いまだにデフレを容認する若者

<「デフレあたりまえ世代の若者」の意識に驚く>2014.11.

Yahooの記事を物色していましたら、ある若者のブログ記事(?)が紹介されていました。それを読んで、普通の人にとって、いかにデフレの問題を理解することが難しい課題であるか痛感しました。

筆者は、安倍首相が衆議院解散のスピーチで語りかけた「暗いデフレの時代から、デフレからの脱却をめざします」という言葉に共感を覚えないそうです。なぜなら、デフレあたりまえの世代にとって、デフレは暗いものではなく、デフレ脱却の必要性を感じないそうなのです。そして、内閣府の国民に対する満足度調査などのデータを引用し、デフレの現状の生活に対して、若者の満足度は高いのだといいます。20~29歳の約80%は「満足」「やや満足」であり、それは50~59歳の約66%より高いという結果のようです。だから、安倍首相の「デフレを脱却しよう」という呼びかけは、若者にはピンと来ないのだというのです。

しかし、これは「デフレ当たり前世代の若者」に特有な現象ではありません。統計的にみれば、全体として、国民の満足度は高い。「いま目の前の商品が安く買えるんだから、デフレのどこが悪いの?」という感覚なのでしょう。「今の自分自身の生活が良ければ、それで良い、どこが悪いの?」そう感じている人が多いという事ではないでしょうか。

その一方で、ワーキングプアが増加したとか、格差が拡大したとかいう話題が持ち上がってきます。それもデフレが原因で生じる現象の一つなのですが、なぜそれが国民の満足度に反映されないのか不思議に思わないのでしょうか。

しかし、筆者はブログの最後に、若者?(15~39歳)の将来に対する不安が高い事も調査データで示しています。将来に不安を覚える若者が多い、(調査データには含まれないが)少子高齢化・人口減少に不安があるのだと分析します。

これが何を意味するのか?おそらく、「デフレを放置すると将来どうなるか」という事を多くの若者、多くの国民がいまでも知らないのでしょう。本当にそれを理解しているなら、「でふれ?いんじゃない」なんて気分では、いられなくなります(それとも、尻に火が付かないとわからないのが国民か?)。デフレで将来の自分たちの生活が悲惨なものになる事を知らないから、将来に不安があると言いながら、デフレを容認するのでしょう。悲劇です。

そして、筆者は、この安倍首相のデフレに対する意識レベルと、若者(というより国民)のデフレに対する意識レベルのギャップを埋めるための「仕掛け」をするといいます。なかなか素晴らしことです。ぜひ、デフレの何が恐ろしいのか?それを若者にどんどん伝えていってほしいものです。

なお、この調査データは非常に面白かったので、リンクを貼っておきます。

満足度は年収に比例するようです。

公務員の生活に対する満足度は高いですねぇ。

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-12605000-Seisakutoukatsukan-Seisakuhyoukakanshitsu/0000022199.pdf

<デフレの恐ろしさは「体感できない事」>

デフレを理解する事の難しさは「体感できない」ことにあります。たとえば、インフレはすぐに誰もが体感できます。毎日の買い物に行って、商品の値段を見て、値上がりすればすぐわかる。体感できます。しかし、デフレは体感できない。それどころか、商品が安くなるという「うれしい体験」さえあるという始末です。

なぜこんなことになるのか?インフレの悪影響は国民全体に同時に影響しますが、デフレの悪影響は国民のごく一部の人にだけ、集中的に影響するからです。デフレの悪影響は、リストラされる人、解雇される派遣労働者やパート社員といった、社会的弱者に襲い掛かります。それ以外の大部分の人たちにとっては痛くも痒くもない、むしろデフレは快適なのです。

そして、デフレによる犠牲者は「椅子取りゲーム」の敗者のように、一人、また一人とじわじわ増えます。椅子にすわっているうちは、その事に気が付きません。椅子が無くなった瞬間、どん底に落とされる事になります。これは主に会社の倒産、リストラなどによる失職のためです。不況で、職場そのものがなくなるのです。デフレですから、もう二度と椅子の数は増えません。椅子は奪い合いになるだけで、必ず誰かは座れないのです。永遠に。

このように、デフレの犠牲者は一部の人にだけに、徐々に現れる。だからこそ、満足度調査にはデフレの影響が顕著に出てこないのです。それが、デフレ期における満足度調査の盲点なのです。

もし、デフレが「一部の人の犠牲の上に成り立っている、それ以外の多数の人の快適な生活」だと知ったら、「国民は満足してるんだよね~」なんて言えるでしょうか?以前、どこかの漫画がそれを風刺していました。とある牛丼店の客二人が「いや~安くてうまいよな、なんでこんなに安くできるんだろ」と話しながら牛丼を食べているのですが、そのカウンターの向こうでは、乞食同様の社員が働いていたり、一人は過労で倒れたりしている・・・。多くの人が「安くてうまい」と喜ぶ陰で、何が起きているのか。デフレによる高い失業率がこのような「ブラック企業のビジネスモデル」を成立させているという実態を忘れてはなりません。

もちろん、人の痛みを知る事のできない人も世の中にはたくさんいます。「安くてうまくて、何が悪い」。

<デフレの時代に再分配する事の難しさ>

格差問題を、デフレではなく、所得の再分配の機能不全によるものだと考える事もできます。かくいう自分もそうです。しかし考えてみると、デフレで再分配するのは、なかなか難しいものです。なぜなら、デフレ不況で財源が無いため、再分配するためには、まず「増税しなければならない」からです。いくら「格差是正のため」と美辞麗句を言われても、税金を増やすことには反対する人が多いはずです。つまり、デフレのままでは再分配はやりにくいのです。

一方、デフレから脱却して景気が回復すると、市場を循環する通貨の量が増大します。すると、現在の税制によれば、税率がそのままでも税収は増えます。つまり、景気回復すれば増税することなく、税収が増えるのです。よく見れば、国民にとって、支払う税金の金額は増えます。しかし、収入がそれ以上に増えるため「税率を下げろ!」なんて言う人はいません。この税収が再分配の原資となります。

<格差拡大のために、金融緩和を否定しても始まらない>

もともと弱者救済や所得再分配を主張するはずの左派系の人の中に、金融緩和を否定する人がいますが、これは理解に苦しみます。金融緩和とは、おカネの量を増やす事です。おカネの量が増えれば、世の中を回るおカネの量が増え、税収も増えて所得の再分配も容易になる。そう考えるのが論理的です。ですから、金融緩和は格差問題の解決に有効であると断言できます。問題は、安倍政権の元では「なぜそうなっていないのか」という点にあると思います。

つまり、金融緩和でおカネを増やすことは間違いではないのに、なぜ格差問題が解決しないのか?それは、同じ金融緩和でも、緩和して生み出されたおカネをどのように市場に投入するかという方法が複数あるからです。もしかしたら、いまやっている市場への投入方法が間違っているかも知れないのです。

安倍政権の方法は、「民間銀行におカネを渡して、民間銀行が企業に貸し付ける」という方法を取ります。しかし、絶対にそれしかやってはいけない、などと言うことはありません。ルールとは人間が作るものですから。ですから、おカネを公共投資に使ったり、あるいは、給付金として国民に支給することだって可能なのです。法律さえ通せば、なんでも可能なのです。とすれば、なぜ安倍政権は、緩和で生み出されたおカネを国民やワーキングプアの人々に給付しないのか?そう思わないでしょうか。

金融緩和が格差を拡大するという指摘は以前からあります。ですから、安倍政権に欠けているのは、金融緩和の副作用として現れる「格差」を縮小する政策です。それこそ指摘されるべき問題です。

<デフレであなたの生活はやがてどうなるか?>

デフレスパイラルという言葉が有名になりました。どういう事か思い出してみましょう。まず、商品の価格が下がります(デフレ)。すると企業の売り上げが減ります。企業の売り上げが減ると、企業の業績が悪くなるので、従業員の給料を下げます。従業員の給料を下げると、従業員の購買力が減って商品が売れなくなります。商品が売れないので、値下げします。これを延々繰り返すのが「デフレスパイラル」ですね。

で、ここで問題なのは「賃金の下方硬直性」です。賃金の下方硬直性とは、「いったん賃上げすると、下げにくくなる」という現象の事です。労働組合のある会社の正社員などは、会社の業績が悪くなったからといって、賃金を簡単には下げられません。その結果、企業は「解雇」に走ります。正社員の早期退職をはじめ、契約社員、派遣労働者、パートタイマーなどの、解雇しやすい人から解雇します。そして、解雇して浮いた仕事は、今までの社員に「サービス残業」として押し付けられる可能性もあるのです。

このようにして、職場は消えてゆきます。働きたくとも、職場がなくなります。デフレスパイラルの回転とともに、どんどん職場そのものが減ります。その一方で、残された社員にも「過労死」の危険性が高まります。

個人がどんなに努力しても、職場そのものが無くなるのですから、どうする事もできません。一人ずつ順番に、奈落の底へ落ちてゆくでしょう。

<デフレの先にあるのは「暗い未来」>

現代の若者は、デフレによる無気力な空気のおかげで、すっかり刹那的になってしまったのかも知れませんね。しかし、将来への漠然とした不安はあるという。では、デフレを放置して、果たして明るい未来は描けるのでしょうか?

先ほどの触れたように、いくら個人が努力しても、デフレが続けば日本経済は崩壊します。私たちの経済活動は、ミクロのレベルで行われます。そのミクロの経済活動が集合して、マクロの構造を形成しています。経済はマクロ構造の上にミクロ構造が乗っかっているようなものです。それは地盤と家のような関係です。私たちが努力して素晴らしい家を建てる事はできます。しかしどれほど立派な家でも、地盤が沈めば家も沈みます。地盤が沈めば、どうすることもできないのです。

私たちは社会のシステムに逆らう事はできません。しかし社会のシステムを変える事はできるのです。

このままデフレが続くと、日本の国内生産力が疲弊してしまいます。需要不足のため、モノを作らなくなってしまうからです。それはやがて、日本の技術力の低下へとつながります。技術力の低下は、日本製品の国際競争力を弱め、貿易赤字をまねきます。やがて生産力の裏付けを失った円の価値は下落し、輸入インフレに悩まされることになり、そうなるともはや手遅れでしょう。慢性インフレで失業者が溢れ、財政の破たんしたのギリシア化した国になるでしょう。

そうなったら、少子高齢化は「ますます加速する」のではないでしょうか。職の無い国で子供が増えますか?

<若者がデフレ不況のままで良いというなら、もはやどうでもよい>

自分は実は、ぶっちゃけデフレの方が良いのです。自分も、もう若くない。公的年金、私的年金も準備したので、物価が下がった方が良い。どんどん下がってください。しかしそれは、わたし個人の利益の話です。自分の生活がよければ、満足?でも若者がそういうなら、永遠にデフレで行きましょう。アホらしいので、政治もほうっておきます。

と、思いましたが、我慢できません。

日本をこのまま終わらせるわけには、いかない。

自分の生活さえよければいいんだ、とは、とても思えない。

インフレで自分の資産が目減りする事が怖いけれど、「デフレ?べつにいんじゃね」とは言えない。

でも、そう思う人は、変人なのかも知れませんね。