歴史教育・歴史認識は有害である

2015.6.13

<対立を生む歴史教育は逆効果である>

(ねこ)

日韓が歴史教育や歴史認識の内容について激しく対立しているにゃ。そんなに歴史教育や歴史認識は大切なのかにゃあ。

(じいちゃん)

歴史教育や歴史認識は大切ではない。ワシはむしろ有害かつ問題があると考えておる。結局のところ歴史教育の結果として、日韓あるいは日中の対立が生まれているのであって、互いに憎み合うだけの歴史教育などまったくもって不要じゃ。友好を生み出す歴史教育は有益じゃが、対立を生む歴史教育は不毛に過ぎない。百害あって一利なしじゃ。

(ねこ)

んじゃあ、伊藤博文も安重根もすべて教える必要がないのかにゃあ。

(じいちゃん)

そういう話ではない。歴史的事実の研究と歴史教育は違うものだと考えておる。なんでもかんでも事実を教えることが教育ではない。教育の目的とは知識の習得であると同時に人格の形成でもある。知識は原則的に有益であらねばならないし、人格は原則的にゆがみのない健全な性格でなければならない。学校を卒業して社会に出れば、その後の人生経験における学習によって無益な知識や性格特性のゆがみが生じるものじゃ。しかし学校教育においては、あくまでも「まっすぐ」に育てる必要があるじゃろう。

そのため、教育の場において教えられる知識の内容は取捨選択されるのが当然じゃし、どこの国でも実際にそうしておるはずじゃ。教科書検定などはまさにそれである。この取捨選択の基準が国によって異なるのは当然の事じゃろう。

(ねこ)

そうなのにゃ。ハッキリ言えば、どんな国も自分に都合の良い歴史を教えるのにゃ。チンギスハンが何万人も虐殺して世界は阿鼻叫喚の地獄になったけど、チンギスハンは大悪人だとかモンゴルでは教えないはずだにゃ。イギリスが100年戦争でフランスに侵略してフランス人を何万人も虐殺したけど、だからといってフランスが虐殺記念館を作って殺された人の模型を展示して「歴史を忘れるな」などと教育したりはしないにゃ。それがあたりまえにゃ。

(じいちゃん)

左様じゃな。ところで、中国共産党や韓国政府が好んで使う言葉に「歴史を忘れてはならない」がある。この言葉はちょっと聞くともっともらしく聞こえるが、上記の考えから言えば、まったく間違っている。なぜなら、歴史には人々に与えるべき情報と、与える必要のない情報の2種類があることを無視しているからだ。そして、中国政府や韓国政府が「歴史を忘れてはならない」との言葉を使うとき、その言葉と同時に人々にあたえている歴史に関する情報が、本当に必要な情報であるかどうかという点は疑わしい。

たとえば「南京大虐殺30万人」がある。これが事実であるかどうかは疑問じゃが、仮に事実だとしても、それを民族の記憶として永遠に後世に伝える事で、中国の人民がどのようなメリットを得られるのか?しかも、人民に与えられる情報はそれだけではない。大虐殺記念館において根拠の乏しい資料や、想像を元に作られた虐殺人形模型などの情報を用いることで見る人々の感情のコントロールまで行っている。仮に虐殺が事実であったとしても、そのような負の感情を刺激する手法を用いて、民族の記憶として永遠に後世に伝える事で、中国の人民がどのようなメリットを得られるのか?

たとえば、百年戦争の記念館をフランスに作って、残虐非道の限りを尽くすイギリス人を登場させ、フランス人の憎悪をかき立てればどうなるか?フランス人にとってどんなメリットがあるのか。

(ねこ)

メリットなんかないにゃ。だからフランスもそんな馬鹿なことはしないのにゃ。でも、中国や韓国が主張するように、「謝罪と許し」によって解決したのかにゃあ。イギリスが謝罪したのかにゃ。フランス人がイギリス人を許した結果なのかにゃ。

(じいちゃん)

イギリスが謝罪したのか、フランスはイギリスを許したのか。そんなことはないじゃろう。もし明日にでもフランスが100年戦争虐殺記念館を作って死体の模型を展示したり、人々が虐殺される動画を流して全国に発信すれば「イギリス人め、殺してやる」というフランス人が続々と出てくるはずじゃ。アフリカ諸国に奴隷狩り記念館を建設し、インドに植民地虐殺記念館を作って、恐ろしい模型を展示して人々の感情を操作すれば、世界中に憎悪の嵐が吹き荒れるじゃろう。つまり、許したんじゃなくて、生々しい現実を忘れたのじゃ。歴史的な事実が感情と切り離されて、客観化されたのじゃよ。そして、それこそが歴史問題の解決の唯一の方法であるはずじゃ。ある意味では残虐な現実を「忘れる」ことで解決したのじゃ。

(ねこ)

そうなのにゃ、中国や韓国が「虐殺記念館」で人々に残酷で生々しい情報を伝え続ける限り、1000年経っても中国人や韓国人は日本を恨み、呪い続けるにゃ。中国や韓国は生々しい現実の記憶を永遠にとどめることで、歴史問題を永久に解決不能にしているのにゃ。

(じいちゃん)

その通りじゃ。じゃから日本政府が何百回も謝罪したところで、未来永劫に解決することはないと断言できるのじゃよ。生々しい歴史の記憶を忘れる事によって、はじめて友好関係が成り立つ。中国や韓国の歴史教育が現在のような内容のままであれば、歴史問題は未来永劫に解決しない。残念ながら日本の行動によって解決することはできない。

では、永遠に歴史問題によって日中、日韓の関係が険悪な状態が続くとすれば、それによって中国や韓国の人々が具体的にどのようなメリットを得られるのじゃろうか。逆に、どのようなデメリットを被る可能性があるじゃろうか。そうしたことを、中国や韓国の国民は良く考えていただきたいものじゃ。

(ねこ)

う~ん、確かに「今を生きる人々」にとって、「歴史を忘れるな」といって被害者の記憶を生々しく後世に伝えたとしても、何の利益もないはずにゃ。逆に歴史を忘れることのメリットなら沢山あるのにゃ。中国、韓国、日本の友好関係が成立して交易も盛んになるし、技術交流も可能になるにゃ。不思議だにゃ、なんでそんな風に冷静に考えることができないのかにゃあ。

(じいちゃん)

恐らく、中国と韓国の政府・政治家にとっては、人々の生活向上よりも、自分たちの権力を維持することに興味があるのじゃろうな。じゃから自国民を「扇動」するのじゃ。冷静な人々を扇動することは非常に難しいが、感情的になった人々を扇動するのは容易いことじゃ。人々の感情を刺激するには歴史問題は最高の装置になる。

「歴史を忘れてはならない」という言葉は中国や韓国が仕掛ける暗示じゃ。「歴史を忘れてはならない」のではなく、「無益な歴史は忘れるべきである」が正しいはずじゃ。たとえば、南京大虐殺の生々しい記憶を忘れたとしても、それが今の中国の人にどんな損失となるのじゃろうか。あるいは日本の韓国統治が当時としてはすばらしいものだったとしたら、それが今の韓国の人にどんな損失となるのじゃろうか。損失となるはずがない。

正しい歴史認識の上に成り立つ友好はあり得ない。歴史の忘却の上にしか友好はあり得ない。

歴史問題の道徳的な解決はあり得ない。解決は善悪の彼岸にあるのじゃ。