ロボット大量活用で高齢化に対応できるか

<ロボットで生産力は維持できる>

(ねこ)

「ロボットを大量活用すれば少子高齢化の日本でも労働力は維持できる」みたいな話があるのにゃ。確かに少子高齢化で労働人口が減ったり、高齢者のように働かない人が増えても、高度なロボットがどんどん開発されて人間の代わりに働けば、生産力は維持できるはずだにゃ。しかも労働力の不足を補うための「移民」は必要なくなるから、一石二鳥だにゃ。

(じいちゃん)

ほっほっほ、そうじゃな。確かに高度なロボットがどんどん開発されれば、現在は人間しかできない作業やサービス業務もロボットが代行できるようになる可能性は十分にある。その意味では、ロボットの大量活用で日本の生産力が維持されるというのは、正論じゃろう。

そして、日本の生産力が維持されるなら、無理に移民を入れる必要はないと言えるじゃろう。移民が働く代わりにロボットが働けば良いのじゃから、至極当然の考え方じゃな。

じゃが、ロボットを大量活用して生産力が維持できたとしても、社会の仕組みが今のままでは、逆に経済がどんどん麻痺してしまう宿命にあるのじゃよ。それは、「企業は利益で動く」という資本主義の仕組みが必然的に導き出す結論じゃ。ロボットを大量活用するには、新しい概念や仕組みを導入せねばならん。

(ねこ)

どうしてロボットの大量活用で経済がマヒするのかにゃ?

<経済は「生産者と消費者の通貨循環」で成り立つ>

(じいちゃん)

現在の経済の基本ルールは「生産者と消費者の通貨循環」によって成り立っておる。こういうことじゃ。まず、企業(=生産者)が労働者を雇用して商品を生産する。そして労働者(=消費者)におカネを払う。消費者がそのおカネを用いて、生産された商品を購入し、商品が人々に行き渡る。そして売り上げとして、おカネは再び生産者に戻る。こうして、生産者と消費者の間でおカネがぐるぐる回ることで、商品の生産と消費が成り立つ。

つまり、ここで重要なのは、「生産して生まれた商品に応じて、労働者(=消費者)におカネが渡される」という部分じゃ。生産者から労働者におカネが渡される点が重要じゃ。もし労働者におカネが渡されなければ、消費者におカネが無くなるから、商品を買う人もいなくなる。すると経済がマヒする。現代の経済は「生産者と消費者の通貨循環」があって初めて成り立つ仕組みなのじゃ。

(ねこ)

そのとおりなのにゃ。それでロボットを大量活用すると通貨循環がうまく働かなくなるのかにゃ?

<ロボットが働いた代価は誰が受け取るのか?>

(じいちゃん)

そうじゃ。一般的にはロボットは企業が導入するじゃろう。そのロボットが働いて大量の商品を生産したとする。では、その代価は誰が受け取るのじゃろうか?人間が労働した場合は、労働者(=消費者)が代価を受け取ることになる。そしてそのおカネを使って商品を買う。一方、ロボットが働いた代価は誰にも支払われない。そりゃあロボットをローンで買えば返済金がかかるし、メンテナンス費も必要じゃが、人間に支払う賃金に比べればはるかに安い。それは賃金ではなく、維持費に過ぎん。

基本的に、ロボットの導入で浮いたコストは、労働者に支払われることは無い。

一つや二つの企業でこういう事が生じても影響は少ない。社会全体でロボットが大量活用されれば、社会全体で大量の商品が生産されるようになる。しかし、それに見合うだけのおカネが消費者に渡されないから、買う人が居ない。買えないのじゃ。

(ねこ)

う~ん。社員にもっとおカネを払えばいいのにゃ。倍の商品が生産できるようになったら、倍の賃金を支払うのにゃ。そうすれば、社会全体としては、生産した商品をぜんぶ買い取れるにゃ。

(じいちゃん)

無理じゃ。

(ねこ)

ふにゃ?

(じいちゃん)

企業がロボットを導入する理由は何かな?それは社会貢献のためではない。カネじゃ。利潤の追求のためじゃ。経費削減つまり「コストカット」なのじゃ。いうなれば支払賃金を減らす事がロボットを導入する目的なのじゃ。人間を雇用して労働させると非常にコストが高い。じゃから人間を解雇してロボットを導入すればコスト削減になり、利益が出て、企業の競争力が高まるのじゃ。

さて、それなのに、ロボットを大量活用した企業が社員の賃上げを行うじゃろうか?答えはNoじゃ。もしそういう慈愛に満ちた会社があったとしても、企業間の激しいコスト削減競争に敗れて倒産する運命じゃ。コストカットした企業が生き残る弱肉強食の社会が資本主義じゃ、ブラック企業を見ればわかるじゃろ。

<ヘリコプターマネーで問題は解決する>

(じいちゃん)

結局のところ、資本主義の社会では、ロボットの導入でどれほど生産力が増加しても、企業から消費者に渡されるおカネが増える事はあり得ない。善悪の問題ではない。それは資本主義のルールが「利潤追求優先」だからじゃ。ゆえに、避けられん宿命じゃ。従って、この問題に対処するには、「企業以外のルートから消費者におカネを渡すしかない」ことになる。

(ねこ)

企業以外のルートで消費者におカネを渡すの?

(じいちゃん)

左様。もっとも有力なのが「年金の支給」によって消費者におカネを渡すことじゃ。財務省の馬鹿官僚どもは「年金財源ガ~」と騒いでおるが、財源などいらん。カネは刷れば良いのじゃ。もちろんカネには常に実体経済の裏付けが必要じゃ。その刷るカネの裏付けが「ロボットの大量活用による生産力」なのじゃ。

(ねこ)

にゃああ、むずかしくてわかんないにゃ。もっと簡単に言うにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃな、企業が賃金を増やさずとも、政府が通貨を発行し、これを年金として「高齢者(=消費者)」に支給する。すると、高齢者がそのおカネを使って消費することにより、企業が生産した商品は売れ残らず、国民に広く行き渡るのじゃ。同様に、病気や障害で働けない人にも支給する。

(ねこ)

働かない人におカネを渡すのかにゃ?

(じいちゃん)

そうじゃ。もちろん、いきなり全面的にそんな事をする馬鹿はおらん。需要に生産力が追いつかず、インフレになってしまう。じゃから技術の進歩に伴い、日本の総生産力を計量的に正確に把握しつつ、たとえば、まず貧困層の対象者から徐々に支給を開始する。

そして、生産力の拡大に合わせて、支給対象を次第に広げ、最終的にはベーシックインカムにまで発展することも可能になるじゃろう。もちろん、ベーシックインカムは、まだまだ将来の話じゃがな。財務省の馬鹿官僚どもは、将来の世代へ借金の付けを残すとか残さないとか、夢も希望もない話ばかりするが、実際には、将来の世代において、人々は徐々に労働から解放されるのじゃ。それが技術の進歩というものじゃ。

<「生産と消費の分断」から生まれた宿命的な矛盾>

(じいちゃん)

そして、むしろそうしなければ経済が破綻する。ロボットを含め、あらゆる生産技術の進歩は人間の労働を必要としない方向に進むじゃろう。もちろんロボットが完全に人間にとって代わることは無い。発明や芸術などの創造性にかかわる分野は人間にしかできないからじゃ。しかし、生産技術の進歩は確実に人間の労働を奪い、失業者を生み、それが生産者(=企業)から消費者(=労働者)へのおカネの流れを停滞させる。消費者におカネが流れなければ商品は売れなくなる。そして経済を麻痺させるのじゃよ。

これが、現代経済の最大の矛盾じゃ。

(ねこ)

どうしてこんな事になるのかにゃ。

(じいちゃん)

それは「生産と消費が分断」しているからじゃ。市場経済では、その分断を通貨で結び付けておる。このシステムが必然的に矛盾を生み出すのじゃ。

太古の昔、人々は魚を取ったり獣を取ったり、木の実を集めたり、稲作をしたり、そして、それらを持ち寄って分けあって暮らしていた。この場合、おカネは必要ない。なぜなら生産者と消費者は常に一体だからじゃ。自分たちが必要なものをみんなで手分けして生産する。じゃから、たくさん取れれば、そのぶんだけ人々に多く振る舞われる。つまり「交換」ではなく、「分配」という考え方が中心にあった。そして、それが社会の本来の姿じゃとワシは思う。

しかし、市場における物々交換を通じて、やがて「交換」という概念が発達する。と同時に「所有」の概念も強くなる。物々交換とは所有しているものを交換し合うわけだから。そして市場取引という行為は、次第に生産者と消費者を分離し始める。つまり自分が必要としないものでも、他人が必要とすれば作り出す。それを市場において自分が必要なものと交換することで生活するのじゃ。こうなると、もはや「分配」の概念は極めて希薄になる。

そこに貨幣が登場し、いよいよ分断は完成する。人々のほとんどは労働者となり、何かを生産するというより、労働しておカネを得る事が目的化する。こうなると「分配」はおろか「交換」の概念すら希薄となる。他人が必要とするモノを生産して交換し合うのではなく、労働しておカネを得るという意識しかない。

その意識が「働かないのにおカネを得るのはおかしい」という認識の根幹を成すようになる。

じゃが、「分配」という根本レベルにまで戻って考えれば、違った世界が見えてくる。

本来、生産者と消費者は同じだった。だが、今は完全に分断してしまったのじゃ。

(ねこ)

ネコには難しすぎるにゃ。そんなところまで、考えたことはないのにゃ。でも、一般の人が思っている常識のままに考えても問題は解決しないことはわかったのにゃ。おカネを配るのは道徳的に良いとか悪いとかいう以前に、そうしないと経済がマヒするシステムであることがわかったのにゃ。善悪の問題ではなく、システムの問題なのにゃ。

<ロボットの大量活用は奥の深い問題>

(じいちゃん)

ほっほっほ、そうじゃな、ネコには難しいかも知れんな。しかし、「ロボットの大量活用」という議論は、単に高齢化社会への対応や移民防止を考えるという意味以上に、現在の市場経済や資本主義経済に対して、根本的な問題を提起しておる。経済システムの根幹にかかわる問題じゃ。だからこそ難しい。「ロボットの大量活用」は、市場経済や資本主義の価値観にどっぷり染まった常識で考えても結論は得られないのじゃ。

多くの人々が、本当に自由な発想で「ロボット大量活用」が社会にもたらす意味を考え始めたとき、

日本は、そして世界は新しい時代へ向けてのスタートを切る事になるじゃろう。