なぜ日本経済は「依存症」になったのか?
日本の経済が「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる産業」に依存するようになった理由は大きく、二つ考えられます。
① 生産性の向上
100年くらい前の時代を考えてみましょう。その当時は生産性が今日と比べて非常に低い時代でした。生活必需品である食料について考えてみると、当時は機械も農薬もなかったため、農業は非常に手間のかかかる仕事でした。そのため、農業生産つまり第一次産業に多くの人々が従事していました。ところが、技術革新によって農業に機械や農薬などが導入され、農業の生産性がどんどん向上してくると、人手がいらなくなり、人手が余ってきます。そうした人々は職を失い、失業者が溢れてきます。そうした人々は、今度は例えば生活必需品である衣類の生産、あるいは住宅の建設といった第二次産業にかかわってきます。そうすることで、人々の生活必需品である食料、衣類、住宅の供給が増えて、生産性の向上とともに、人々の生活も豊かになってきました。
しかし、科学技術の進歩はとどまることがありません。生活必需品のほとんどが潤沢に生産できるようになっても、それ以後もますます多くの機械が発明され、それらが生産の現場に導入されることで、人手が余り、失業者がどんどん増えてきます。失業者は生活に困窮しますし、そうした状況を放置すれば社会に不幸が蔓延して、不安定になります。つまり、何らかの産業を作り出して雇用を増やし、失業者を減らす必要性が出てきたわけです。すでに生活必需品の供給は十分にあるのですから、当然ながら、それ以後に生産される財(モノやサービス)は「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる」ものになるわけです。その多くは第三次産業になります。従いまして、科学技術が進歩している国ほど、つまり先進国ほど、第三次産業の割合が高くなります。
このように、科学技術が進歩して生産性が向上すればするほど生産に人手がいらなくなり、失業者が増大します。そうした失業者に仕事を与えるために、「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる産業」の経済活動全体に占める割合が、どんどん増加していくことになります。ということは、この先の未来の社会においては、ますます「有っても無くても良い産業」が増加すると予想され、経済活動や人々の生活がますます不安定化すると予想できます。
② グローバリズムと産業の空洞化
日本ではバブル崩壊以後、グローバル化の進展とともに、多くの企業が生産工場を海外へ移転するようになりました。これらの企業は製造業であり、第二次産業に該当します。つまり「生活必需品の生産部門」が海外へ出て行ったわけです。また、リーマンショック以後も、日本の円高を嫌って、ますます多くの企業が日本国内での生産ではなく、海外での生産、海外からの調達に切り替えるようになりました。そのため、日本国内で製造業、第二次産業に従事していた人々の職場が失われ、失業が増大しました。それらの失業者を吸収したのが第三次産業、すなわち「あれば便利だけれど、無くてもなんとかなる産業」だったのです。
ところで、日本企業の工場の多くは中国に移転しました。つまり日本の人々の生活に必要なモノを日本で生産するのではなく、中国で生産するようになったわけです。中国で生産されたモノを買うためには、中国におカネを支払わねばなりません。つまり、中国で生産されたモノを買うためには、中国からおカネを得る必要が生じてきました。そこで、中国から観光客を連れてきて、日本で観光サービスを提供(生産)し、中国人からおカネをもらうことになりました。そして、中国人観光客から受け取ったおカネで、中国で生産されたモノを買うわけです。このように、経済のグローバル化に伴い、生活必需品の生産拠点を日本から中国へ移転してしまったために、日本は中国からの観光客に依存せざるを得なくなったのです。これがインバウンド依存です。
これら二つの要因は、少し考えれば誰でも気が付く程度の話なのですが、マスコミを始め、多くの学者、政治家、官僚は「臭いものに蓋をする」のが大好きで、こうした話を空気のようにスルーしつつ、「日本は生産性の向上に取り組むべき」「日本は観光立国を目指す」と、盛んに主張しているようですが、上記を見れば、トンチンカンも甚だしいとわかるでしょう。問題の原因を正しく理解できなければ、問題を解決することはできません。
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