増税なき高齢化社会の実現

<高齢化対応のカギは「生産能力」と「耐久性」にある>

(ねこ)

高齢化社会に対応するには何が大切なのかにゃあ。

(じいちゃん)

まずは「生産力(供給力)」を確保することじゃ。国民が生活に必要とする財(商品やサービス)を、国内の生産能力によって十分にまかなうことが出来るかどうかが重要なポイントじゃ。生産力が十分に備わっておれば、高齢化だろうと少子化だろうと人々が貧しくなる心配はないのじゃ。当然じゃな。

(ねこ)

他にもあるかにゃ。

(じいちゃん)

財の耐久性じゃ。「良いものを長く使う」という社会であれば良いのじゃ。いわゆる耐久消費財である家具、家電、自動車、家屋などの品質と耐久性を高めることじゃ。長く使えば、たくさん作る必要はない。たとえば耐用年数が2倍になれば生産能力は2分の1で良いことになる。

(ねこ)

「生産能力」と「耐久性」か。にゃるほど、生産能力を高め、良いものを長く使う社会にする。方向性は見えてきたにゃ。それじゃ、それをどうやって実現するかを考えてみるのにゃ。

<正しい生産性の向上>

(ねこ)

それじゃあ、まず、生産能力を高めるにはどうすればよいのかにゃ。

(じいちゃん)

それには正しい生産性の向上を行う事じゃな。

(ねこ)

マスコミで騒いでいる生産性の事かにゃ?

(じいちゃん)

ある意味ではそうじゃが正確ではない。「生産性」という言葉は使われる場面で都合よく利用されるので要注意じゃ。たとえば企業経営で使われる「生産性の向上」は社員のリストラによって達成できる。では日本全国の会社がリストラすれば、日本全体の生産性が向上するかというと、まったくそんなことはない。逆に社会における働き手の人数が減って生活保護者が増えるだけじゃな。

つまり生産性の向上をミクロ(企業経営)の視点からみれば二つの側面があるのじゃ。一つは人員削減などの「コストカット」であり、もう一つは技術革新による「一人あたりの生産能力の向上」じゃ。マスコミはこの二つを意図的にごちゃまぜにして、都合よく使ってくるので十分に注意する必要があるのじゃ。「生産性の向上=善=人員削減」という図式じゃな。同じく「生産性の向上=善=移民受け入れ、労働規制緩和」なんてのも同じじゃ。すべて「企業の論理」じゃ。ワシらはマクロ(社会全体)で考えねばならん。

(ねこ)

うう、あやうく騙されるところだったにゃ。

(じいちゃん)

まずマスコミの言う事は疑うこと、特に官僚からレクチャーを受けているじゃろう事案(増税・移民)などは嘘と思ってかかった方がよいじゃろう。マクロで考えた場合、生産性の向上とは、技術革新などによる一人当たり生産能力の向上によらねばならん。最も強力なのが機械化じゃな。そして労働人口の減少のペースにみあうだけ生産性が高まれば、心配は何もない。

(ねこ)

基本は技術革新による一人当たり生産能力の向上なのにゃ。

(じいちゃん)

左様じゃ。そのためのには研究開発投資が必要じゃ。まず民間ベースの投資促進策じゃ。しかし民間ベースの投資はあくまで利潤優先なので、それらが難しい分野では民間に代わって政府がどんどん財政支出してでも研究を進める必要がある。高齢化への対応には、まず何を差し置いても技術革新で道を切り開くのが正論。そのためにこそ人類の英知があるのじゃ。

(ねこ)

そうにゃ、移民など安易な解決策に逃げ込まず、正面から高齢化に立ち向かうのにゃ。でも技術革新の可能な分野や難しい分野などの違いで、生産性の向上に差が出るにゃ。そういうのはどうするにゃ?

(じいちゃん)

そうじゃな、そういう場合こそ「労働規制緩和」じゃ。つまり、生産性が十分に高まった分野の産業から余剰人員を出し、不足している産業分野にて再雇用する。社会全体として生産人員を再配置し、生産体制の最適化を行うという考えじゃ。このような「雇用の流動化による生産人員の再配置」を図るためにこそ労働規制緩和がある。

(ねこ)

それじゃ、やっぱり社員の首を切りやすくした方がいいのかにゃ?

(じいちゃん)

そこが問題じゃ。本来の労働規制緩和は、社会の生産力の最適化を図る事が目的なのじゃが、そうではなく、単に「企業利益を確保するために都合よく労働者を利用する」だけになる危険性が高いということじゃ。なぜなら、首を切りやすくする一方で、失業者への手当である「セイフティーネット」充実のための議論がまったくないからじゃ。労働規制緩和とセイフティーネットは同時にセットで行わなければ、労働者に負担をしいるだけに終わる。この点についてマスコミはだんまりを決め込んでおる。

(ねこ)

それにしても、労働規制緩和とセイフティーネットで、そんなうまく社会の生産体制の最適化が図られるのかにゃ?

(じいちゃん)

そうじゃな。同じ企業内なら最適化は人事異動により常に行われておるし、社員もそれを基本的におとなしく受け入れている。しかし、社会全体となれば、人員の移動に強制力が無いので難しいのう。しかも社員の育成を視野に入れた企業内の人事異動と違って、リストラは単に切るだけじゃ。これでは切られる方も不幸じゃ。そういう意味では、このような大規模な社会全体の変革を行う場合は、政府の民間への関与が大きい社会主義の方がはるかに適しておるな。もちろんセイフティーネットの充実も容易にできる。そうなると、社会主義とまではいかなくとも、大きな政府・政府権限の強化というのは必要かもしれんのう。もちろん官僚にまかせてはダメじゃが。

(ねこ)

つまり、今のままじゃ、とても労働規制緩和(雇用の流動化)など賛成できないのにゃ。セイフティーネットの議論をもっと進める必要があるという事にゃ。

<少子化対策>

(ねこ)

でもこのまま人口が減り続けたらどうなるのかにゃ?

(じいちゃん)

人口が減少しても、一人あたりの生産力が維持されれば、一人あたりに分配される財(商品やサービス)の量は維持されるので、国民が貧しくなることは決してない。その意味では何も心配することはないのじゃ。日本の人口が現在の半分の6000万人になっても、フランスやイギリス、イタリアなどと同じ人口じゃ。それらの国が貧困かというとそうではない。なぜなら、あくまでも一人あたりの生産力が国民の貧富を決める基本だからなのじゃ。

(ねこ)

でも人口が減ると国防力が衰えるにゃ。中国などの野心むき出しの国が隣にあると、不安だにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃな、当然ながら少ない兵士の数で国を守らねばならんから「ロボット兵器」や「無人兵器」の開発を推し進める必要がある。もちろん人口減少に歯止めをかける必要もあるじゃろう。子供を増やすためには、子ども手当が良いと思う。

(ねこ)

子ども手当は民主党の失敗政策の一つだにゃ。

(じいちゃん)

ほっほっ、あれは民主党がやったからダメなのじゃ。本気で子供を増やす目的なら手当も「成果主義」にしなければならん。子供一人目は出さない。二人目から出し、三人目は二人目より多く出す。そして子供が多くなればなるほど多く出す。子供が多いほど金銭的な生活は楽になる。そのぶん育児は大変じゃがな。そうすれば、子供を増やそうという人も多くなるはずじゃ。上品な手法ではないが、結果が大切じゃ。

ところが、ケチな連中は「そんなことしたら財政ガー」というじゃろう、実に偏狭な考えじゃのう。たくさんの子供が生まれて成長すれば、やがて労働して富を生み出す。つまり将来の税収も増えるのじゃ。その時差は50年などの長期国債で十分対応できるじゃろうし、日銀が引き受けても良い。子供が増えれば財政再建にもつながるぞ。

<良いものを長く使う>

(じいちゃん)

さて、これまでは「生産」に目を向けて述べてきたが、今度は需要という視点から考えてみるかのう。この場合に最も重要なのは「良いものを長く使う」という発想じゃ。

(ねこ)

これは日本の昔からの美徳なのにゃ。もったいないの精神にゃ。最近は欧米型の「大量生産・大量消費・大量廃棄」の価値観がすっかり日本を支配してるけど、資源の浪費にすぎないにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃな。高品質な製品を長く使う。そうすれば、新たに作らねばならん製品の数は減るから、結果として少ない生産力でも需要を満たすことが出来る。とはいえ、これは需要の減少につながる。企業の立場からすると「大量生産・大量消費」してもらわないと売り上げが増えず、銀行からの借入金の金利返済に窮したり、株主への配当金が減るから困ることになる。資本主義の美徳は「大量生産・大量消費」してカネを儲けることだから、需要が減れば市場としての魅力が無くなる。

(ねこ)

矛盾してるにゃ。良いものを長く使うことは良いはずなのに、資本主義・市場経済的に言えば悪い事なのにゃ。それって・・・・。

(じいちゃん)

左様じゃ。高齢化社会への対応と資本主義・市場経済のシステムがかみ合わない。多くの識者やマスコミはダンマリを決め込んどるが、この矛盾を解決せねば、財務省などの官僚がいくら小手先の小細工をしたところで、高齢化社会への対応は不可能なのじゃ。

(ねこ)

う~、問題の根が深いのにゃ。

<教育の必要性>

(じいちゃん)

意外かもしれんが、高齢化対応には教育が不可欠じゃ。道徳教育が必要じゃ。たとえば「良いものを長く使う」という美徳をしっかり理解させたり、労働の大切さ、公共への奉仕、犯罪を憎む心、足るを知る精神などを子供のころからしっかり教育する必要がある。

(ねこ)

そんなことすると日教組が発狂するにゃ。だから教育制度を根本から変えて日教組などを弱体化させなければならないのにゃ。教育を特定の団体から国民の手に取り戻すにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃな。ところで話を戻して、なぜ教育が必要なのじゃろうか?まず国民が欲望を抑え「質素倹約」でなければ、生産力も資源も無限に必要になってしまう。現在のように、個人の欲望のまま行動し、貧富の格差を容認すれば社会が不安定化する。こうしたことは、道徳教育を通じて世論の土壌を変える事でコントロールできる。

労働の美徳、公共への奉仕や愛国心などは、働く際のモチベーションを高めるための土壌となる。人はカネのためでなく、名誉のために働くこともできる。現在の社会では労働のモチベーションは「カネ」であるが、これがカネによる社会の支配をもたらしている元凶なのじゃ。カネだけではない。これも道徳教育じゃ。

そして犯罪を許さない精神も大切じゃ。最近はセキュリティーが大流行じゃが、実に嘆かわしい事じゃ。同時に実に無駄な労力じゃ。悪い事をする人間が減れば、防犯に割かれている膨大な生産力を、本当に必要な財を生み出すための生産力に回すことが出来る。コンピューターウィルスのような馬鹿げたものも出てこないし、強盗、殺人などの犯罪が減れば社会は安定し、生産性も高まるじゃろ。

生産も消費も人間が担うものじゃ。これらは人間の精神活動に深く影響される。高齢化社会への対応するためには、教育を避けて通ることはできないのじゃ。

<分配手段としてのカネ>

(ねこ)

なるほどにゃ。それでも社会保障は減らさなきゃならないのかにゃ。消費税は増やさなきゃならないのかにゃ?

(じいちゃん)

以前から何度も言っておるが、社会保障費や消費税は「カネの問題にすぎない」ということじゃ。カネは帳尻さえ合えばよい。問題の本質は「現在の生産力で国民を養えるか」であって、もし現在の生産力に国民を十分に養うだけの力があるなら、社会保障は通貨を発行して支給すれば良い。社会保障を減らす必要も無いのじゃ。ただし生産力が国民を養えなくなれば、社会保障の削減も増税も避けられん。すなわち国家が真剣に取り組まねばならん課題は財政再建ではなく、生産力の維持・強化にあるのじゃ。財政再建に必死なのは官僚の立場に過ぎん。官僚の理屈を国民に押し付けるな。

(ねこ)

なるほど、生産力が十分にあるなら、増税しなくとも通貨を発行して社会保障を支給すれば良いにゃ。そのぶんインフレになったとしても、それがいわゆる「インフレ税」なのにゃ。じゃあ、インフレ税じゃなくて、消費税を増やすのも方法なんじゃないの?

(じいちゃん)

資本主義・市場経済のシステムでは止めるべきじゃ。なぜなら、市場経済は「モノがどんどん売れる事」がシステム成立の大前提になっとる。消費税は確実に消費を冷やす、つまり売り上げが減る。売れなくなれば不況になり、デフレになり、つまりシステムが機能せんのじゃ。官僚どもは失われた15年でいったい何を学習したのじゃろうか?税制は国民性、発展段階などによって適不適がある。盲目的に「欧米にならえ」ば良いのではない。そもそもEUは不況のどん底、何を習うのじゃ?不況を習うのか?

(ねこ)

じゃあ、税による方法は無理なの?

(じいちゃん)

日本のように成熟した資本主義・市場経済においては、貯蓄は投資に回ることなく死蔵されておる。消費税のように世の中を循環しているおカネに課税するのではなく、死蔵されておるおカネに課税した方が消費を冷やす可能性が少ないと考えられるのじゃ。従って消費税ではなく、貯蓄に、とくに高額な貯蓄に課税すべきと考えとる。個人も法人もじゃ。もちろん生活防衛のための少額貯蓄に課税する必要はない。そのかわり、所得税や法人税は減税しても良いじゃろう。カネは「つかってなんぼ」じゃからな。

(ねこ)

そういう考えもありだにゃ。それにしてもマスコミにはそういう視点が全然ないにゃ。考えの幅が狭い、既存の価値観の範囲でしか考えられない。柔軟な発想が無い。根本がわかってないのかにゃ?

(じいちゃん)

まったくじゃな。おカネは分配手段であることを忘れてはならん。なにか特別な価値を持たせたり、神格化すると柔軟な発想が困難になる。頭をおカネに支配されてはいかん。おカネを支配するのじゃ。おカネの理論に振り回されてはいかん。本来の目的を達成するために、新たなおカネの理論を作るべきなのじゃ。