから良いのではないか?そもそも財政再建も景気回復もインフレ抑制も、同時にすべて達成できるほど「都合の良い」方法などありはせん。通貨発行は、インフレにはなるが、財政再建も景気回復も可能な政策じゃ。それを否定するとは、いったい何が望みなのじゃろう。日本の景気回復をさせたくないのじゃろうか?

「おカネを増やすとおカネが水増しになってインフレになる」という人がおるが、これは全く違う。おカネを増やすと、回るおカネも増える。すると企業の投資や家計の購買力が増え、モノが飛ぶように売れるようになり、景気が劇的に回復する。すると売り上げが増えすぎてモノが足りなくなるのでインフレが生じる。つまり結果的にインフレになる。じゃが、景気回復でインフレになって何か問題はあるのか?

(ねこ)

モノがばんばん売れるようになって困るのは、日本復活を望まない人くらいのものにゃ。

(じいちゃん)

とはいえ、無制限におカネを増やし続ければ、インフレが止まらなくなるのは当然じゃ。そこで、インフレ目標を明確にして、その範囲内で通貨を発行し、財政を行うわけじゃ。

そして、同時に「預金課税」を新設する。これは必ず必要じゃ。おカネを増やせば、一時的におカネが市場に回るが、やがて誰かの資産として貯め込まれてしまう。例えば、バブル崩壊後に公共事業のために大量に国債が発行されたが、それで生まれた膨大なおカネはどこへ行ったのか?大企業や一部の資産家の資産になったわけじゃ。じゃからこそ、個人の金融資産が1600兆円もあり、大企業の内部留保が300兆円もあるのじゃ。それは国家のバランスシートを見れば明白じゃ。

じゃから、政府通貨を継続的に供給すると、それらのカネは資産家や企業の貯蓄としてどんどん膨らみ続け、インフレを引き起こす潜在的なリスクとなる。しかも、余剰なおカネは使われず死蔵されるだけでなく、逆に投機に使われてバブルを引き起こし、実体経済を破壊するリスクがある。回るおカネは大切じゃが、死蔵されるカネはリスクに過ぎん。じゃから、政府通貨発行で増え続ける「死蔵されているカネ」を預金課税として回収して財源に活用する。そうすれば政府通貨の新規発行額を減らすことができる。

政府通貨発行に関しては、インフレ目標を達成したあとは、新規に発行できる通貨の量は減らさざるを得ない。従って通貨発行以外に財政のための財源が必要となるが、これが預金課税と消費税じゃ。そして、この二つの税をうまく使い分ける事で物価のコントロールも同時に可能だと考えておる。たとえば、通貨が貯め込まれて動かなくなるデフレ期には預金課税を増税して消費税を減税する。逆に消費過熱によるインフレの際には消費税を増税して預金課税を減税する。このように景気の状態に応じて、通貨発行と消費税や預金課税を使い分けるのじゃ。これで過剰な通貨供給を押さえ、インフレをコントロールする。

<国債を廃止し、通貨を発行して、将来への貯蓄とせよ>

(じいちゃん)

国債とは確かに後世へのつけ回しである。じゃから国債を発行するのはやめるべきじゃ。そもそも国債を発行する必要などない。おカネが足りないのであれば、借金で充当するのではなく、おカネを印刷すれば良いのじゃ。国債とは、債務によって現在の生産力のポテンシャルを引き出す行為である。昔はそれでも経済は成り立っていた。しかし今日、それは持続可能ではなく、やがて破綻することが明らかとなった。じゃから国債は廃止すべきじゃ。

国債は後世へのつけ回しである。しかし通貨発行は後世への貯蓄となる。なぜなら、通貨発行によって経済のポテンシャル(潜在力)を引き出せるからじゃ。貨幣経済において経済のポテンシャルを引き出す手段はおカネである。おカネさえあれば、経済は活性化できる。しかしそのおカネを借金で調達すれば、後世へのつけ回しとなる。しかし政府紙幣で調達すれば、それは返済の必要が無い。

返済する必要のないおカネで経済を活性化することが、将来の世代への貯蓄となる。

もちろん、貯蓄と言っても「実体経済に寄生するおカネという存在」ではない。

「力強い生産力」という、実体のある、つまり真の意味での財産である。

国債を廃止し、政府紙幣を発行しよう。

2015.6.1 修正