貧困問題を解決する方法

2015.2.2

<貧困の原因は何か>

(ねこ)

ピケティ氏の著書「21世紀の資本」の影響もあってか、最近は貧困や格差の問題が取りざたされているにゃ。問題意識を持つことは良い事なのにゃ。ところで、日本の貧困層は年々増加しているにゃ(貧困率1985年12%→2010年16%)。貧困の原因はどこにあるのかにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃな、考えるほどたくさん出てくるのではないかとおもう。ところで貧困の原因も日本と外国では違う事情もあるはずじゃ。そこで今回は、とりあえず日本について考えてみようと思う。貧困を増やしている原因は大きくいくつかの種類に分類されると考えられる。それを順に考えてみよう。

1)貧困の原因が本人にある場合

①先天的なもの。身体障害・疾病や性格などによる就労困難。

先天的なものは、これは本人が努力しても限界がある。じゃから日本国憲法25条に謳う「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」の理念を実現するため、社会福祉は絶対に欠かせない。身体的障害や疾病ではなく、性格的な理由で就労がむずかしい場合も、生活支援や就業支援のサポートが必要になるじゃろう。もちろん、就労の困難さには程度があるので、その程度に応じて社会に役立つ何かを担ってくれれば、それでよいじゃろうと思う。無理やり国民すべてに同じレベルで労働を求めても酷な話じゃ。これを具体化するのはなかなか難しいのじゃが、そうした取り組みを行う人々が居て、確実に効果を出しつつあるようじゃ。財政的なバックアップにもっと力を入れて欲しいのう。このような対策は、ミクロ政策(個別政策)の分野じゃ。

②いわゆる「努力」が足りないとされる場合(雇用先が求める能力、技能を満たすことができない)。

一方、貧困の話をすると、必ず「努力が足りない」という話が出てくる。先天的な原因がある場合を除いて、貧困なのは本人に責任があるという主張じゃ。しかし、この理屈ある一面では正論に聞こえるかも知れんが、実際には経済に関する知識不足からくる、ステレオタイプな考えかたじゃと思う。もちろん努力することが大切であることに疑問の余地はない。じゃが、どれほど努力しても、それが「誰かを蹴落とす」結果でしかチャンスをつかめないのだとしたら、不毛というほかないじゃろう。それは、どういうことか。

経済がデフレ不況の状態では、商品を作っても売れないから企業は生産を控えるようになり、人手があまってしまう。だから人を採用する企業はほとんどおらん。求人数より求職数が多いため、すべての求職者が就職することは物理的に不可能じゃ。それを椅子取りゲームに例えることが出来るじゃろう。椅子が求人、椅子に座っているのが就職している人じゃ。その場にいる人数より椅子の数が少なければ、どれほど努力しても全員が椅子に座ることはできない。もし、ある人が努力して椅子に座ったとしたら、その人は椅子に座ることができても、代わりに別の誰かが椅子から追い出されることになる。これでは社会の不幸は何も解決しないのじゃ。椅子を増やさねば問題は解決できない。

椅子の数が少ない事が失業の根本的な原因なのであって、努力不足ではない。それはマクロ的な視点から説明できる。企業も個人も、マクロ経済という釈迦の手の上で踊っているに過ぎんのじゃ。

2)マクロ経済に原因がある場合

①デフレ不況に伴う 求人数の不足(失業)

先ほども述べたように、経済がデフレ不況じゃと全員が座るだけの椅子がない。じゃから座れない人が必ず出てしまう。これが失業であり、失業すると公的補助を受けない限り収入はゼロじゃ。失業が長期化すれば貧困化は免れない。失業者は生活保護受給者を増やし、それが他の国民の税負担を増やすため、他の国民の消費意欲が低下し、ますます景気が悪化する。景気が悪化すると、さらに失業が悪化する。じゃからデフレが続く限り貧困は増え続ける事になるのじゃ。

②デフレ不況に伴う 労働市場における賃金の低下

また、経済がデフレ不況になると労働市場では労働力が過剰となるため、労働者の賃金が市場原理により低下する。特にパートタイマーなどの単純労働や派遣社員などの一時雇用者の賃金は低下する。このような低賃金こそがブラック企業や派遣業者の台頭を支えてきた側面があるのじゃ。労働者は、いかにブラックな会社だとわかっていても、失業して一切の収入を絶たれてしまえば、生活保護かホームレスになるしかない。つまり極端に言えば、彼らに待つのは「過労死か生活破綻か」の二者択一になる。デフレが続く限り貧困層の労働はより過酷なものとなるじゃろう。

3)経済システムそのものに問題がある場合

①所得が成果に応じて分配されているのか?

最近は「成果主義」という言葉が流行りじゃが、では果たして本当に成果に基づいて所得が分配されているかと言えば、そうとは言い切れんじゃろう。給与など報酬で支払われる金額は、賃金のシステムに基づいて決まるが、そのシステムが公平であると客観的に評価できる仕組みなど聞いたことが無い。結局のところ、市場経済で勝ち残った企業の採用していた賃金システムが「良い」とされているにすぎず、もしそれが公平性に欠けるものだとしても、それは許される事になる。

このような結果オーライの市場原理主義に蔓延する「神の手」的な発想は、ミクロ的に正しことを積み上げればマクロ的にも最適化されるという神話のようなもので、合成の誤謬が示すように、かえってマクロ的には経済環境を悪化させる危険性がある。つまり、結果オーライで賃金システムの善し悪しを決める事が良いとは限らない。マクロ的には逆効果かもしれん。「成果主義」というだけでは、それで正しい成果配分が行われているかどうかを判断することは不可能じゃと思う。

格差拡大が経済成長にマイナスの影響を及ぼすというOECDの報告さえ出される時代である。いまや成果主義ありきではなく、マクロ環境へ与える影響も考慮しつつ、社会全体の経済ポテンシャルを最適化することができる「新しい賃金体系のモデル」を打ち出す必要があるのではないかと思う。その結果、もしかすると年功序列型の昇給曲線をベースとした日本型の賃金体系が再評価される気もするのじゃ。もちろん修正は必要じゃろうが。

②資産取引(金融街)の生み出すカネに依存しすぎる経済

低成長の時代に突入した結果、利潤を求めるためには、付加価値を生み出す活動である実体経済に投資するよりも、資産市場へ投資してその値上がり益を得る方が遥かに魅力的となった。そして、今や経済活動は資産価格の上昇によって市場へ流れ出すカネに依存するようになっているのじゃ。そのため、ほとんど付加価値を生み出していない「資産転がし」が、経済活動の中心的活動に踊り出た。

そのことが、さらに酷い不平等を生み出しておる。金融緩和で生み出されたマネーは、資産転がしを通じて「合法的に」投資家や資産家の所得に移転され、また、取引の際に支払われる手数料を通じて、金融機関の役員や社員の高い報酬に化ける。あくまで合法に。このような活動が所得格差を生み出さないとすれば奇跡であろう。ところが最近は、このような格差を「経済成長のインセンティブ」と呼ぶことがマスコミで流行しておるようじゃ。

<経済分野における貧困解消の方向性>

(ねこ)

なるほどにゃ、貧困のおよその原因はわかったのにゃ。どんなふうに貧困問題を解消するのかにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃな、本コラムでは経済を取り上げておるので、ここでは個別政策では無く、マクロ政策について考えてみようと思う。まずは、大枠の方向性について考えてみよう。

①分配すべきパイを大きくする

貧困を解消するには分配量を増やさねばならない。経済は生産と分配が基本じゃから、国民一人一人の分配量を増やすためには、生産量を増やすことが効果的じゃ。じゃから貧困解消のためには、経済成長が欠かせない。経済成長もしないで再分配ばかりしていれば、やがてみんな貧しくなってしまう。

ところが、左派の中には「もう日本は成長しない」という論者もいる。しかし肝心なのは国全体のGDPの成長ではなく、1人当たりのGDPの成長が重要という点じゃ。高齢化による生産年齢人口の減少が続けば、総量としてのGDPは伸び悩むことになる。じゃが、国民の豊かさを決めるのは一人あたりのGDPじゃ。仮に国全体としてのGDPが減少したとしても、国民一人あたりのGDPが増加し続ける限り、国民の生活は向上し続ける。もし、そうならないとしたら、誰かのところに、分配が偏っていることに原因がある。つまり、それは配分の問題じゃ。

②再分配の強化

いくら経済成長しても、富裕層の所得の伸びが貧困層の所得の伸びよりはるかに大きければ、格差は拡大する(r>g)。格差問題は景気の良い時はあまり問題になりにくい。しかし格差は不況などのきっかけで容易に貧困層を生み出す原因になる(ぎりぎりの生活をしている人は不況になると生活に支障が出やすい)。じゃから、貧困の根本的な解消には格差の縮小は欠かせない、ゆえに再分配を強化する必要があると考えておるのじゃ。

ピケティ教授によれば、資本主義の社会では貧富の格差が拡大する傾向があるため、富裕層への課税を強化すべきだという。ところが逆に、今までの日本の税制は一貫して「富裕層の税負担の軽減」の流れにあった。その結果、地方税と所得税を合わせて昭和59年に88%であった最高税率は、平成元年に65%、平成11年には50%へと引き下げられた。そのうえ、小泉政権の頃から2013年まで、景気対策と称して株式の配当所得課税を半分の10%に軽減しておった。富裕層の税負担を軽減すると、景気が良くなるというもっぱらの話じゃったが、まったくウソだった。

ということは、富裕層の税を軽減してきた今までの流れは「間違い」であったわけじゃ。それなら「税率を元に戻す必要がある」と考えるのも不自然ではないじゃろう。せめて平成元年のレベルにまで戻してもらいたいのう。もちろん、再分配をあまりにも強化すると、それはそれで問題があること言うまでも無い。

③完全雇用に近づける

分配すべきパイが大きくなっても、失業していれば十分な分配を得る事はできない。いかに失業者を減らすかが重要になる。失業者が就職して収入を得るようになれば、社会における消費も増え、景気は良い循環を始めるようになるはずじゃ。そして完全雇用状態になると、人手が不足するようになるため、労働市場における労働者の賃金が市場原理によって上昇を始める。これによって最低賃金は上昇し、貧困層の所得引き上げにつながる。そのために有効なのは、やはり景気を回復させる事じゃ。

ただし注意が必要なのは、外国人の移民を労働者として受け入れる話じゃ。低賃金労働者を使役することで成長してきたブラック系の企業は、低賃金で酷使可能な外国人労働者をのどから手が出るほど欲しているはずじゃ。そうなれば、日本人と外国人の間で低賃金争いとなり、労働条件は悪化するじゃろう。

<具体的な方法論>

それでは、具体的にどんなマクロ政策を行うべきじゃろうか。これには短期・中期的に取り組むべき方法と、長期的に取り組むべき方法があると考えておる。短・中期的な政策は「対症療法」としての意味合いが強い。つまり、その政策で社会に多少の副作用が生じたとしても、貧困層の痛みを緩和し、最悪の状態を早急に脱却するために用いられる。一方、長期的な政策は「根治療法」としての意味合いが強く、貧困を生み出すメカニズムそのものを除去し、貧困状態が発生することを未然に防ぐ目的で行われる。

なお、長期的な政策についてまで踏み込むと、かなり先が長くなってしまうし、貧困対策に限らず、成長の長期ビジョンにかかわる話題なので、長期的な政策についてはまた別の機会にしたいと思う。

短期・中期的な方法

A)デフレ不況からの脱却

貧困問題の大きな原因は「不況」にある。世の中のおカネが回らないという「デフレ不況」のために、日本の生産資本の稼働率が低下しておるのじゃ。おカネが回らないため、生産能力が十分に発揮されていない。そのため、本来ならすべての人の生活を豊かにするために十分なだけの生産力があるにも関わらず、それが働いていないのじゃ(デフレギャップ)。まず最優先なのは、日本の生産能力の稼働率を限りなく100%に近づける事じゃ。そうすれば、財の生産は最大化される。あとは、それをどのように国民が分配するかという、そのシステムを考えればよい。

①金融緩和(現金を増やす)

おカネが回らない原因はいろいろ言われておる。人々が貯蓄ばかりして消費を増やさないとか、大企業が利益を貯め込んでいるとか、経済成長しないから投資がされないとか。そうした原因に対して個別に対策を考えるのも一つの方法だが、失われた20年のあいだに試された政策は、ほとんど効果をあげられていない。そこで、カネが回らないことがデフレ現象なのじゃから、強引にでもカネを回してやればデフレから抜け出すことはできるだろうと考えても不思議ではない。ぬかるみにはまった自動車をまずわだちから出さん事には先へ進まんのじゃ。そこで登場するのが金融緩和じゃ。金融緩和とは簡単に言えば、中央銀行が現金を発行することじゃ。そして発行したおカネを世の中に流せばカネ回りが良くなるはずだ。では、発行した現金をどのように市中に流すか?それによって、いくつかの方法論があるのじゃ。以下にそれを紹介しようと思う。

②銀行からの貸出の拡大(日銀による発行済み国債の買い入れ)

市中のおカネを増やすために現在行われている方法は、銀行から企業などへの貸し出しの拡大じゃ。そのために日銀は、発行した現金を使って民間銀行の保有する発行済み国債を買い入れておる。買い入れた国債の支払代金として、日銀が民間銀行に現金を供給し、その現金を元手にして、民間銀行が企業に貸し付けすることで、借金として市中におカネが供給される。

ここで重要な事は、市中に出回るおカネはすべて企業などが銀行から借りた「借金」であるという事じゃ。そのため、不況の日本ではなかなか借り手が居ない。その結果、資金は株式や不動産などの資産市場へ向けられることになる。資産市場では、資産の値上がりにより「簡単に利益を得られる」からじゃ。かくして、株式市場は空前の活況を呈するようになる。

確かに資産市場が活性化すれば、やがてその影響は実体経済にも波及するようになるじゃろう。加えて、金融緩和でインフレ予想が進むと実質金利が低下し、投資しやすくなることは確かじゃ。じゃから、国債の買い入れも決して無駄ではない。じゃからワシは反対しておらん。しかし、実際に体感できるほどの効果が表れるまでには時間が必要じゃ。しかも、それで貧困層の人々の所得が増える可能性はあるが、確証があるわけではない。分配の問題が横たわっているからじゃ。貧困層におカネが回る前に誰かに吸い取られれば、貧困は解決しない。

③公共投資の拡大(日銀による国債直接引き受け)

もっと直接的に市中へおカネを投入する方法としては、公共投資がある。最近のマスコミは「公共投資」と聞けば条件反射で「バラマキ無駄使い」と答えるほど、ステレオタイプな思考に固まっておる。じゃが、トンネル崩落を例に挙げるまでも無く日本には老朽化したインフラが多数あり、それらを更新する必要があるのじゃ。もちろん大地震に対する耐震性強化も課題じゃ。

それだけではない、たとえば日本のエネルギー自給率を高め、脱原発をすすめるためのインフラ投資も必要じゃ。公的な高齢者介護サービス付き集合住宅を建設し、効率的な介護体制の構築も必要じゃ。これにより年金の少ない高齢者の住宅を確保できる。そして、低所得者向けの格安の公営住宅もまだまだ供給する必要はあるはずじゃ。住居だけでも格安や無料になれば、貧困層の生活は格段に改善される。良く検討すれば、人々の生活向上や日本の将来のために投資すべきインフラはまだまだあるはずじゃ。ところが財務省から完全洗脳を受けておるマスコミは、公共投資と聞けば反射的にヒステリックな反応を示すが、冗談ではない。

こうした公共投資に対してマスコミはすぐ「財源がない」と言い切る。じゃが、史上前例のない金額の現金を日銀が発行しておるのに「財源がない」とはおかしな話じゃ。日銀が発行した現金で、政府の新規国債を買い取れば、現金が直接政府に入る。これを使って公共投資を行えば、財源の心配などまったく無用じゃ。確かに政府の国債発行残高は増えるが、それを日銀が保有している限り財政負担は悪化しない。なぜなら日銀は政府の銀行じゃから、永久に借り換えができるし、利払いで日銀に払ったおカネも政府の収入になるからじゃ。

このような「日銀の国債直接引き受け」は財政ファイナンスだ、禁じ手だと騒がれるが、そんな岩盤規制のような事を言っているようでは、前代未聞のデフレ不況を克服できんと思う。延々と国債の引き受けを続けるわけでもあるまいし、景気回復まで、まずは万策を尽くすことが重要じゃと思う。

④ヘリコプターマネー

景気浮揚のために最も即効性があり、かつ強力な方法として、ワシはヘリコプタマネーの導入を主張しておる。ヘリコプターマネーとは、金融緩和などで発行した現金を民間銀行に流すのではなく、国民に直接分配する方法じゃ。そうすれば国民の購買力が直接増えて、消費が確実に増える。消費が増えれば、企業の売り上げが増え、企業は利益が増えるから、生産増強のために設備投資をしたり、雇用を増やしたり、賃金を上げることが出来る。つまり、消費者は財を手にすることが出来るし、企業は売り上げを増やすことが出来る。何が悪いのじゃろうか?

ところがマスコミは、カネを国民から巻き上げる「消費税増税」には極めて熱心じゃが、カネを国民に配る「ヘリコプターマネー」は大嫌いなようじゃ。ヘリコプタマネーの考えは珍しいものではないのじゃが、なぜかマスコミは一切無視して、単語すら出さない。あまりに徹底しているので、何か意図があるような気がしてくる。そうなると、変人のワシとしては、何としてもこれを世間に広めたいという衝動にかられる。

日銀は異次元緩和として年間50兆円ペースでマネタリーベース(現金)を増やすとしていたが、これを80兆円に拡大した。80兆円と言えば、仮に日本の人口を1億人とすると国民一人当たり80万円にもなる。現在のGDPをおよそ500兆円とすれば、金融緩和マネーの半分でも国民に支給すれば、GDPは8%ちかく成長する可能性がある。仮に支給した金額の半分が貯蓄されたままだとしても4%の経済成長となる。もし現金そのものではなく、使用期限付き商品券なら、貯蓄される率も低くなるじゃろう。

ではなぜマスコミが無視を決め込んでいるのか?それはヘリコプターマネーが富裕層にとっては何のメリットにもならないからじゃと考えておる。ヘリコプターマネーのメリットは、所得が低ければ低いほど大きくなる。だが、富裕層にとっては、そんなものは「はしたがね」に過ぎない。それよりも、もしヘリコプターマネーで物価が上昇すれば、貯め込んでいるカネの価値が落ちてしまう。それを心配しておるのじゃろう。

実のところ「資産課税」もマスコミは無視してきた。資産課税は富裕層にとっては何のメリットもない。だから大昔から資産課税の考えはあるが、ピケティ氏の「21世紀の資本」が脚光を浴びるまでは、どこのマスコミにも「資産課税」などという単語は一切出てこなかった。じゃが、今はどうじゃ?マスコミとは、そういうものじゃ。余談じゃが、一つ予言しておこう。まもなくピケティ潰しが始まると。

B)税制改革(再分配のための財源)

デフレ不況から脱却するとともに、再分配についても検討する必要があるじゃろう。とはいえ、当面は年金と社会福祉の財源を安定させねばならないじゃろう。そうしなければ、財務省が喜んで消費税をどんどんどんどん増税することになる。

①所得税率を過去の税率に戻す

先にも書いたが、日本では一貫して富裕層の税率を引き下げてきた。じゃが、資本主義では富める者がますます富むという事実が明らかになったことで、富裕層の税率を下げてきた政策が間違いであることが明らかとなった。つまり、税率を元に戻す必要があるということじゃ。たとえば、最高税率を80%まで戻す。

ただし、必ずしも所得税の税率強化にこだわる必要はないじゃろう。もし資産課税を導入して富裕層の課税を強化するのであれば、所得税率を引き上げる必要はない。むしろ所得税を減税する政策もありじゃと思う。所得税を減税して、起業家の意欲を高めることは、経済成長にとってプラスとなるじゃろう。しかし、富裕層による資産課税の導入に対するの抵抗は極めて激しいと考えられるので、資産課税は簡単には実現できない。そうなると、所得税を強化する政策が現実的な選択となるじゃろう。

②個人への資産課税

資産と言っても現金・預金もあれば、株式や証券などもあるし、土地建物のような不動産もある。不動産はすでに課税されておるから対象外じゃし、株式などは配当が無い場合もあるので、持っているだけで課税されてはかなわんじゃろう。株式等の売買益には別途課税されておるので、必要に応じて税率を引き上げれば良いじゃろう。したがって、基本的に資産への課税は「現金・預金」に課税するだけで十分ではないかと思うのじゃ。

その一方「資産への課税は働く意欲を損なう」という批判もある。そこで、所得税の減税をセットで行えばよい。給与所得や役員報酬などへの課税を軽減するのじゃ。こうすれば、起業家や頑張って働いている人々の報酬は逆に増える事になる。ただし、使わないで貯め込めば、課税対象となる。たくさん稼いだら、たくさん使う。それが健全じゃろう。

逆に、いくら努力しても資産を持っている奴にかなわないとわかれば、多くの人の働く意欲が損なわれる。そうではなく、努力すれば資産をもっている奴と同じになれるという社会にしないと、ますます成長が阻害されるのではないじゃろうか。所得税を減税し資産課税を導入することが、働く人々のモチベーションを高めることになるはずじゃ。

資産課税を「重税」と称する人がマスコミに散見される。じゃが、資産課税はせいぜい1~3%じゃろう。どこが重税なのじゃろうか?しかもピケティ教授によれば、資本収益率は平均で5%あるという。1~3%を課税されたとしても、資産が減ることはないのではないか。もちろん、所得税を減税するなら、資産課税の率はもう少し高めにする必要はあるじゃろう。

③法人への資産課税

また、資産課税の範囲を個人だけではなく、法人に広げるべきじゃと考えておる。企業が莫大な内部留保を貯め込んでおることが最近よく報じられておるが、内部留保もおカネを寝かせてしまうことになるから、資本主義経済ではそれこそ「禁じ手」となる。寝かせるくらいなら、世の中に還元した方が良い。

個人と法人の現預金を合わせれば1000兆円近くあるじゃろう。それに平均で1%の課税を行えば、10兆円の税収となる。消費税は1%で2兆円の増収というから、消費税5%分の税収が得られることになる。また、所得税を減税するかわりに資産課税の税率を平均2%にするなどもありじゃろう。

ちなみに、もしヘリコプターマネーを実施すれば、企業には相当の利益が出るから、法人税の税率を上げずとも税収が大幅に自然増加するはずじゃ。資産課税と法人税の税収増により財政は劇的に改善されると期待できる。これらの税収を利用して社会保障の財源とするほか、財政再建、国土強靭化や新エネルギー開発(脱原発)などの公共投資へ一部を充てることも可能じゃろう。

<カネに対する古ぼけた常識を捨てるべき時代>

おカネに関する古ぼけた常識に縛られていては、技術革新により変化する経済状況に適切に対応できるとは到底思えないのじゃ。それに、おカネの特性も時代と共に変貌をとげておる。昔の紙幣は兌換通貨だったから、ある意味、価値は金で保障されていた。しかし、そのことが国際貿易の活発化という状況に適合せず、経済を低迷させる原因となり、管理通貨制度に移行した。もはや通貨には価値の裏付も無くなった。そしてさらに、世界的に量的緩和が実施されるようになり、以前とは比較にならない量のおカネが発行される時代になった。しかし、人々のおカネに対する常識は100年前のままではなかろうか。

おカネには何の価値もない。おカネはそれが市場経済で循環することによって財を生み出す触媒であり、触媒そのものには価値はない。だから、触媒をどう使うか、それこそが経済システムを動かす鍵になる。触媒を後生大事にしていても、経済は死に絶えるだけだ。触媒を大事にするより、触媒を使って財を生み出すべきなのじゃ。

だが、新聞マスコミも多くの既存の経済論者も、何かカネがらみの政策をやれば「禁じ手だ」「財政ファイナンスだ」「ハイパーインフレだ」という。しかし、量的緩和が世界中に広がる時代にあって、おカネの用法は確実に変化しつつある。

おカネの価値にしがみ付くのではなく、おカネをどう利用するか。

おカネの理論に振り回されるのではなく、おカネを道具としてどう使いこなすか。

おカネの価値を盲信し、ひたすら貯め込み、ひたすら増やす連中がおる限り、

貧困が日本から消え去ることはないじゃろう。