ベーシックインカムはビジョンが必要

2016.12.5

(ねこ)

新聞・マスコミや政治家の話を聞いても、未来へ向かって社会がこれからどうなるのか、というか、どういう社会にしたいのか、ちっとも見えてこないのにゃ。いろいろ問題になっている社会現象を捉えて、ただカラ騒ぎしているようにしか見えないのにゃ。

(じいちゃん)

ほう、たとえばどんなことじゃ?

(ねこ)

うにゃ、たとえば人工知能の進化がどんどん加速しているから、近い将来には今の仕事の半分は消えてしまい、膨大な失業者が生まれると騒いでいるにゃ。だから新しい仕事を生み出さなきゃならないといわれてるにゃ。一方で、高齢化で近い将来には働く人が減って、経済が縮小すると騒いでいる。日本は人手不足で大変なことになるというにゃ。ところで、人手不足になれば人々の給料は増えるはずにゃ。しかし人手不足と騒ぐくせに、給料はほとんど上がらないのにゃ。すべての話が矛盾していて、いったい社会がこの先どうなるのか、ちっともわからないにゃ。

(じいちゃん)

そうじゃのう、新聞マスコミは社会に生じている多くの事象を統合的に考えるのではなく、ある面だけ捉えて大騒ぎする。あっちで騒ぎ、こっちで騒ぐ。だから混乱するし、矛盾があってもなんとも思わんのじゃろう。

(ねこ)

まだあるにゃ。人工知能やロボットが進化すれば、将来的には人間がほとんど働く必要のない社会になるはずだにゃ。つまり毎日労働に追われる生活から解放されて、楽になれるということだにゃ。そうなれば人々の仕事が減るわけだから、働かない人が増えるのは当たり前なのにゃ。ところが政治家は「仕事を与えろ」「雇用を守れ」とかいってるにゃ。そんなんじゃ、人間が働かなくていい社会なんて永遠に実現しないことになるにゃ。

(じいちゃん)

人工知能やロボットが進化すれば、仕事を失って収入を絶たれたり、転職で所得が減る家計が生じる可能性は非常に高い。じゃから失業者をなくして万人に仕事を与えたり、最低賃金を引き上げることに意味が無いとは言い切れん。しかし、いつまでもそれに固執していたら、どれほど科学技術が進んでも人間は労働から解放されんし、そもそも、そんなにいつまでも新しい仕事を作り出し続けることなど不可能じゃろう。それでもなお、失業者をなくすために仕事を作ることに固執すれば、ほとんど意味のない仕事、たとえば穴を掘って埋めるとか、賽の河原のような無限作業をするしかなくなる。しかも、そんな仕事に高給を払う必要まで生じてくる。

(ねこ)

かと思えば、あいかわらずグローバリズムの推進だの、自由貿易だの、前世紀のバブル時代から同じ事を念仏のように唱えているにゃ。もう50年以上にもそんなことを主張しているにゃ。それで世の中が良くなったのかにゃ。経済のグローバル化がすすんでも、人々の所得は減り続け、格差が拡大し続けているにゃ。しかも、人工知能が人々から仕事を奪う時代が近づいているというのに、人手が足りないから、移民をどんどん日本に入れろとか言い出したにゃ。

(じいちゃん)

グローバリズムが拡大しても日本人の生活はちっとも良くならんのう。一部の人は富が集中して豊かになったかも知れんが、大部分の人たちは所得が減少してしまったし、貧困率も確実に増加しておる。子供の貧困問題が言われており、実に6人に1人の子供が貧困状態じゃという。そんなことは、バブル景気の頃は考えられもしなかったことじゃ。こうした社会の質の低下は、いわゆるグローバリズムと同時に進行しており、グローバリズムは庶民の生活にほとんど役に立たないと考えても不思議はないじゃろ。

(ねこ)

う~ん、考えれば考えるほど、何がなんだか、わからないにゃ。

(じいちゃん)

まったくじゃ、世論は混乱しておるのう。その理由は、新聞やマスコミにも政治家にも、「未来社会へのビジョンが何もない」からじゃと思う。前世紀の古い価値観のまま政策を論じたり、あるいは場当たり的に現状に対応する政策ばかり主張しておる。もっと大きな立場から、「未来社会を築き上げようとする姿勢」が何も感じられん。まさにマスコミも既存のすべての政党も時代遅れじゃ。飛躍的な進化を遂げつつあるテクノロジー(技術)にまったく対応できておらん。

人間社会において、テクノロジーは極めて重要じゃ。テクノロジーが社会を変えるといって良い。たとえば、農業というテクノロジーによって、人間の社会は狩猟採集の時代から大変化を遂げたわけじゃ。それまで獲物を追って移動生活していた人々が定住化し、それによって財の蓄積も可能になり、社会の分業化や階層化も現れた。テクノロジーは社会に決定的な変化をもたらす、むしろ変化の中心にあってこれを主導すると言って良いじゃろう。

すなわち、人工知能やロボット技術をはじめとする様々なテクノロジーの加速度的な進化は、今日の社会システムに大変革を迫るものになる。資本主義や社会主義、あるいはグローバリズムやナショナリズムといった考え方が、すでに陳腐化し、矛盾を内包つつあるのは、むしろ当然なのじゃ。にも関わらず、相変わらずこうした陳腐化した視点から社会を分析して報道し、あるいは政策を立案して政治を動かすのでは、テクノロジーのもたらす恩恵を人々の生活に十分に活かす事はできまい。まさに明確なビジョンを打ち出す必要があるのじゃよ。

(ねこ)

そうなのにゃ、新聞マスコミにも、政治家にも、未来社会へのビジョンが何もないんだにゃ。国会を見ても、ただ目の前の問題で大騒ぎしているようにしか見えないのにゃ。

(じいちゃん)

昔から、未来社会が空想として描かれることはしばしばあった。ロボットが人間の代わりに労働する社会もその一つだった。理想社会(ユートピア)の一つとして、無味乾燥な労働から人間が解放されるという夢があった。しかし、その当時は遠い未来の話だと多くの人は認識していて、具体的にそうした社会の実現に向けてロードマップ(手順書)を描くことはなかったし、そもそも技術的な飛躍が大きすぎて描くことなどできんかった。だから、それはそれで良かったのじゃ。しかし現実としてロボットが人間の代わりに労働する社会が視野に入りつつある現在、まさにその社会を実現するためのロードマップが必要なのじゃ。ところが、新聞マスコミも、与党や野党の政治家も、未来社会へのロードマップを示していない。

人工知能やロボットが人間の代わりに労働する社会を実現する。それは将来へのビジョンの大きな目標に当たるはずじゃ。それは単にテクノロジーが進化すれば自動的に実現するわけではない。そのテクノロジーの進化の恩恵を人々に行き渡らせるために、社会システムには新たな変革が必要なのじゃ。本来であれば、それを提案することこそが新聞マスコミ、政治家の果たすべき役割じゃと思う。

(ねこ)

そうなのにゃ、未来を描き出すのが政治家や新聞マスコミの仕事なのにゃ。

(じいちゃん)

人工知能やロボットが人間の代わりに労働する社会では、人間はどうやって生活するのか?今日、大部分の人々は会社に就職して仕事し、労働の代価として所得を得ることで生活しておる。しかしロボットが働くようになると人間は働かないのじゃから、労働の代価として所得を受け取ることはない。となれば大部分の人々が収入を絶たれてしまう、それこそ「ロボットに仕事を奪われた」ことになる。そうならないために、未来社会では労働とは無関係に人々に所得が支給されることになるじゃろう。

労働する、しないに関わらず人々に一定の所得が支給される考え方はすでに以前から存在しておる。それがベーシックインカム(国民配当)と呼ばれる考え方じゃ。年齢性別にかかわらず、すべての国民に対して最低限の生活が可能な金額、毎月例えば1人当たり12万円が支給される、といったものじゃ。したがって、ロボットが人間の代わりに働く未来社会では、こうしたベーシックインカム(国民配当)が人々に支給されるようになると考えるのが自然じゃろう。

そう考えると、わしらのような国民が目指すべき将来の社会の姿は、完全雇用の社会ではないとわかるはずじゃ。したがって、

雇用を守るのではなく、

雇用を必要としない社会を実現する

これが重要じゃ。

(ねこ)

雇用を守れと騒ぐのもいいけど、最も重要なのは、雇用を必要としない社会の実現なんだにゃあ。今の左派に欠けているのは、この点かも知れないにゃ。党の基本方針として、堂々と「雇用を必要としない社会の実現」を掲げて欲しいにゃ。

(じいちゃん)

左様じゃ。そうすれば左派も政策的にもっと大胆になれるじゃろう。財務省や日銀といった古い常識の塊のような連中の話に従っていては、未来社会は実現できん。もちろん、明日からすぐ未来社会になるという話ではない。ただしビジョンとしてそれを掲げ、ロードマップを描かなければ何も進まない。実現しないどころか、このままではテクノロジーと社会システムの乖離は大きくなるばかりじゃろう。

もちろん、こうしたビジョンは与党にも大切じゃ。既存の政治家はグローバリズムを盲目的に推進しておるが、そもそもグローバリズムと今日のテクノロジーの進化がどのように融合するのか、まるで見えていない。てんでバラバラじゃ。まるで社会の進化とテクノロジーの進化が、別々に機能できると信じているかのようじゃ。これではますます両者の間の矛盾が広がるだけじゃろう。

もう時代は21世紀じゃ。

テクノロジーは進化しておる。

それに相応しい、未来の経済システムが必要だと思うのじゃ。