おカネのちからを知り、新しい時代を作ろう

新しい時代へのビジョンはまだ描ききれません。しかし、そこへ至るための一つのステップとして金融制度改革(通貨改革)がきわめて重要な役割を果たすだろうことに、私は確信を持っています。通貨の性質を数年にわたり考察してきた結果、市場経済を主体とするシステムにおいては、通貨こそが経済のすべてをコントロールする鍵であると確信するに至りました。そしてリフレ政策の重要性を数年前から主張してきましたが、予想通り、安倍政権の「金融政策」で日本経済は劇的に変わろうとしています。

カネはちからなり。

おカネは経済システムのすべてをコントロールし、支配する根本的な力なのです。

<20年のデフレ不況で「カネのちから」を知った国民>

金融制度の善し悪しがどれほど経済に大きな影響を与えるか?多くの日本国民はそれを安倍政権の金融緩和のもたらした経済効果で知ることとなったでしょう。なぜこれほどまでにおカネが力を持つのか?それはおカネが人を動かすからです。富とは人が動く(働く)ことで生み出されます。たとえそのおカネが偽札であろうと、結果として人が動けば富が生み出されるのです。逆に言えば、どれほど優秀な人材が多数いても、おカネが無ければ富は何も生まれません。人が動かないからです。

もし、そんな強力な威力を持つおカネ、つまり金融制度が「間違っていたら」どうなるのか?それも我々国民は20年間のデフレで学んだはずです。日銀の間違った金融政策がどれほど日本を苦しめたか?過去の政権が行った膨大な公共投資も、労働規制緩和も、富裕層の減税も、何の効果ももたらさなかった。ところが安倍が「金融緩和する、日銀法改正も辞さない」と言っただけで、今まで何をしても変わらなかった歯車が逆回転を始めたのだ。まさしくレジームの転換だった。

これがカネのちからだ。

<国民が金融制度に無知であれば、やがて国を滅ぼす>

おカネのちからを痛感した今こそ、国民は「金融制度」に真剣なまなざしを向けるべき時です。おカネが世界を変えるのです。そのおカネの仕組みとはいかなるものなのか?私たちは深く、十分に理解しなければならないはずです。ところが、大多数の国民は金融制度(通貨制度)についてほとんど「無知」なのです。驚くべき事ですが、おカネについての大多数の国民の知識はおよそ小学生のレベルを脱しません。

嘘だと思うなら、偉そうな説教をたれる会社の上司に「準備預金制度」について訊ねてみましょう。ほぼ確実に何も答えられないでしょう。それなら、もっと簡単なところで「紙幣と硬貨の起源の違い」について上司に訊ねてみてください。「紙と金属の違い」と答えたら、もはや幼稚園レベルです。紙幣と硬貨には、もっと根本的な違いがあるのです。

国民はもっと金融制度を勉強し理解しなければなりません。

金融制度を知らなかったために、われわれは日銀に騙され続け、

20年もデフレに苦しめられてきた事を忘れてはなりません。

カネのちからを知る、新しい時代はそこから始まるのです。

<おカネは富を生み出す道具>

おカネは富ではありません。おカネはそれそのものには何の価値もないものです。しかし、おカネは人を動かし、人が労働することで富が生み出されます。そしておカネは「その意味においてのみ価値がある」のです。そのことを如実に物語る現象が「バブル景気」です。

バブルとは資産が繰り返し売買されることで、資産の価格がどんどん上昇を続ける現象です。そして売買に使われた代金の一部は資産を買うこと以外に、消費へと流れ出します。消費へと流れ出したおカネが人々の購買力を高め、需要を増やし、供給力(生産力)を増やし、失業を減らします。これが経済成長と豊かな社会、すなわち「バブル景気」をもたらします。おカネさえあれば人々は働き、富を生み出すのです。人が働けば富が生まれるのです。

バブルで生み出されるおカネはどこから来るのでしょうか?そのおカネは単に民間銀行が貸付を増やすこと、すなわち「信用通貨」として、世の中のおカネをどんどんどんどん増やすことで生まれます。そうです、民間銀行がおカネを増やしているのです。おカネが増えるから、前よりももっとたくさんのおカネを払って資産を買うことができるのです。だから、資産価格が値上がりするのです。もし民間銀行がおカネを貸さなかったら、資産を買い続けることはできない、つまりバブルは起こらないのです。これは極めて重要なポイントです。

そして、増えたおカネは何の裏付けとなる価値もなく「無から生み出されたカネ」です。いわゆる「信用創造」とは無からおカネを生み出すことです。ところが、この無から生まれたおカネを借りて資産の売買を行ううちに世の中におカネが流れ出し、おカネが人々を動かし、富を生み出す。無から生み出されたカネが富を生み出す。たとえそのカネが偽札であろうとも、人がそれを「カネである」と信じれば、それは富を生み出す。これこそが「おカネ」の真実なのです。

<安定したおカネの供給が経済を安定させる>

しかし「バブル景気」は必ず崩壊します。溢れるおカネが富を生み出し、経済成長を謳歌した好景気も、やがてバブルの崩壊でおカネの供給が絶たれ終焉を迎えます。なぜバブルが崩壊するのか、それはバブルが借金の上に成り立っているからなのです。借金は必ず返済しなければならない。しかも利息とともに返済しなければならない。利息の支払いは、資産価格の値上がりがなければできません。つまり、資産価格が値下がりを始めると資産を売却しても借金の返済ができなくなる恐れがでてきます。こうなると、その時点から資産の買いより売りが多くなります。売りが先行するため資産価格が下落を始め、一度下落を始めると売りが売りを呼び、資産価格は相乗的に下落して崩壊します。そして借金の返済を前提として貸し付けを増やしてきた銀行は天文学的な不良債権を抱え、企業も資産価格の下落による莫大な含み損失を抱え、借金を前提とする現代の金融システムは凍りつきます。

なぜバブルによる通貨供給が不安定なのか?それはバブルが借金に依存したシステムだからです。

<借金に依存しない通貨システム>

しかし、借金に依存したバブルという方法ではなく、もっと別の方法によって、バブル景気の時と同じようにおカネを潤沢に社会へ供給すれば、景気が良くなるのではないか?バブルのように崩壊することなく、安定しておカネが社会に供給されれば、崩壊することなく好景気が続くのではないか?そう考えても不自然ではありません。それは難しい事なのでしょうか?いえ、極めて簡単なことです。

現代の通貨制度では、日本銀行が現金(=日銀券)を発行しますが、これが社会にそのまま流れ出すわけではありません。日銀が発行した現金はすべて日本銀行の中にある民間銀行の当座預金口座に入ります。銀行はその現金を利用して民間におカネを貸付けますが、日銀が発行した現金を貸すわけではありません。保有する現金を元に、預金通貨(預金)を作り出し、これを貸し付けるのです。預金通貨は現金と同様に扱われますが、現金ではありません。そして、預金通貨は預金準備率に応じて、保有する現金の何倍にも膨らませて貸し付けることが可能なのです。きつい言い方をするなら、民間銀行が日銀券を担保にして、その何倍ものおカネを民間に貸し付けることがバブルの原因なのです。

現代の通貨制度では、社会に供給されるすべてのおカネは、銀行が企業や個人に貸し付けることで初めて供給される仕組みなのです。すべてのおカネの供給が借金に依存しているのです。これを変えなければ、バブルを防ぐことも、バブルに依存せずにおカネを増やすこともできません。

ですが、これは銀行の既得権益を脅かすため、タブーとされてきた議論です。

この問題に正面から取り組む評論家は抹殺されるでしょう。

安定して潤沢な通貨を供給するには、銀行の借金に依存するのではなく、政府が発行したおカネ、つまり政府通貨を社会に直接供給すればよいのです。返済する必要のないおカネを社会に供給すれば、良いのです。たとえば、デフレの日本ではおカネの借り手が居ないので、金融緩和してもおカネが回らないという話があります。それは、社会へのおカネの供給を借金に頼っているからなのです。政府通貨を市場へ直接供給すれば、借りる人が居ようと居まいと関係ありません。確実に社会のおカネの量を増やすことができるのです。

<100%政府通貨で、バブルもバブル崩壊もない安定した通貨制度を>

政府通貨とは政府が発行するおカネです。政府通貨はいまでも発行されています。硬貨です。紙幣が日銀券つまり銀行券であるのに対して、現在流通している硬貨は政府通貨です。紙幣には「日本銀行券」と印刷されていますが、硬貨には「日本国」と刻印されています。つまり硬貨は政府通貨です。ですから政府が通貨を発行したところで問題はありません。では、どのように流通させるのか。

日銀の供給する「現金」は、民間銀行へ入り、そこから「貸し出し」として世の中へ流れ出します。借金依存の通貨供給システムです。一方、政府通貨はインフラなど社会資本や技術革新のための研究開発など知的インフラへ直接に投入します。このような分野への資金の投入は直接に収益をあげるのが難しいため、民間が借金に頼って投資するのは難しい。しかし、社会の進歩、人々の幸福実現のための基礎をつくる大切な投資です。ここに「利息のかからない政府通貨」を投入するのです。

たとえば、代替えエネルギーの開発などは非常にコストがかかります。もし政府の財政が赤字であれば、それがどんなに必要な投資であったとしても、国債を大量に発行して投資を行うことはできません。しかし、将来のために投資は必要です。それなら政府通貨を発行すれば良いのです。政府通貨は調達にコストがかからない資金です。財源が借金ではないため、投資が回収不能になっても不良債権化することはありません。そして、経済の成長率に合わせて、たとえばGDPの2~3%ずつ通貨を供給しつづければ、インフレになる心配もありません。実際には貯蓄によって、通貨の循環系から外れる通貨もあるため、貯蓄率に応じてさらに発行額を増やす必要もあるでしょう。つまり毎年10~20兆円を、社会資本や研究開発に投入することができます。投資すべき分野は民間のシンクタンクに競わせて提言させれば良いでしょう。官僚に任せてはいけません。

毎年10兆円も技術の研究開発をすれば、生産性が飛躍的に向上したり、

とんでもない製品が発明される期待大です。

もちろん研究開発は1例であり、他にもさまざまな福祉政策や公共のための支出に使うことができます。

<信用創造は停止し、バブルを退治する>

バブルは民間銀行が信用創造によって現金の何倍ものおカネを貸し付けることで起こります。ですから、バブルを退治するには民間銀行の信用創造を退治すれば良いのです。銀行は保有する現金の範囲でのみ貸し出しを行うこととします。私企業が勝手におカネを増やしてもらっては困るのです。それは預金準備率を徐々に高くすることで可能です。

信用創造を停止すると、金利が暴騰して経済が回らなくなる?ですから、徐々に行うのです。しかも考えてみてください。世の中は「銀行だらけ」です。はたして、こんなに銀行が必要なのでしょうか?単純に考えれば、銀行の数を半分に減らせば、必要経費は半分に減り、銀行を維持するために必要な金利も半分になる。なぜ、そのような議論がなされないのでしょう。公務員を削減しろという話は聞きますが、銀行を削減しろという話は聞いたことがありません。

そして、政府通貨を毎年毎年供給することで、すっかり借金に浸りきっている経済システムから、徐々に借金を抜いていきます。つまり、汚れた血を新鮮な血で徐々に置き換えてゆきます。効果は大企業から先に現れ、無借金の企業が増え始めると思います。このような企業は内部資金で投資を行うことが可能となり、銀行の借金に依存しません。ただし先行して貸し渋りが生じる可能性が大なので、中小企業への支援は必要となるかもしれません。

その場合に残される問題は、まったく新しい企業を立ち上げる場合に、いったい誰が資金を供給するかということです。政府が政府通貨で行っても良いのですが、官僚にまかせるのは良くありません。小口債権を多くの国民に販売するという、直接金融の新たな仕組みを創設すればよいと思います。

<IMFも100%政府通貨の効果を認めた論文を紹介>

世界の銀行を束ねるIMFが、驚くべきことに「信用創造の停止」を含む通貨制度の改革に関するレポートを紹介しています。銀行の既得権益を損なうこのようなレポートがIMF出されるのは非常に不思議です。それにしても、日本ではほとんど認知されていないようです。驚くべきことに、すべての通貨を政府通貨にして、政府の債務そのものをなくすれば、GDPが10%成長するとの試算がされたそうです。

※リンクしてあった動画が削除されていました。内容としては、通貨改革案として1929年大恐慌の後でフィッシャーらシカゴ学派の経済学者が中心になって政策提案された「シカゴプラン」を再検討したところ、非常に良好な結果が得られたというもの。

この動画に関するシカゴプランについての情報は以下。

http://a1morino.blogspot.jp/2008/12/blog-post_25.html

また、シカゴプランを元に米国で2008年に議会へ提出されたNEED法案に関する情報は以下。

http://aspos.web.fc2.com/newsyamaguchi.pdf

<貯蓄への課税により通貨の死蔵を防止する>

通貨の機能における最大の問題は貯蓄です。貯蓄されたおカネは財の生産と循環の場である市場から外れ、いわば「死蔵」された状態となります。おカネは市場において売買に使われることで、財の生産と交換を仲介します。ところが、おカネが貯蓄され、売買に使用されるおカネの量が減ると、経済はデフレへと突入します。「買う必要が無いから買わない、余ったおカネを貯蓄するのだから何が悪いのか?」という声が聞こえてきそうですが、過剰な貯蓄は悪い事です。なぜなら、市場経済のシステムを麻痺させるからです。

おカネを中心とした経済システムを採用する国家である以上、国民にはそのシステムを健全に動かすための義務があります。市場によりメリットを享受する人は等しくその義務を果たすべきです。その義務とは「カネを使う義務」です。カネを使わずに貯蓄として貯め込めば貯め込むほど経済システムは麻痺します。もちろん、ある一定の貯蓄を保有することは国民の権利でありましょう。しかし、度を越してカネを貯めこむ行為は、経済を麻痺させ、国家経済を衰退させる原因です。つまり、公共の福祉に反するのです。

多くの富を生み出し、社会に貢献している人々が、より多くの所得を得ることは当然だと思います。成果主義としての意味で所得格差が生まれることは許されるべきでしょう。しかし、度を越して貯めこむことは許されません。なぜなら、それは社会への貢献ではなく、むしろ害悪となるからです。「たくさん稼いだら、たくさん使え」。

たとえば、100%政府通貨にした場合でも、おカネがどんどん貯蓄に回されてしまうと、財の生産と交換に必要なおカネは慢性的に不足する状態となり、経済成長以上に通貨の供給を増やさねばなりません。それをどんどん続けてゆくと、やがて循環通貨の何倍もの貯蓄が銀行に貯め込まれた状態となります。これが突然のインフレを引き起こす原因ともなりかねません。物価の不安定要因となります。

そのような意味からも、100%政府通貨の政策と同時に税制も大きく改革し、退蔵される通貨、すなわち貯蓄を過剰に増やすことが無いよう、課税する必要があると思います。

<キプロス預金課税の提案は貯蓄への課税のきっかけとなるか>

驚くべきことに、この記事を執筆している最中に「キプロス預金課税」の情報が飛び込んできました。これまで資産家と銀行の聖域とされて、決して課税される事のなかった「預金」に課税するというのです。デフォルトの危険性が生じたキプロス政府に対する融資の条件としてEU財務相会議が示した結論は、キプロス内の銀行口座のすべての預金に最大10%の課税を1回に限り行うというものでした。わずか1回とはいえ、前例ができることの意味は絶大であり、EU各国は大騒ぎになりました。

しかし、これはもしかすると貯蓄への課税に対する動きに繋がるかも知れません。

なぜIMFが信用創造の停止と100%政府通貨のレポートを出し、EU(ECB)が預金への課税を打ち出したのか?非常に興味深い行動です。その背景には必ず利害の衝突があるはずです。はたしてこれで誰が得をし、誰が損をするのか?少なくとも「公共の福祉」のために行われているはずがない事だけは明白です。

今後は、ますます目が離せなくなりそうです。

2012年頃の記事