構造改革(規制緩和)とは何か

2016.5.25

<総論>

(じいちゃん)

構造改革(規制緩和)とは、世の中のシステムを変更することで資源の分配を最適化し、生産性を高める方法のことじゃ。経済は企業という多くの生産主体が複雑なネットワークを形成し、資源をインプット(入力)して財(物やサービス)をアウトプット(出力)するシステムであると考えることができる。このネットワークにそって様々な資源、中間生産物、労働力がやり取りされるが、このネットワークの「構造」の効率性が悪いと資源の投入量に対する財の出力量が悪くなる。この構造を効率化するのが構造改革の考えじゃ。そしてこの構造を固定化しているのが「規制」と言える。じゃから規制を撤廃して構造を変えるというわけじゃ。

(ねこ)

規制を撤廃してネットワークの構造を変え、それによって資源の分配を最適化するにゃ。つまり生産性を高める政策なんだにゃ。それが経済成長に繋がるのかにゃ?

(じいちゃん)

構造改革は経済成長に繋がる場合とあまり効果が無い場合があると思われる。インフレ経済の場合は効果が大きいはずじゃ。インフレは需要に対して供給が不足した時に生じる。じゃから供給量を増やして需要とバランスを取る必要がある。インフレは一般に景気が良くなると生じる。景気が良いと完全雇用の状態になるので、企業はそれ以上に雇用を増やすことは難しい。財は労働者が生み出すものじゃから、雇用を増やせなければ供給を増やすことは難しい。供給が増えなければ経済は成長せず、インフレも解消しない。

雇用できる労働力を増やせない状況において、供給量を増やすためには1人あたりの生産量を増やすしかない。これが生産性の向上じゃ。生産性の向上は機械化によって達成できるだけでなく、構造改革によっても達成することができる。具体的にはあとから説明しよう。さて、インフレは需要が多くて財が不足しておる状態じゃ。じゃから、もし構造改革によって財の供給量が増加すれば財の消費量も増える。従って経済は成長するわけじゃよ。また、経済が成長すれば企業の利潤も生まれるはずじゃから、インフレ経済において構造改革を行うことは投資機会を作ることになる。すると投資も活発になる。

ところがデフレ経済じゃと状況は一変する。デフレは需要が少なく供給が余剰となった状態じゃ。じゃから需要を増やして供給とバランスを取る必要がある。このとき、需要が不足した原因が何かが重要となる。もし人々に財が十二分に行き渡り、財が飽和状態にあるのだとすれば、それ以上に需要を増やすのは無理じゃ。しかし、現在の日本のように貧困率がジワジワと上昇し、子供の貧困などあきらかに財が不足している人々がたくさんいる状況であれば、需要を増やす、この場合はおカネに裏付けられた有効需要を増やすことが必要となる。

このようなデフレ状況であれば構造改革によって供給力を強化しても意味がない。そもそも需要が不足しておるのじゃから、そこへ供給を増やせばデフレがますます悪化することは市場原理から言って明白じゃ。ということはデフレにおける構造改革は経済成長をもたらさず、投資機会にもならない。ただし後から説明するが、デフレ時の規制緩和はブラック企業の利益と投資機会を増加する。これは一般の国民にとっては良くない事じゃ。じゃからデフレの時に構造改革をしても逆効果なんじゃ。まずは有効需要を増やして消費を活発化し、デフレ経済からインフレへ経済へと変化させる必要がある。消費が伸びれば経済は成長する。そして本当に景気が良くなれば必ず供給が不足し始めるので、その時こそ構造改革を断行するチャンスとなるじゃろう。

<各論>

①参入規制緩和

(じいちゃん)

参入規制は事業許可制などのように、特定の事業者以外を事業(ビジネス)に参加できないように規制することじゃ。規制緩和とはそうした規制を緩めたり廃止したりすることで、より多くの事業者に事業への参加(資源へのアクセス)を促すことが目的じゃ。もちろん政府はむやみに事業者を制限しておるわけではない。建設業は許可制じゃし、医師の開業も免許が必要じゃが、基本的には必要があるから制限するんじゃ。じゃからむやみに規制を緩和するのではなく、規制緩和は慎重に検討する必要がある。2016年のスキーバス死亡事故のように規制緩和で業者間の競争が激化し、低価格を売りにした企業が勝ち残る環境が生まれると、安全性が損なわれる危険性もある。デフレ経済の元では「安くないと売れない」という事情があるため、ますます危険性が高まる。デフレと規制緩和の負の相乗効果がブラック企業の台頭を後押しするんじゃ。

規制は必要ではあるが、一方で規制が単なる既得権の保持のために利用されることもある。あるいは許認可制が公務員と企業の癒着構造を生み出し、汚職や談合などの温床となりかねない点にも注意が必要じゃろう。こうした腐敗した業界では、むしろ規制緩和によって健全な競争を促進したり、汚職や談合を排除することも必要じゃろう。つまり、デフレやインフレとの関係を踏まえながら緩和のタイミングと内容を的確に判断することが大切じゃ。

(ねこ)

参入規制を緩和すると腐敗を減らす以外に、何がいいの?

(じいちゃん)

参入規制を緩和すると、多くの企業がその事業に参加するようになる。すると今までにない新しい考えを持った企業が参入したり、企業間の競争が刺激されて新しい考えが生まれたりする。それが生産性を高めたり、新しい商品やサービスを生み出すことに繋がると考えられるのじゃ。ただし何度も言っておるように、需要が無ければ意味が無い。需要が少ないところへ多くの企業が参入すると、限られた需要を奪い合い、低価格競争が激化してブラック企業が生まれたり、スキーバス事故や廃棄食品の転売のように、安全性や品質に問題が発生する場合がある。参入規制を緩和する場合は、こうした問題を引き起こすことが無いよう、別の規制つまりルールが必要となることもあるじゃろう。

②労働規制緩和

(じいちゃん)

労働規制は、企業が労働者を使用する際に守るべきルールじゃ。労働時間や最低賃金、雇用形態、解雇要件などさまざまな規制がある。こうした労働規制は資本主義経済が誕生した頃、労働者を過酷な条件で奴隷のように使役した時代の反省から生まれたんじゃ。じゃから基本的に労働規制は労働者にとって、つまり多くの国民にとって大切じゃ。しかし、こうした規制は労働者の生活を守り、豊かな生活を実現することがそもそもの目的じゃ。もしその目的を損なわずに、労働規制の緩和によって社会全体の生産性を高めることができるなら、労働規制緩和はむしろ個々の労働者の生活を向上させる可能性があると言える。ところで、最近取りざたされている労働規制緩和には、大きく次の2種類がある。

A)解雇規制緩和

(じいちゃん)

契約社員や派遣社員は契約に雇用期間の定めがあるため、企業が必要ないと判断すれば解雇は容易じゃ。しかし正社員は正当な理由が無ければむやみに解雇することができないんじゃ。そこで解雇規制を緩和して企業が自由に労働者を解雇できるようなルールを導入するのが解雇規制緩和と考えられるのじゃ。ところで解雇を容易にする目的は何じゃろうか。

大義名分としてよく語られるのは「雇用の流動化を促進する」ことじゃ。雇用の流動化とは、労働力(労働力資源)の配分の最適化を行うということじゃ。たとえばA社で人手が足りなく、B社で人手が余剰であったとする。であれば、B社で社員を解雇してA社で採用すれば人手不足と人手過剰が同時に解決できるわけじゃ。もしそうなら、B社の社員を解雇しやすくした方が良い。これが理想的な雇用の流動化じゃな。

ところが世の中はそんな単純ではない。インフレの時は良いが、デフレ不況になると多くの会社では人手が余剰となる。もし解雇規制が緩和されて解雇が自由にできるようになれば、多くの会社が一斉に社員を解雇するじゃろう。一方で不況だと解雇された労働者を雇用する企業はほどんど無いから、社会には失業者が溢れることになるんじゃ。雇用の流動化は失業を増やす。ところで失業者は給与所得が無いから購買力もない。そのため、世の中の失業者がふえるほど社会全体の購買力が低下して消費が減少し、デフレ不況がさらに悪化してしまうのじゃ。そして、ブラック企業が成長してくる。

(ねこ)

どうして解雇規制緩和でブラック企業が成長するのかにゃ。

(じいちゃん)

解雇規制緩和によって失業率が増加すれば、生活に困窮した失業者が厳しい労働条件でも働かざるを得ない状況に追い込まれる。ブラック企業はこうした失業者を低賃金、長時間労働で雇用するんじゃ。するとブラックではない企業に比べて労働コスト的に有利となり、低価格の商品やサービスを提供することができるんじゃ。そして低価格・深夜営業などを武器にしてブラックではない企業のシェアを奪い、それらの企業を倒産へと追い込んでゆくんじゃ。こうして市場ではブラック企業だけが生き残る。だから、デフレ不況の時に解雇規制緩和を行えば、それはブラック企業促進法となる。

一方、インフレの時はどうか。インフレの時は景気が良いので、企業はどこも人手不足の状況にあるんじゃ。もし失業者が発生しても、比較的容易に再就職が可能じゃし、労働者の賃金は上昇傾向にある。労働条件の悪いブラック企業には人手が集まらなくなり、自然消滅するか、ブラックを止めなければならなくなる。すると、完全雇用状態を維持したまま労働力の最適配置が可能となり、経済も成長するわけじゃ。つまり規制緩和は経済状況に応じて実施しなければならないんじゃ。やたらに実施してはいかん。

そして、解雇規制の緩和を実施する場合は失業給付の金額や支給期間を延長するなど、セイフティーネットの充実を同時に行わなければならない。そうした失業者の保護対策なしに緩和を行えば、それは構造改革の痛みを単に労働者へ押し付けることになる。失業のセイフティーネットを整え、その財源を法人税などで企業が負担して初めて、労働者と企業が構造改革に対するリスクを公平に負担することになる。

(ねこ)

でも、構造改革派という人たちは経済状況と関係なく、いつでも解雇規制緩和、労働規制緩和を主張しているにゃ。どうしてかにゃ?セイフティーネットの話なんかしないにゃ。

(じいちゃん)

それは、株主や企業にとってはデフレだろうがインフレだろうが、いつでも解雇できた方が利益になるからじゃ。企業利益のためには、国民や国の経済のことなど二の次なんじゃろう。労働者にとっては、デフレの時に解雇が増えると大変な事になるが、企業にとっては、デフレの際に解雇すればするほど有利じゃ。不況の際には労働者を切り捨ててコストダウンすれば企業は守られ、株主も安泰なんじゃよ。じゃから構造改革派の人々は、経済がデフレであるにもかかわらず、さかんに構造改革を主張するのじゃよ。大義名分は「雇用の流動化」じゃが、本音はそうではない。不況の際には労働者を素早く切り捨てる。企業の都合で好きなように労働者を使ったり首にしたりするのが、資本家にとって最もカネになるんじゃ。

当然ながら、こうした考えの連中は構造改革の負担をすべて労働者へ押し付けるから、企業の負担を増やすセイフティーネットなどまったく眼中にないじゃろ。「失業は労働者の自己責任だ」と言えば済む。

(ねこ)

言葉の裏に隠された部分に本音があるんだにゃ。

B)残業代ゼロ(労働基準法改正)

(じいちゃん)

賃金の支払いを労働時間ではなく、成果(目標の達成)に応じて支払うという考えがある。これを法的に認めるために労働基準法が改正するという。労働時間と賃金が無関係ということは、社員がいくら残業しても企業は賃金を支払わなくてよいことになる。この制度の問題は、会社が社員に与える目標が決められた労働時間内で本当に達成可能なのかどうかという点じゃ。そもそも残業しなければ達成不可能な高い目標を与えておいて、残業代を支払わないのであれば問題じゃろう。労働時間の長短がそのまま成果に出るような、例えば作業系の業務においてこの制度を導入すると、単なる賃金の支払い拒否や労働強化につながりかねない。そこで、当面は管理職候補の年収1000万円以上の特定の職種に限って導入されるようじゃが、今後は拡大される可能性があるかも知れん。要注意じゃろう。

こうした残業手当をカットする考えは「生産性を高める」などと説明されるが、社会全体から見れば実際には生産性など何も高まらない。支払賃金が減るだけであって、1人あたりが生み出す財の量はまったく増えないからじゃ。ただし企業の立場から言えば、支払賃金が減ればコスト減となり企業の利益が増加するから、生産性が高まったと判断する。そして企業利益が増えれば株主への配当金が増えるという寸法じゃ。つまり残業代を減らしても、マクロ(社会)から見れば生産性は何も高まっていないが、ミクロ(企業利益)から見れば大いに生産性が高まる。一般には、生産性が高まると言えば、盲目的に良いことだと思われがちじゃが、意味を良く考える必要があるじゃろう。

少子高齢化の日本で生産性の向上が求められる理由は、労働人口が減少する分だけ、1人あたりの生産量を増加させる必要があるからなんじゃ。ところが労働時間を短縮して支払賃金を減らしても、1人あたりの生産量は何も増えない。まやかしの生産性じゃな。まあ、今後も年収1000万円を超える社員に限って残業代を払わないのであれば、それほど大きな問題はないが、政府も企業もマスコミも信用できないので、今後の動きに注意が必要じゃろう。

③公務員改革の必要性

(じいちゃん)

構造改革を連呼する識者は多いが、なぜか「公務員改革という構造改革」を主張する話はあまり聞かないのう。

(ねこ)

公務員改革は構造改革になるの?

(じいちゃん)

公務員の多くは財の生産に直接関わらない。自衛隊や警察、消防、医療機関などは別じゃが、それ以外の多くの公共サービスは企業で言えば「事務・管理部門」に相当すると考えられる。つまり非生産部門じゃ。企業でリストラといった構造改革が行われる場合は、まず事務・管理部門の無駄から徹底的に削減が行われるのじゃ。事務・管理部門が小さいほど生産性は高くなる。つまり、公務員の多くが構造改革の最優先対象であると言えるはずじゃ。

また、日本には膨大な「みなし公務員」と呼ばれる法人がある。独立行政法人、特殊法人、特殊会社、公益法人およびその関連会社などじゃ。これらの多くも、売り上げがあっても実際には財を生産しているものは少ないようじゃ。こうした公務員やみなし公務員といった人的資源を、直接に財の生産現場に再配置すれば人的資源の最適利用が可能となる。まさに構造改革じゃ。メディアはどこも見ないふりをしておるが、日本で最大の岩盤規制は、公務員の既得権なのじゃよ。にもかかわらず、新聞マスコミは公務員改革には触れず、構造改革と称してひたすら民間の労働者を熾烈な競争に陥れることに熱を上げておる。

とはいえ、公務員改革を断行するにも、デフレ不況の時にこれを行えば、リストラされた公務員が失業してしまう。公務員改革は公務員をいじめるのが目的ではない。あくまでも資源の最適配分、最適利用によって人々の生活を豊かにするのが構造改革の目的じゃから、タイミングが重要じゃ。もちろんセイフティ-ネットをあらかじめ整えることは当然じゃよ。

以上のように、構造改革は「主」ではなく、つねに「従」であることがわかるはずじゃ。構造改革は財政政策や金融政策とうまく組み合わせることで初めて効果を発揮するんじゃ。構造改革は重要な政策じゃ。しかし構造改革が他の政策に先導することは決してない。それが構造改革の正しい使い方じゃと思う。