財源とは何か(税制など)

2016.6.01

<総論>

(じいちゃん)

経済対策や社会福祉のために政治家や識者が何か政策を計画しても、日本の財政がひっ迫しているという理由で、すぐに「財源ガー」という批判を浴びる。結局のところ財源・財源と言って何も政策が打てないのでは、世の中、良くなるものも良くならないと思うのじゃ。財源の問題を解決しないと何も始まらない。こうなると「そもそも財源とは何か」という疑問が沸々と湧き上がってくるんじゃ。

そこで政府が財源を使ってやっていることを観察してみよう。政府は国民や企業などの民間部門から税を集めておる。これが一般には財源と呼ばれる。この財源を使って政府が支出を行う。これは政府が財(物やサービス)を消費している行為と考えられるが、財を消費するからには財を生産しなければならない。つまり社会における生産力の一部を動かして政府のために財を生産していることを意味する。以上より、財源とは社会の生産力の一部を利用する行為、財源とは生産力の一部を占有することであることがわかるのじゃ。

そして政府が生産力の一部を占有すると、国民が利用できる生産力が減ることになる。国民も生産力を利用して財を得ているから、利用できる生産力が減れば得られる財の量が減る。これが国民の税負担の本質的な意味じゃ。しかし、もし生産力が余っているのであれば、余っている生産力を政府が利用したとしても、国民の負担は増加しないはずじゃ。デフレ経済では生産力が余っているため、この余っている生産力を政府が利用しても国民の負担は増加しないはずじゃが、実際には、こうした余っている生産力を利用するにも税金が必要となる。余っている生産力を活用するにも税という国民負担を強いるのはナンセンスじゃ。

では、なぜデフレの際に生産力が余るのか?それは貯蓄によって通貨が退蔵され、生産力の利用に投じられるおカネの量が足りなくなるからじゃ。いくら生産力が有り余るほどあっても、おカネが無ければ現代の経済システムでは何も生産することはできない。いくら貧しい人が居ても、余っている生産システムを動かすことはできない。しかし、その原因は過剰な貯蓄によっておカネが貯め込まれて動かなくなることにある。ということは、どこに課税すれば良いかは説明するまでも無く明らかじゃ。

財源を確保するとは、社会の生産力の一部を利用する権利を確保することである。その目的のために今の政府は税を用いるが、税を用いなくとも結果が同じであれば別の手法でも良いはず。つまり公的に社会の生産力を利用する手段が税である必然性はない。どんな方法論でも、システムとして機能すればそれで良い。逆にシステムとして機能しなければどんな税制であってもダメじゃ。このように財源の本質を考えるなら、財源をもっと広く考えることができるのじゃよ。

ただし、同じ財政支出でも政府が消費するのではなく、所得の再分配を目的とする場合もある。それが社会保証じゃ。所得の再分配の部分について言えば、再分配の財源は所得税のような所得に課すのが原則じゃろう。年金などはそもそも社会保障じゃから、所得の再分配に該当する。ゆえに高額所得者の所得に課税して低所得者に分配する、所得税でなければならん。じゃから「社会保障の財源は消費税」など非常識もはなはだしい。こんな非常識なことを主張する財務省は日本しかないんじゃよ。世界の常識で言えば社会保障の財源は所得税があたりまえなんじゃ。

(ねこ)

にゃるほど、財源の本質は生産力なんだにゃ。おカネは手段として利用されるけど、財源の本質はおカネではないのにゃ。ただし貨幣経済では生産と消費はおカネを媒介するため、生産力を利用するにはおカネを準備する必要があるのであるけど、その手段は税に限る必然性はないのにゃ。そして、所得の再分配の財源はあくまでも所得税であるべきなんだにゃ。社会保障=消費税はまさに財務省の主張する邪説なんだにゃ。

(じいちゃん)

そして、もし「安定財源ガー」と財務省が主張するなら、消費税以外の方法で、消費税よりはるかに安定した財源を確保する方法も複数ある。原則論からも、安定性からも、社会保障の財源が消費税である必然性はゼロじゃ。社会保障の財源が消費税という邪説をまず何より先に排除しなければならん。

<各論>

①税収による財源

(じいちゃん)

自民党の税制調査会や、新聞マスコミが税制改革といえば「直間比率」の話ばかりじゃ。これは直接税と間接税のどちらのウエイトを高めるか、という話じゃ。彼らに言わせれば何か本質的な改革だというが、実際には茶番に過ぎんと考えておる。なぜなら、どちらも世の中を回る循環通貨に課税する方式、フロー課税という点でまったく同じだからじゃ。もし本質的な税制改革を目指すなら「直接税か間接税か」の議論ではなく、「フロー課税かストック課税か」という本質論を議論すべきじゃ。税制について考えてみよう。

A)フロー課税

(じいちゃん)

フロー課税とは世の中を回るおカネに課税する方式の税制のことじゃ。所得税や法人税のほか、消費税もこれにあたる。世の中のおカネは生産者(企業)と消費者(労働者)の間をぐるぐる回っておる。おカネが途中に寄り道することはあるが、最終的に生産者と消費者の間を循環する。この循環の過程に課税をするのがフロー課税なんじゃ。所得税は、生産者から消費者に流れるおカネに、法人税は生産者から消費者(株主)に流れるおカネに、消費税は消費者から生産者におカネが流れる時に上乗せされる。

フロー(循環するおカネの量)とGDPは比例関係にある。GDPが増加すればフローが増加するため、税率が同じでも税収は増えることになる。逆にGDPが減少すれば税率が同じでも税収は減る。現代の税制ではフローへの課税がほとんどなので、税収を増やすためにはGDPの増加、つまり経済成長が必須となるんじゃ。この場合のGDPは名目上のGDPじゃ。名目上のGDPはインフレになるだけでも増加する。なぜなら、売れる商品の量が同じでもインフレで商品単価が上昇すれば、売上総額は増加するからじゃ。じゃからインフレになるほど税収は増えて財政は改善する。つまり高度成長期のようなインフレ経済のときは、経済状況は「経済成長+インフレ」じゃから、フロー中心の税制は機能的なんじゃ。ところが低成長の時代になるとデフレ経済となるため経済状況は「成長しない+デフレ」じゃから、フロー中心の税制は機能しなくなる。つまり税収が不足する。

フロー課税にはもっと厄介な問題がある。それは「税収の最も必要な時に、税収が最も低下する」という問題じゃ。どういうことか。バブル崩壊などで景気が悪化すると政府には積極的な対策、財政出動が求められるようになる。それらの政策には財源が必要じゃ。ところが景気が悪くなると税収が落ち込み、財源が減る。フォロー課税じゃと、財源の最も必要な時に財源が最も少なくなるんじゃ。じゃから、景気対策の財源を考えるなら景気に左右されずに確保できる税収が良いことになる。景気に左右されないと言えば、財務省は消費税を言い出すかも知れんが、消費税は消費を減少させて景気を悪化させるから景気対策の財源としては不適格じゃ。そこでストックへの課税が注目される。

B)ストック課税

(じいちゃん)

ストックとは世の中に存在するおカネのことじゃ。おカネだけではなく株式や証券、不動産、会社設備などもストックじゃが、ここでは金融資産、主に貯蓄を指すことにするのじゃ。ストック課税とは貯蓄(現金預金)や株式・証券などの金融資産に課税することじゃ。金融資産は家計が約1700兆円、企業が約1000兆円保有しておる。しかも多くが使われないまま貯め込まれており、このような過剰な貯蓄と、反対に少なすぎる消費や投資がデフレの原因じゃ。そこで、たとえば家計と企業の金融資産に課税すれば、わずか1%で27兆円の税収となる。これは消費税の10%に該当する。仮に課税対象額が半分だとしても消費税5%に該当する。

ストックとGDPは必ずしも比例関係にはない。一般に考えればストック(世の中のおカネの量)が増えれば、世の中を回るおカネの量(フロー)も増加するはずじゃが、低成長の時代になった現代は、ストックばかりが増えて、フローが増えない現象が生じている。しかも大企業と特定の富裕層のストックが著しく増えている。そのため、失われた20年に苦しめられた日本において、庶民の所得(フロー)は減り続ける一方で、富裕層と大企業の金融資産(ストック)は増え続けておるのじゃ。

さて、ストックはデフレ不況でも拡大を続けるわけじゃから、もしストックに課税すれば不景気であっても大きな税収を得ることができる。つまり景気の変動に税収が左右される心配は皆無なのじゃ。消費税は景気が悪化すれば消費が減るから税収も減るし、消費税を増税すれば消費も冷え込んでしまう。また、ストックに課税すれば税収の額がデカい。同じ税率なら消費税の10倍の税収がある。しかも税の支払額は富裕層ほど大きいので、最近問題になっている社会の資産格差を縮小できる。資本主義では資産がおカネ(利子)を生み出す仕組み(カネがカネを生む仕組み)じゃから、資産格差を放置すればさらなる資産格差を生む。

そんなわけで、安定した恒久財源を確保するのであれば、消費税より金融資産課税の方が遥かに安定しており、税収も遥かに大きいんじゃ。

(ねこ)

預金に課税すると、タンス預金が増えるんじゃないかな。そしたら税金が取れないにゃ。タンス預金が増えて銀行の保有するおカネが減って、銀行の貸すおカネが不足するんじゃないかにゃ。

(じいちゃん)

当然ながら金融資産課税は現金にも課税されるから、タンス預金であっても自己申告で納税する義務がある。申告を偽れば脱税じゃな。預金に課税すると言っても1%程度なら、相当な預金を持っていない限りタンス預金のメリットは少ない。100万円のタンス預金ならわずか1万円しか脱税できない。しかもタンス預金にすると運用ができないから、資産家にとっては意味がない。タンス預金で1%節約するより、運用で3%儲けた方が良いから、投資におカネが回るようになるかも知れん。そうすれば投資が増えて景気も良くなるから、フローの税収が増加する。それならストックで税収が得られなくても問題ない。

なお、景気が回復すると預金金利も上昇するから、金融資産課税が1%であれば、もし預金金利が1%を超えればタンス預金するより銀行預金のままの方が得をする。

また、日銀の金融緩和によって200兆円を超える現金が新たに銀行に積まれておる。じゃから50兆円や100兆円がタンス預金として銀行から持ち出されても、銀行は貸すカネに困らない。すでにご説明したように、銀行は現金を貸しているわけではない。あくまでも銀行が信用通貨を作り出して貸しているだけじゃ。じゃから万一の場合でも、日銀が金利ゼロで銀行に現金を貸せば、それを50~100倍の預金に膨らませて貸し出すことが出来る。だからタンス預金が増えても貸すカネにはまったく困らない。

ちなみに、現金(紙幣・硬貨)を廃止して、おカネをすべてカード、電子マネーにすれば、タンス預金をしたくてもできなくなる。現代はますます現金を使わないようになってきたから、時代の流れからすれば、そう遠くない将来にそうなるような気もする。

(ねこ)

でも、政治家や識者が、資産課税は現実には難しいと言ってたにゃ。それに、国籍を変えて逃げる富裕層がいるから、脱税されちゃうんじゃないかにゃ。

(じいちゃん)

政治家や識者の話などまともに信用しても騙されるだけじゃよ。資産の全てを把握するのは難しいが、金融資産に限れば管理されておるから把握は容易じゃ。とくにマイナンバー制によって、銀行口座、株式や証券などの把握はより確実になる。海外の銀行に隠し口座を持つ場合もあるので、外国の政府との協力関係は必要になるかも知れない。それらの口座に関するデータは膨大じゃが、こうしたビックデータの解析は人工知能が自動的に行う。銀行の預金口座の動きはすべてデータじゃから、怪しい動きがあれば人工知能で引っ掛け、調査すればタンス預金などの脱税もバレると思う。

国籍を変えて海外へ移住する場合は、資産に一括して相続税と同じ(最高50%)税を課す。つまり日本人ではなくなるので、その時点で死亡したのと同じ事じゃ。つまり相続税を払わずに国籍を変えるのは相続税を脱税するのと同じじゃから、あらかじめ払っていただく。あとはフリーじゃよ。

(ねこ)

ずっと金融資産に課税を続けると、金融資産がへって、無くなるんじゃないかにゃ。

(じいちゃん)

発行されたおカネは基本的に消える事はないのじゃ。じゃから政府が誰かの預金に課税して、それを財源として支出すれば、そのおカネは再び別の誰かの預金になる。おカネの所有者が入れ替わるだけなんじゃ。つまり、金融資産に課税しても世の中のおカネの総量は変化しない。おカネを誰が所有していようが、世の中のおカネの総量が同じで税率が同じなら、何年経過しても計算上は常に同じ金額の税収を得られる。

また、政府がおカネを発行して世の中のおカネの総量を増やすと、税率が同じでも税収は増えるはずじゃ。つまり、増税しなくとも、世の中のおカネを増やすと税収も増える性質がある。

ただし、現代の通貨制度では、世の中のおカネはすべて借金を元に作られているため、借金を返済するとおカネが消える、つまり世の中のおカネの総額が減少する可能性がある。これを信用収縮という。信用収縮によって世の中のおカネの量が減少すれば、金融資産の総額が減って税収が減る可能性はある。その場合は世の中の借金を増やせばよい。たとえば国債を発行すれば信用収縮は防げるので税収も増える。

ただし、どんな税制であっても、税は常に脱税との戦いじゃ。そんなことに苦労するより、税によらない財源を併用する考えも一つの解決法だと思うのじゃ。それが通貨発行を財源とする考えじゃ。

②国債による財源

(じいちゃん)

別の財源としては国債の発行がある。とはいっても、国債は政府の借金じゃから返済しなければならない。国債を返済するためのおカネを税収で調達する必要があるため、これは単に税収の前借であると考えることができる。どっちにしても税金として徴収されるのだから、国債には意味がないような気もする。そのため「国債を発行して財政出動してもそのあとに増税がされるのだから、人々は増税を意識して支出を抑えるため、財政出動しても景気は回復しない」と主張する識者もいるが、そんな単純な話ではない。

経済が成長段階にあるとき、一時的な景気対策の財源として国債を発行するなら効果はある。以前にも説明したが、成長段階の経済は需要が旺盛であるため、一時的な不況に陥ったとしても、国債発行で世の中のおカネを増やし、おカネを回してやれば需要が回復して景気が良くなる。そして、景気が良くなると自然に税収が増えるため、増税をしなくとも国債の返済は可能じゃ。これなら国債発行による財政出動に十分な意味がある。

しかし、人々の需要が満たされ、経済が成長しない段階になると、国債発行で世の中のおカネを増やして投入しても需要は増えず、それらのおカネは富裕層と大企業の資産として貯め込まれるだけじゃ。そのため景気は回復せず、税収も減少したままじゃ。するとやがて国債を返済する目的で大増税がやってくる。それが現在の日本じゃ。日本は1990年のバブル崩壊後に景気対策を求められ、その財源を穴埋めするために膨大な国債の発行を余儀なくされた。しかし膨大な国債発行で支出したおカネは砂漠に水を撒くように砂に飲み込まれ、富裕層と大企業の膨大な金融資産に化けただけじゃった。こうした点からも、課税するなら富裕層と大企業の金融資産に課税すべきなのじゃ。

ところで、国債発行で生まれたおカネが富裕層と大企業の金融資産、つまり預金に化けているということは、事実上、「国債発行によっておカネが作り出されている」ことを意味する。つまり国債発行と通貨発行はほとんど同じ意味なんじゃ。まあ、世の中のおカネはすべて借金からできているわけじゃから、当たり前と言えば当たり前じゃが。国債発行と通貨発行の何が違うのかと言えば、

国債による通貨発行・・消滅するおカネを作る(10年国債なら10年後に消滅する)

普通の通貨発行・・・・消滅しないおカネを作る

これが違いじゃ。10年国債で発行されたおカネは、10年後に返済しなければならんが、返済した時点でおカネは消滅する。なぜなら、このおカネは現金ではなく貸し付けという信用から生まれた「信用通貨」だからじゃ。国債で世の中に供給されたおカネは必ず消滅させなければならない。つまり返済しなければならない。そのため、家計や企業が貯蓄を増やせば増やすほど、政府が借金地獄になってしまうのじゃよ。ならば、国債ではなく、普通に通貨を発行して世の中におカネを供給すれば良いのではないか、そう考えても不思議はない。しかし識者や新聞マスコミはこうした考え方を「財税ファイナンスだ」として禁じ手であるかのごとく批判している。しかし批判の内容は、通貨供給のしくみを本質的に理解していないことから生じているような気がするのじゃよ。まして彼らには財源の本質など眼中にもないじゃろう。

③通貨発行による財源

(じいちゃん)

国債ではなく通貨を発行してこれを財源とすれば、国債によって財政が圧迫されることもない。もちろん、すべての税をやめて通貨の発行で財源を賄うのは難しい。なぜならおカネが過剰に増えすぎる恐れがあるからじゃ。じゃから「適度な範囲で」通貨発行を財源として利用する。何が適度かといえば、それはインフレの度合いじゃ。

政府が通貨を発行して財政支出することを「財政ファイナンス」と呼ぶらしい。ところで通貨を発行して財政支出すると過度のインフレになると考える人がおるが、実際には国債を発行して財政支出しても同じだけインフレになる。なぜなら、どちらの場合も市場でおカネが使われるため、需要と供給の関係から同程度のインフレとなる。それどころか、政府ではなく民間企業が銀行からおカネを借金して投資しても、市場でおカネが使われるために同程度のインフレになる。つまり、財政ファイナンスだけがインフレを招くという認識は間違いじゃ。どんな手段でも支出が増えればインフレになる。

ただし財政ファイナンスは金融緩和政策と同じ効果がある。現金を発行すれば銀行の保有する現金の量(マネタリーベースという)が増加する。これによって金利が下がり、個人や企業がどんどんおカネを借りるようになれば、世の中のおカネの量が増加してインフレとなる。そのため、金融緩和政策ではインフレターゲット(インフレ目標値)を定めてインフレを一定範囲にコントロールするわけじゃ。じゃから、同じようにインフレターゲットの範囲内で政府が通貨を発行して財政支出を行えば、金融緩和と同じ効果が得られる。

日銀がインフレを抑える方法は、金融政策における金利の引き上げじゃ。政府がインフレを抑える方法は消費税などの増税じゃ。どちらの場合も世の中からおカネを回収して減らす機能を有しているので、どちらの方法でも、物価を調整するためにはまったく同じように有効じゃ。

なお、一般論として財政支出を増やすと金利が上昇し、円高を招く。一方、一般論として通貨を発行すると金利が低下して円安傾向となる。じゃから政府が通貨を発行して財政支出を行えば、両方の影響が相殺されて金利上昇や円高の心配はない。デフレ不況の際には財政ファイナンスは優れた手法となるんじゃ。

(ねこ)

面白いにゃ、具体的にはどうやって通貨を発行するのかにゃ。

(じいちゃん)

政府の通貨発行には以下のような方法がある。

A)日銀の国債引き受け

B)政府コイン

C)政府紙幣

A)日銀の国債引き受け

政府が新規に国債を発行し、それを日銀が買い取る方法じゃ。これは現在行われている日銀の量的緩和とは違う。量的緩和の場合は過去に政府が発行して銀行が買い取った国債を、日銀が銀行から買い取る方法じゃ。同じように思うかも知れんが、難しく言えば、量的緩和で買い取る国債は、その国債が過去に発行された時点で預金通貨がすでに発行されておる。じゃから、量的緩和の場合、日銀が国債を買い取った時点では世の中のおカネ(マネーストック)は一円も増えない。一方、日銀の引受けの場合は日銀が国債を買った時点でおカネが発生する。このあたりの話は難しいので省略するが、後日、徹底的にやさしく説明したいと思う。

そんなわけじゃから、通貨発行で直接におカネを増やすには、量的緩和ではダメで、日銀の直接引き受けが必須なんじゃよ。

ところで、国債は債券じゃから基本的には借金と同じなので、償還(返済)が必要じゃ。償還の時点でおカネは消えることになる。民間銀行が保有する国債と同じように、日銀の保有する国債も償還されるのは当然じゃな。その場合のおカネ流れとしては、例えば10兆円の国債なら政府が税金として世の中から10兆円のおカネを集めて、日銀に10兆円を支払う(単純化のために利息は無視)。その10兆円が国債10兆円と相殺されて消える。こうしておカネは無に戻る。じゃから国債を日銀が買おうと、民間銀行が買おうと、基本的には国民が最終的に税負担することになる。

しかし、もし日銀が満期になった国債の借り換えに応じたらどうか。しかもずっと借り換えに応じたらどうか。借り換えを続ける限り、返済をする必要はない。もちろん民間銀行は営利目的じゃからずっと借り換えなど出来ない相談じゃ。しかし日銀は政府つまり国民の銀行じゃ。じゃから国民の主権によってコントロールされる。もし国民が日銀に命じれば、日銀は国債をずっと借り換えする。そもそも政府機関である日銀は他の行政機関と同じように非営利で、運営費は税金で賄われるべきものじゃ。じゃから日銀は国債の利息で儲けを出す必要はない。じゃから国債を無利息でずっと保有し続けても何ら問題ない。

こうして、日銀が国債を保有し続ければ、国債の発行によって発生したおカネは消えずに世の中に残り続けることになる。また、こうしたおカネは資産家や大企業によって吸い上げられ、彼らの貯蓄としてどんどん貯め込まれている。もし国債をすべて返済する必要があれば、こうした資産家や大企業の貯め込んだ貯蓄を取り崩さねば返済は不可能じゃ。しかし国債を返済する必要が無ければ、資産家や大企業の貯め込んだ貯蓄を無理に取り崩す必要はない。

ただし、次のような問題がある。

国債の発行によって世の中のおカネは増えるが、最終的にその多くは資産家や大企業の貯蓄になる。資産家や大企業は投資も消費もしないため、おカネが貯めこまれたまま動かなくなり(死蔵)、世の中をまわるおカネの量はじょじょに減少する。するとデフレになる。デフレを解消するために日銀が国債引き受けによっておカネを発行して世の中に投入し、貯め込まれて動かなくなった分のおカネを補充する。これが繰り返される。資産家や大企業の貯蓄の増加は止まる事を知らない。彼らはカネをいくらでも無限に欲しがる。結果として、日銀の保有する国債の量と、資産家と大企業が保有する貯蓄が無限に増殖する。

さすがにそれはまずいじゃろ。それでワシとしては、先に述べたような「金融資産課税」を通貨発行政策と同時に導入すべきだと考えておるのじゃ。資産家と大企業の貯蓄が無限に膨張するのを抑えるためじゃ。金融資産課税を導入して「過剰な貯蓄」から税を徴収すれば、それが財政支出の財源となるので、新規に発行しなければならないおカネの量を減らすことができるわけじゃ。

なお、通貨発行で財政支出を行うと金融緩和と同じようにマネタリーベースが増加して世の中の貸し出しが増加する可能性もある。すると景気過熱でインフレ傾向になる。景気過熱の際には通貨を回収する必要があるので、増税が必要じゃ。こうした点からも金融資産課税は必要じゃが、インフレはストック(貯蓄)ではなくフロー(世の中を回るおカネ)によって引き起こされるので、インフレに対しては消費税や所得税のようなフロー課税を強化する必要もあるじゃろう。

増税によって回収した過剰な通貨は、日銀の保有する国債を償還することで消滅させる。

B)政府コイン

先ほどの例は政府が国債を発行してこれを日銀が買い取る方法じゃが、政府コインは政府の通貨発行権を使ってコイン(貨幣)を発行し、これを日銀に預金するという方法じゃ。現在でも政府が貨幣(500円、100円など)を発行して日銀に預け入れておるので、同じことをするだけじゃ。ただし金額がでかい。たとえば政府がプラチナで10兆円のコインを1枚作り、これを日銀に預金したとしよう。政府が日銀に預金すると、日銀にある政府の当座預金口座に10兆円の預金が発生する。日銀内の預金とは現金を意味する。この現金を財源として財政支出を行うのじゃ。

この方法はアメリカのオバマ大統領が検討したことのある方法じゃ。米国では国債の発行残高の上限が法律によって決められているため、議会の承認が無ければ国債の発行ができなくなる。議会が国債発行残高の引き上げに応じない姿勢を見せたため、オバマ大統領が怒って、それなら1兆ドルコインを発行して財源にすると言ったんじゃ。実際には議会が折れたので、この構想は実現しなかったが、制度的に可能ということじゃよ。

先ほどの方法との違いは何か。日銀の国債引き受けの場合は、日銀が資産として国債を保有して、代わりに負債として現金を発行する。つまりゼロからプラス(資産)とマイナス(負債)が発生しているんじゃ。国債は償還する必要があるので、もし償還すれば現金は消滅する(プラスとマイナスでゼロに戻る)。一方で政府コインの場合は、資産として貨幣=政府コインを保有して負債として現金を発行する。政府コインは償還されないので、発行された現金も消滅しない。ただし、政府が日銀から政府コインを引き上げれば現金は消える。

日銀と政府の間での取引の違いはあっても、日銀から先のレベルに降りると、日銀の国債引き受けと政府コインはまったく同じ働きをする。

じゃから、政府コインを発行した場合においても、マネタリーベースが増加して世の中の貸し出しを増加することでインフレ傾向になる。インフレを抑制するにはこの場合も増税でおカネを回収する。

C)政府紙幣

これはアメリカのリンカーン大統領が行った方法じゃ。リンカーンは南北戦争の際の戦費調達にあたって、銀行から膨大な借金をすることを避けるため、通貨発行によって戦費を調達したんじゃ。まさに財政ファイナンスじゃよ。いわばリンカーンが奴隷を解放できたのは財政ファイナンスのおかげじゃ。リンカーンは財政ファイナンスの元祖じゃ。もしリンカーンが莫大な戦費を銀行から借りていたら、たとえ戦争に勝ったとしても巨額の財政赤字でアメリカ政府が破綻していたかもしれんなw。ただし、通貨発行で戦費を調達したもんじゃからインフレになった。借金とインフレのどっちが良いかのう。もしリンカーンが通貨発行せず、銀行から膨大な借金もしなかったとしたら、戦争に負けていたから、今のようなアメリカはない。これは現代の日本でも同じじゃ。借金もインフレもどっちも嫌なら沈むしかない。

ただしこの方法は日銀の国債引き受け、政府コインとはかなり違う方法じゃ。前の二つの方法はあくまでも「日本銀行券」だけを紙幣として流通させる方法じゃ。しかし政府紙幣は紙幣そのものを政府が発行してしまう。リンカーンの場合もそうじゃった。それは裏面が緑色で印刷されておったので「グリーンバック」などと呼ばれた。日本でやるとすれば、日本銀行券の他に政府紙幣という新たなお札が流通することになる。銀行券も政府紙幣もどちらも現金じゃ。

ただし、この方法は紙幣の種類が増えるので煩雑ではある。自販機なども改変が必要となるのでコストが必要となってしまう。おまけに政府紙幣を発行したリンカーンは暗殺され、発行しようと計画したケネディも暗殺されておるので、政府紙幣を発行するのは危険極まりない。何か闇の部分がありそうじゃ。政府紙幣を発行しなくとも日銀の引受けや政府コインで同じ効果が得られる。

なお、インフレを抑制する場合は増税で政府紙幣を回収し、裁断機で破砕して燃やすことになるじゃろ。

<インフレ税という考え方>

さて、税収ではなく通貨発行を財源とする場合、その財源の意味することは何じゃろうか。通貨発行を財源としたところで、財(物やサービス)を消費する以上、その意味は生産力を利用することにあるはずじゃ。

デフレギャップ(余剰生産力)がある場合は、通貨発行を財源としても財政支出してもインフレにならない。この時に発行された通貨は「使われずに毎年失われている生産能力」(デフレギャップのこと)を有効に活用して、財を生み出す役割を担う。デフレギャップは、もともと貯蓄過剰によって世の中を回るおカネが足りなくなり生じている現象なので、この場合の通貨調達は税収である必要はない。もしどうしても税収にこだわるなら、デフレの原因である「過剰な貯蓄」に課税して通貨を調達するのがシステムとして正しい。

デフレギャップがある場合、たとえば生産力が100の場合、民間需要が80しかないと20の生産力がデフレギャップとして無駄になる。そこで20の通貨を発行して政府が財政支出すると民間80+政府20=生産力100となり、生産力は最大に生かせるし、失業もなくなる。

一方、デフレギャップが無い場合に通貨発行を財源とするとインフレになってしまう。なぜなら、財政支出と民間需要が生産力を奪い合うことになるからじゃ。この場合は通貨発行ではなく、税収によって生産力を財政支出に振り替える必要がある。たとえば生産力が100の場合、民間需要が100で政府が20の財政支出をすると、民間100+政府20=120>生産力100となり、物価は1.2倍になる。じゃから税金によって民間需要を80に減らす。すると、民間80+政府20=生産力100となり、物価は上昇しない。

このように、税とは生産力の分配であると考えると分かりやすい。

ところで、人々が税金を払うと手持ちのおカネが減るので、人々が購入できる財の量は減る。一方、インフレになれば人々が手にするおカネは減らないが、物価が上昇するために人々が購入できる財の量は減る。ということは、デフレギャップが無い場合に、増税によって財源を確保し所得を減らしても、通貨発行によって財源を確保しインフレになっても、国民の負担の点では同じ意味じゃ。そこで、通貨発行を財源とすることを「インフレ税」と呼ぶ場合がある。

両者は似ているが大きく違う点がある。所得税は所得(フロー)を減らすが、インフレ税は貯蓄(ストック)を減らす性質があるのじゃ。インフレ税の場合は通貨を減価させることになるため、何億円も通貨を貯め込んでいる富裕層や大企業ほど事実上の税率は高くなる。だからインフレ税(通貨発行)は資産格差を是正する働きがあると考えられるのじゃ。

ただし、当然じゃが富裕層や大企業から見れば、インフレ税などトンでもないという話になる。だからインフレデイには極めて激しい抵抗勢力が存在する。まさにカネをめぐる熾烈な争いがそこにある。カネは恐ろしいものじゃ。

まあ、そういう血なまぐさい話はやめよう。

こういった情報は、どの新聞マスコミも書いておらん話じゃ。

つまり、この話もタブーなんじゃろうな。危ない、危ない。