完全雇用とワークシェアリングの役割

2015.1.15

<めっきり聞かれなくなった「ワークシェアリング」>

(ねこ)

そういえば「ワークシェアリング」という言葉が昔あったけど、最近はほとんど聞かなくなったのにゃ。ところで、ワークシェアリングって何なのかにゃ?

(じいちゃん)

ワークシェアリングか。そうじゃな、もともとあまり聞かなかったが、最近は、とんと聞いたことが無いのう。ところでワークシェアリングとは、仕事をみんなで分け合う事じゃ。たとえば2人の労働者がやっていた仕事を3人で分け合って仕事をするようなことじゃ。2人がそれぞれ12時間ずつ働いていたとすると、のべ労働時間は12時間×2人=24時間じゃ。ワークシェアリングする場合は、労働者を一人増やして彼に仕事を分け与え、3人の労働者で8時間ずつ働くようにする。その場合も、のべ労働時間は8時間×3人=24時間じゃ。つまり仕事の量は同じじゃが、働く人は3人に増える。

(ねこ)

へ~、なんでそんな事するにゃ。

(じいちゃん

例えば上の例で言えば、2人の労働者がそれぞれ12時間働いているということは、2人とも4時間残業しているということじゃ。もし3人になると、3人がそれぞれ8時間労働すれば良いから、残業する必要がなくなる。労働時間の短縮、労働環境の改善になるわけじゃ。また、労働者を雇用する人数が2人だったところを3人に増やすわけじゃから、雇用を増やし、失業率を改善する。格差是正にも寄与するじゃろう。

(ねこ)

すごいのにゃ、なぜワークシェアリングが普及しないのかにゃ。

(じいちゃん)

一つは企業の採算性の問題じゃな。労働者を雇用するとコスト負担が大きくなるのじゃ。たしかに労働者が2人の時も3人の時も、のべ労働時間は24時間で同じじゃ(2人×12時間=3人×8時間)。じゃから賃金ベースだけで考えるなら、雇用を増やしても支払総額は同じに思えるかも知れん。しかし雇用を増やすと賃金以外のコストも大きく増えるのじゃよ。

健康保険や厚生年金の支払いは企業が半額を負担するため、その支払額はバカにならん。それに、パソコンや事務用品、制服などの装備も必要となる。人を一人雇用すると、実際には給与支払いの1.5倍ほどの経費が必要となるのじゃ。それを考慮すると、企業にとっては雇用数を増やすよりも、労働者に残業してもらった方がコストは低く抑えられる。

また、労働者にとっても、残業によって得られる「残業手当」が生活費に組み込まれて重要な部分を占めている場合もあるじゃろう。そうなると残業を減らされると生活が苦しくなる。それなら、雇用を増やして仕事を楽にしてもらうよりも、このまま残業をしていた方が良いと考えるじゃろう。

(ねこ)

う~、難しいのにゃ。やっぱりワークシェアリングはいらないのかにゃ?

<好景気は完全雇用の上に成り立つ(通貨循環)>

(じいちゃん)

そうとは言い切れん。長期的に見ればワークシェアリングは必ず必要となる一つの考えじゃ。市場経済を健全に維持するための政策になる。なぜじゃろうか?

人類の科学技術はますます進化しておる。それにより、生産技術が開発され、生産性が年々高まっておる。最も身近な例は「機械化・ロボット化」じゃな。それこそロボット化がどんどん進むと、生産性が飛躍的に高まり、労働者の仕事がなくなる。そうなると、本当は仕事が楽になって労働者にとってはありがたい事なのじゃが、そうもいかん。

労働者の仕事がなくなると、企業は人件費をコストダウンするために、労働者を解雇するようになる。そして、製品の価格を下げ、市場における価格競争の優位性を確保しようと動く。特に経済がデフレ不況でモノが売れない状況だと「値下げしないと企業が生き残れない」のじゃ。じゃから「雇用の維持は企業の良心」などと言っていられない。労働者をリストラした企業だけが生き残る。

ところが、あらゆる産業分野で同時に労働者の解雇が始まると、失業率が悪化する。失業者は購買力が非常に低いか、ほとんどない。従って、失業者が増えるほど内需は縮小し、モノが売れなくなり、企業は倒産する。つまり、いわゆる「合成の誤謬」が生じるのじゃ。企業が生き残りのために労働者をリストラするのは、経営の論理から言えば合理的じゃ。しかし、企業が労働者をリストラすればするほど、デフレが悪化し、企業の製品が売れなくなり、自滅するのじゃ。こうした問題を「技術的失業問題」と呼ぶ。

逆に言えば、完全雇用の状態にあればこそ、景気を維持することが出来るとわかるじゃろう。生産した製品がどんどん売れるためには、労働者の購買力が常に高くなければならない。なぜなら、通貨は企業と労働者の間をぐるぐると循環し、その循環に乗って財の生産と消費が成り立っておるからじゃ。

(ねこ)

世の中はおかしいにゃ。なんでそんな事も気が付かないのかにゃ?

(じいちゃん)

まあ、ご多分に漏れず「ゆでガエル」じゃからのう。なにしろ、今述べた「技術的失業問題」は、それほど急激に進むわけではない。だんだんと、ひずみとして内部に蓄積されるため誰も気が付かない。やがて、バブル崩壊などの急激な景気変動の際に、一気に顕在化するのじゃ。現在起きている世界経済の不況もそれと無関係とは思えない。

このような「科学技術の進歩と市場原理の相互作用」がもたらす失業やデフレというひずみは、これまでは経済成長により緩和されてきた。つまり、生産性が向上した分だけ需要が増えれば、企業の生産した製品は売れ残ることなく消費されるというわけじゃ。しかし科学技術がどんどん進化しておる先進国では、人々の物質的な欲求は満たされ、需要の伸びは低下する傾向にある。ムリして需要を伸ばしても、ちょっとした不況で急激に需要が落ち込む事になる。じゃから、やがて経済成長率よりも生産性の上昇率が高くなるじゃろう。

また、経済成長の一つの手法として「新しい産業の育成」というのも、よく引き合いに出される。新しい産業を創出し、機械化により失業した労働者をそこに雇用すれば、たしかに失業率を下げる事は可能じゃ。じゃが、地球の資源に限りがある以上、無限に新しい産業を増やし続けることなど不可能じゃろう。

従って、長期的に見れば、「科学技術が進歩するほど失業が増えて企業も倒産する」ことは避けがたいものになる。もちろん、現代の経済システムを「そのまま放置」すればそうなるということじゃ。あきらかな矛盾を見て見ぬふりして後から騒ぐのではなく、いまから徐々に調整すれば問題は必ず回避できるはずじゃ。

<完全雇用への二つのアプローチ手法:「経済成長」と「ワークシェアリング」>

(じいちゃん)

完全雇用は現代の経済にとって最も大切なテーマじゃ。その完全雇用を達成するための手段としては、ワシは大きく2つのアプローチ方法があると考えておる。その一つが「経済成長」であり、もう一つが「ワークシェアリング」じゃ。それを、簡単なモデル(表)を用いて説明したいと思う。このモデルでは経済全体が一つの会社でできているかのように、一つにまとめて考える。労働者=消費者じゃから、購買力は労働者の賃金総額できまる。生産量と購買力が同じでなければ、生産と消費はうまく回らない。

(技術開発により生産過剰の状況が発生する)

まず、技術開発により生産性が向上した場合、そのまま生産を続けると生産過剰になるのじゃ。たとえば、生産性が2倍に向上すると、一人当たり単位時間の生産量が2倍となるため、労働時間が同じなら、生産される商品の量は2倍になる(②)。しかし、労働者に支払われる給与が同じままであれば、労働者の購買力は増えないから、市場で商品の半数が売れ残る事になる。これがデフレを引き起こす原因となるのじゃ。ここで、もし労働者数を減らし、生産量を減らしたなら、失業者が増加してしまう。すると賃金総額が減ることになり、これがデフレギャップとなるのじゃ(③)。

※生産量=生産性×労働者数×労働時間、 生産される財の単価と賃金の単価は共に「1」とする、 支払利息・配当等は無し

(生産過剰の状況を解消するには2つの方法がある)

そこで、これを均衡させるためには、二つの方法がある。一つは、雇用を維持して1人当たり賃金を2倍に増やす方法じゃ(④)。すると生産量が2倍になっても、労働者の購買力も2倍になるため売れ残りは生じない。賃金総額が2倍になるという事は、国民総所得が2倍になるということじゃ。同時に市場における売買総額も2倍になるわけじゃから、GDPは2倍になる(三面等価の原則)。つまり経済成長するというわけじゃ。このように、生産性が2倍になったなら、基本的には賃金も2倍にしなければ商品が売れ残ってデフレになる。

別の方法は、1人当たり労働時間を短縮して、雇用を維持する方法じゃ(⑤)。この方法じゃと、生産性が2倍になっても、労働時間を半分に削減するから生産量は同じままじゃ。従って経済成長はしない。この手法の場合は労働時間を減らしても一人あたり賃金を減らしてはいけない。賃金は減らないので、賃金総額つまり購買力も変化しない。よって売れ残りが生じる事は無いのじゃ。もし、労働時間が短縮されたからと言って支払賃金を下げると、購買力も同時に減少してしまうので、売れ残りを生じる。そして、労働時間を半分にして雇用を維持するという事は一つの仕事を二人で分担する事と実質的に同じ意味をもつ、これがワークシェアリングとなるのじゃ。

このようにすると、生産性の向上に伴って雇用を減らす必要はなく、生産と消費のバランスを取ることが可能じゃ。つまり2つの方法とは、一つは生産量の増大に伴って循環する通貨の量を増やすこと(経済成長)であり、もう一つは生産量を増やすことなく、労働時間を減らすという事(ワークシェアリング)じゃ。どちらでもシステムが成立するはずじゃ。

(ねこ)

でも、労働時間を減らすと経済が衰退するイメージがどうしても強いのにゃ。

(じいちゃん)

技術開発による生産性の向上がないまま労働時間を短縮すれば、国民が貧しくなるのは当然じゃ。闇雲に労働時間を短縮すれば良いわけではない。労働時間の短縮はあくまでも「技術開発による生産性の向上」があってこそ可能なのじゃ。

(ねこ)

ふ~ん、経済成長とワークシェアリングはどっちが大切なのかにゃあ。

<経済成長にのみ頼れば、永遠に労働から解放されることはない>

(じいちゃん)

そうじゃな、じつは、この両者には大きな違いがある。経済成長による方法の場合は、財の生産量がどんどん増え続ける。つまり、より物質的に豊かな社会を目指すには良い方法じゃ。しかし、限られた地球資源や環境保全の観点から言えば、永久に経済成長を続ける事はできない。しかも、この方法には「労働時間の短縮」が前提にないため、飽くなき経済成長を追い求める限り、人々は永遠に労働から解放されることは無いのじゃ。

一方、ワークシェアリングによる方法は、財の生産量を増やさないので、物質的な豊かさを目指すにはあまり適しておらん。じゃから物質的な豊かさが十分ではない途上国においては、この方法を用いるべきではないじゃろう。しかし先進国の場合、労働時間が短縮されることによる生活時間のゆとりは、芸術やスポーツ、ボランティアなどの活動を助長し、精神的な豊かさ、助け合いの社会を実現する可能性がある。

つまり両方とも大切なので「バランス感覚」が不可欠じゃ。

いずれにしても、最も重要なのは「技術開発」であり、飽くなき科学技術の進歩こそが人類の幸福追求のために必要じゃ。もちろん科学技術が「両刃の剣」であることを忘れてはならん。しかし、一部左翼系知識人のように、科学の進歩に否定的な考えを持つようではダメじゃと思う。

<ワークシェアリングを阻むのは「グローバリズム」>

(ねこ)

ワークシェアリングが大切なのはわかったのにゃ。でも、市場原理にまかせたままだと、永久にワークシェアリングは実現できないのにゃ。方法は無いのかにゃ。

(じいちゃん)

方法がないわけでは無い。じゃが、現代は経済成長による方法ばかりが優先され、ワークシェアリングによる方法は放置されておる。「株主利益」が優先されておるからのう。そのため、ひずみはどんどん蓄積するばかりじゃ。世界はますます「市場原理主義」に支配されようとしておる。そうなれば、いよいよワークシェアリングは絶望的となるじゃろう。

ワークシェアリングは、労働法規を整えることにより可能じゃ。たとえば、労働基準法に定められる法定労働時間は一日8時間じゃが、極端に言えば、これを半分の4時間にする。すると企業は2倍の人を採用しなければならなくなる。つまり、1人で8時間労働していたところ、2人で4時間ずつ働くことになる。これがワークシェアリングとなる。これにより失業率を下げる事が可能じゃ。じゃから、生産技術の進歩に伴って、法定労働時間を徐々に短縮化するのは合理的な考え方じゃと思う。

市場原理にまかせておけば、企業はコスト競争に勝ち残るため労働者を減らす傾向にある。しかし、法律で規制すれば、それに歯止めをかけることが出来る。それぞれの企業が抜け駆けしない限り「同じ土俵」で勝負することになるため、企業間競争をゆがめる心配は無い。

ところが、最大の問題はグローバリスムにある。

海外で長時間労働、低賃金で生産された商品が大量に輸入されると、国内の製品は激しい価格競争にさらされる。競争相手が国内企業だけであれば、労働法規により「同じ土俵での勝負」が成り立つが、輸入品は「ルール無用」で作られた製品じゃから、コスト的にまったく太刀打ちできない。まして、関税が撤廃されるとさらにひどい状況になる。じゃからこそ、関税が必要なのじゃが、なんと「関税をすべて無くする」という暴挙が政府とマスコミ主導で進められておる始末じゃ。まさに信じられん。

(ねこ)

でも、マスコミは「グローバル化」で途上国が発展して貧困が減るから良いと言ってるにゃ。

(じいちゃん)

グローバル化だけが途上国の経済成長を実現する唯一の方法ではない。途上国が豊かになるためには、教育と技術と設備が必要じゃ。これらが途上国に提供されれば経済成長できる。資本主義グローバリズムでは、これを「投資」という形で提供する。そして、その投資を回収するため、途上国と先進国の「為替差」を利用する。つまり先進国の雇用を減らし(産業の移転)、途上国の雇用を増やし、「先進国の労働者と途上国の労働者の賃金格差」を企業利益としておる。じゃから先進国で失業問題(産業空洞化)が生じるのはあたりまえじゃ。

ワシは「投資」ではなく、「無償支援」によって、教育と技術と設備を途上国に提供するのが正しいと考えておる。そして、途上国の人々は、自国のために働き、生産する。外国に輸出して借金を返すために働くのではない。そうすれば、先進国に産業の空洞化など生じることはなく、先進国の雇用は守られる。

この無償支援の考えは、科学技術、生産技術の進歩によって先進国の生産能力にゆとりが生まれてきた今日において、より現実的な考えになったと思うのじゃ。途上国に無償支援すると自国民は貧しくなるのか?そうは思えない。そもそも、失業がある、デフレギャップがあるということは「生産余力がある」ということじゃ。この生産余力をもって、途上国へ支援することを考えても悪くは無いはずじゃ。

では、途上国への「投資」をまったく否定するのかと言えば、そんなことはない。投資する場合でも「現地化」すれば、悪影響は少ない。つまり、途上国内で生産して途上国内で消費すれば、企業は利益を出せるし、現地の人の生活は豊かになるし、外国へ輸出する必要もない。そのようなシステムでも企業にとって投資する意味は十分あるはずじゃ。もちろん、途上国の人を安く使って、先進国で高く売った方が儲けが大きくなるのは当然じゃが、社会にゆがみが生じる。強欲は社会を荒廃させる。

(ねこ)

そうにゃ、海外からルール無用の安物を膨大に輸入するのが正しい事ではないにゃ。貿易は必要だけど、だからと言って関税をすべて廃止して、無節操にグローバル化する必要性など何もないのにゃ。

(じいちゃん)

左様じゃ。貿易にも節度が必要なのじゃ。鎖国する必要など無いが、必要に応じて関税をコントロールしながら、国内の労働規制が有効になるよう調整する。そうすることで、法定労働時間の短縮によりワークシェアリングの方法を導入することも可能になると思う。もちろん「サービス残業」「幽霊社員」などが横行するようでは、お話にならないが。

いずれにしても、ワークシェアリングの方法は、市場原理が支配する現在の経済システムでは非常に導入が難しいのじゃ。しかし、これを考慮しなければ、たとえ一時的に景気が回復したとしても、生産過剰のひずみが社会にますます蓄積するだけでなく、それがバブル崩壊などでデフレ不況を招くことにつながるじゃろう。そして、そんなことを続ける限り、いくら科学技術が進歩しても、失業は決してなくならず、人々は永久に労働から解放されることはないじゃろう。

(2018.4.26以下追伸)

一方、ワークシェアリングはグローバル化が進んだ今日では実現が難しい。それゆえ、もう一つの方法としてベーシックインカムに注目すべきじゃと、最近は考えて居るのじゃよ。