資本主義は地球を食い潰す

「資本主義は地球を食い潰す」。何やら古めかしい共産主義者の物言いにも聞こえるこの主張は、新しいものではありません。しかし、この考えはもう過去のものになってしまったのでしょうか?ソビエトそして東欧などの共産主義国家が自滅した後、資本主義こそが優れた唯一の経済体制であるかのごとく語られ、その致命的な欠陥は忘れられてしまったかのようです。

しかし、資本主義の致命的な欠陥は何ら解決される事無く、今もその矛盾によって確実に地球環境は蝕ばまれつつあります。このまま資本主義、特に新自由主義的な市場原理主義を放置すれば確実に地球は破滅するでしょう。共産主義でもなく、資本主義でもない、本当に持続可能な経済のシステムの構築こそ、人類に突きつけられている課題なのです。

<資本主義は飽くなき「生産と消費」が前提のシステム>

資本主義は持続不能です。なぜなら、利潤のために飽くなき「生産と消費の拡大」を必要とするからです。古くから日本の美徳とされてきた「質素倹約」「もったいない」などの価値観は通用しません。資本主義は価値観がすべてカネで評価され、利潤をひたすら増やす方向にのみ向かおうとするエントロピーを有するからです。決して逆には流れません。具体的にはどういうことか考えてみましょう。

資本主義における生産主体である企業は、利潤を求めます。利潤を最大化することを求めます。近年のグローバル化により企業間競争は激化し、その傾向はますます強くなっています。利潤をあげられない企業は淘汰されますから、必然的に利潤優先の企業のみが残ります。

企業が利潤をあげる方法は、製造業であれば商品を生産し、それを販売する事で成り立ちます。すると、より多くの商品を生産し、より多くの商品を販売する事が利潤の最大化になります。ですから企業は大量生産、大量消費をますます指向する様になります。世界人口が今も年々増加し、しかも途上国の人々が、グローバル経済の影響により購買力を付け、凄まじい勢いで消費を始めるようになります。こんな強欲な人類の消費に地球環境は耐えられるのでしょうか?この指数関数的な生産と消費の爆発の背景にあるのは、ひたすら利潤を求める「資本主義の価値観」に他なりません。その負の側面は「新自由主義的な市場原理主義」により、より過激になります。

そして、資本主義は人々が生活の知恵として培ってきた美徳、価値観を破壊します。大量生産、大量消費が美徳とされ、凄まじい速度でモデルチェンジが仕掛けられて、商品はあっというまに古くなり、捨てられます。物を大切に長く使うという美徳は捨てられ、次々に発売される新商品に飛びつき、古い商品をどんどん捨てる。しかしこれこそが利潤を最大化する方法であり、資本主義である以上は、これを誰にも止める事はできないのです。

<リサイクルのまやかし>

しかし、そのような批判が近年高まり、あらたな動きが活発化しています。リサイクルです。しかし現在のリサイクルのレベルはあまりにもお粗末です。資源の回収率はあまりにも低く、おざなりであり、地球環境を守るためというより、批判を避けるために行われているにすぎません。リサイクル出来ない大量のゴミは環境問題にうるさい先進国で処分されるのではなく、途上国に大量に持ち込まれて投棄されている状況です。現状のリサイクル技術では、資本主義が吐き出す大量のゴミを処分することなど到底不可能なのです。リサイクルは先進国の一部で行われているに過ぎないのです。

しかも、仮にリサイクルが100%可能になったところで、生産には大量のエネルギーを必要とします。エネルギーは回収できませんから、極めて大量のエネルギーが必要となります。そのエネルギー源のほとんどが石油などの炭化物です。自然エネルギーの開発が進められているとはいえ、技術力と投資が必要であり、途上国の急激なエネルギー需要に対応できるはずもありません。実際、石油の消費量は減るどころか、どんどん増え続けているではありませんか。

すなわち、リサイクルなどは世界のごく一部の先進国での話であり、資本主義の原理がもたらす「大量生産、大量消費」の膨張は止まるどころか、むしろグローバリズムの波に乗って加速度的に世界中に拡大を続け、地球を確実に破壊しているのです。

<途上国はバランスのとれた成長が必要>

グローバル化により成長の速度はどんどん速くなってきています。先進国が50年かけて築いてきた消費社会を十数年で築くようになる。こんなペースであらゆる途上国が消費社会を確立していったら、あっというまに資源は枯渇し、地球はゴミだらけになるのです。つまりペースダウンしなければなりません。

確かに先進国と途上国の貧富の格差はあまりに大きい。それを一日も早く解消しようと考えるのは当然でしょう。そのために資本主義のシステムを導入し、外資を導入し、国を富まそうと必死になる政治家があらわれても不思議はありません。しかし、すべての途上国が一度にこんなことを始めたら、資源の供給不足から資源価格は高騰し、エネルギー価格も高騰し、どの途上国も成長が阻害されて共倒れとなる危険性があります。しかも、先進国が資本主義の経済システムを利用して、途上国の資源(人的資源も含む)を吸い上げ、繁栄しているという構図をかえる事はできず、むしろ積極的にそこへ組み込まれてゆく事になります。

外資の導入により急速な経済発展を遂げる事ができたとしても、通貨の流入により国内需要が高まってインフレとなり、国内の貧富の格差が拡大します。しかも国内産業が未熟であるため、国内需要を補うには輸入が必要となり、貿易は赤字になります。事実上、国内の経済は海外依存となり、「自給自足」という原則は完全に忘れ去られ、やがて世界経済の好況、不況の波に振り回されるようになります。

さらに、資本主義のシステムを導入出来るのは、途上国の中でも、国内に貴重な資源を有している国だけです。その資源を目当てに資本が入ってくるわけであり、別に人道主義、博愛の精神で資本が入ってくる訳ではありません。とりたてて資源のない国は相手にされず、極貧から脱する事は決してできないのです。

すなわち、途上国の健全な成長とは「自給自足」を原則とし、国内の産業を育成する事でなし得る成長でなければなりません。それがベースとしてあり、それに加えて貿易を行う。貿易は、国内では供給出来ない資源や製品を購入するために行うのです。成長の速度は確かに衰えるかもしれませんが、過度の貧富の格差がなく、外国に依存する事の無い安定した国を作る事ができるはずです。

しかし、新自由主義的な「完全自由化」の世界では、より多くの利潤をより短時間で求める事を至上としているため、途上国は次々にその網の目にとらえられ、永遠に自立出来ず、外国に依存し、翻弄されるだけの存在になってゆくのです。

<資源枯渇と破綻、その先に何があるのか?>

資本主義は加速度的に地球を食いつぶしつつあります。近い将来、資源は枯渇し、人々の生活は維持出来なくなります。そうなると人々のあいだに不満が高まり、やがて何が起こるでしょうか?おそらく殺し合いを始めるのではないでしょうか。そして、その非常事態を利用して政治は独裁となります。

利潤最優先の資本主義が暴走することで、人類は不幸な社会へと突き進んでいます。