グローバル化は滅亡への道

今日、主流といわれるエコノミストの多くは経済のグローバル化を当然のように受け入れ、何の疑いも無くグローバル化を推進しているようです。彼らの主張は「グローバル化、とりわけ新自由主義と市場原理主義で世界中の資源が最適に配分され、より多くの富を生み出し、世界経済は発展する」という話です。ところが実際にはその逆の現象が数多く報告され、疑問の声も挙がっています。グローバル化はユートピアをもたらすのでしょうか?

経済のグローバル化による効果は、理論上、すばらしいものであるかに見えます。自由貿易を行う複数の国が、互いに資源の過不足を補完し、より生産性の高い分野の生産を分担して行う「国際分業」は非常に効率的で生産性も高いことは間違いないでしょう。しかし生産性が高いからと言って、人々が豊かで幸福になるとは限りません。実際にはその逆のことが生じています。生産性が高くとも人々に不幸をもたらすのであれば、それは社会のシステムとして不適切です。

<グローバル化が招く貧困問題>

確かに多くの途上国はグローバル化によって「国家としての経済成長」を遂げています。BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)はもちろん、その他の東南アジア諸国、アフリカでも高い成長を示しています。しかしグローバル化は同時に途上国に深刻なインフレと貧富の格差をもたらしました。2012年はアラブの春などと言われ、中東諸国の独裁政権が民衆の武力暴動により次々と打ち倒された年ですが、この暴動の背景には貧富の格差の問題があるとされます。グローバル化の波に乗り、経済成長した中東の国々で貧富の格差が許容範囲を超え、多くの人々の怒りを誘ったのです。また成長著しい中国でも格差が拡大し、農村部では暴動が絶えず、開発で土地を奪われた農民が都市に溢れています。途上国の経済成長は人々に豊かさをもたらしたとは必ずしも言えないのです。豊かな人がますます豊かになり、貧しい人はますます貧しくなる。国の経済規模で見れば成長したかも知れませんが、社会的な完成度としてはむしろ後退したと言えるのではないでしょうか。

また、貧困がテロの温床になっているとはずいぶん昔から指摘されていることですが、それは解消されるどころか、グローバル化の進展した今日、ますます悪化しているのではないでしょうか。つまりグローバル化による貧富の格差こそテロの温床ではないかと疑われるのです。グローバル化で資本の移動がどんどん行われるようになり、多くの途上国は経済成長のためという名目で、先進国からの莫大な債務を抱えるようになりました。先進国から借金することで利益を得るのは一部の人々であっても、債務の返済のためにおカネを払うのは多くの庶民です。その返済のために人々の貧困化に拍車がかかっています。たとえばある途上国では先進国からの債務の支払いが滞ったために公共事業としての水道事業を外資に売り払う羽目になり、水道料金が引き上げられて暴動が発生しています。このような途上国における格差の問題は中東のみならず、世界のすべての途上国に共通する社会問題と言えるでしょう。

<深刻な途上国の環境破壊>

グローバル化は深刻な環境破壊も引き起こしています。先進諸国では環境保護に関する法律が整備され、今や公害や環境破壊に直接悩まされる事はありません。そのために多くの人々が公害問題に鈍感になっていますが、実際には世界中で環境破壊が凄まじい速度で進んでいます。その環境破壊と引き換えに得られた資源が先進国に輸出され、私たちの消費社会を支えているという現実があります。本来はジャーナリズムがもっと伝えるべき途上国のグローバル化による悲惨な環境破壊の実態は、先進国ではほとんど忘れられているかのようです。

アフリカで素朴に暮らしていた人々は、先進国から持ち込まれる目のくらむような消費財に心を奪われて、それを手に入れるためにカネを欲しがり、その地下に資源があるとなれば、先祖伝来の土地を売ってカネを得ます。それで一時的に豊かになれますが、生活の基盤だった土地を追われ、日々の糧を得るため鉱山労働者として僅かのカネで雇われる賃金奴隷となります。そこにはもはや民族の誇りも伝統文化もありません。残されたのは先進国から持ち込まれた拝金主義という新たな異教だけです。

やがて環境は開発で破壊されます。途上国は環境保護の規制などあって無いようなものでしょう。アマゾンの熱帯雨林はどんどん伐採され、木材は輸出され、農地には単一の商品作物が大規模に栽培される。鉱山を開発すれば有害な物質がどんどん出る。そして環境破壊の代償として得られた貴重な資源は次々に先進国へ運ばれ、消費され、大量のゴミとなります。そしてゴミもまた途上国に持ち込まれるのです。

また卑近な例では中国の環境破壊、公害問題があります。グローバル社会では「中国の高い経済成長が世界経済をけん引した」などと中国を高く評価しますが、その高い経済成長は環境の破壊を前提としており、これを高く評価するグローバル社会は偽善ではないでしょうか。こうした中国の環境破壊はグローバル社会も当初から予測可能だったはずです。なぜ問題が深刻化するまで放置したのでしょうか。それはまさにグローバル経済の性格を如実に表しています。カネがすべてです。

<産業の空洞化による先進国の格差拡大>

グローバル化は途上国の社会にゆがみをもたらすだけではありません。コストを安く生産する目的で多くの先進国では工場が途上国に移転し、産業の空洞化をもたらしました。それは先進国の人々から多くの雇用を奪う結果となり、深刻な失業問題と貧富の格差を引き起こしました。欧州ではサブプライムローン・バブル崩壊後のデフレ不況も相まって失業率が20%を超える国もあり、さらにコストダウンのために外国人労働者の雇用が増加することで移民との間で対立が発生し、暴動すら引き起こしています。もちろん移民はグローバル化です。グローバル化は資本の移動だけでなく、人の移動も推進しているからです。そして移民の中にはテロに走る若者も現れ治安は悪化し、社会の質は確実に損なわれています。グローバル化はヨーロッパに幸福をもたらしたのでしょうか。

<相互依存による経済の不安定化>

グローバル化により相互依存が進むと、個々の国はそれ単体では生存出来なくなります。例えば穀物は生産性の高いアメリカが圧倒的なシェアを占めています。多くの国々は自国で穀物を生産するのではなく、アメリカから穀物を輸入しています。このような状況では、アメリカがもし、ある国に穀物の輸出を行わないと恫喝すれば、その国はアメリカの要求に従わざるを得ない弱い立場に立たされます。最近では中国がレアメタルで同様の事を行ったのは記憶に新しいところでしょう。これらの物質は「戦略物資」と呼ばれています。グローバル経済は生産性が高い一方、経済を他国に依存することになるため、立場は弱く、不安定なものになります。

グローバル経済はすべての国が友好で、世界が平和でなければ成立しません。ところが世界はとてもそんな状況にはありません。どの国も自国の利益を最大化しようとしのぎを削っており、しかも紛争が絶える事はありません。そんな状態で経済のみがグローバル化し、食糧やエネルギー資源など国民の生命に関わる重要な商品をすべて輸入に依存するようになる事は、極めてリスクが高いと言えるのです。

<グローバル化は適応しすぎて滅亡した古代生物に例えられる>

仮にすべての国が友好的で世界が平和になったとしたら、グローバル経済はすばらしい経済体制なのでしょうか?それは違います。世界分業ということは、生産地域が偏在することを意味します。生産地域が偏在した場合、その地域の生産が何らかの理由で不可能になった場合、その影響は全世界に広がります。たとえば穀物の生産をアメリカに依存していたとして、アメリカが大干ばつに襲われて穀物がほとんど収穫出来なかったらどうなるでしょう?当然、アメリカはアメリカ国民のために穀物を使い、輸出は完全に途絶えるでしょう。そうなれば穀物をアメリカに依存していた国は大量の餓死者を出す事になります。もし、経済効率を優先するのでは無く、すべての国々で食糧自給率を高い状態に維持していたなら、アメリカの大干ばつの影響は最小限に抑える事が出来ます。

高度に分業化された社会は効率的で高い生産性を有しますが、ひとたび何かがあると悪影響は連鎖的に全世界に広がり、経済はたちどころに瓦解します。それはまるで環境に適応しすぎて絶滅した古代生物に例えられます。アンモナイトや恐竜といった古代生物は、進化の過程で無駄な機能を次々に捨て、生存のための最高の効率を手に入れました。このためアンモナイトや恐竜は爆発的に繁栄しましたが、その後、一気に絶滅しています。なぜなら、無駄をすべて捨てたがために、環境が激変した時、もはやそれに適合する能力を失っていたのです。効率優先は「大繁栄か絶滅か」というまるでギャンブルのような行為なのです。効率化すれば良いとは限らないのです。

つまりグローバル化は最高の効率を求め続け、

その結果、内部に巨大な「滅亡へのリスク」を抱え込む事になるのです。

<実は、グローバル化は非効率>

グローバル化により人、モノ、カネの資源が最適に配分されることは効率的である。その考えは正しいようですが穴があります。貿易や旅行により大量の物資や人員が地球を駆け巡ります。そこに膨大なエネルギーのロスがあるのです。地産地消という考え方であれば、莫大なエネルギーを使って世界中の物資を運搬する必要はありません。もちろん、ごく限られた地域でしか採取できない資源もあるでしょうから、そのような資源の移動はやむを得ないでしょう。しかし、消費財をなぜ外国で生産しなければならないのか?なぜわざわざ中国やインドネシアで生産しなければならないのか?それは為替レートです。為替の関係から途上国で生産した方が金銭的なコスト収支が有利だからです。使用されるエネルギー収支から言えば、実際には余計にエネルギーを浪費しています。

つまりグローバル化のメリットは為替の差による「人件費コスト」を利用しているに過ぎません。為替差を利用して途上国の労働力を安く利用すること(搾取)がグローバリズムの本質であり、為替差のポテンシャルを食いつぶせばやがて為替差はなくなる。だから先進国は生産拠点を中国からベトナムへ、そしてさらに貧しい国へと移動しながら、為替差のポテンシャルを食いつぶす。そのたびに途上国の環境を破壊し、貧富の格差を広げて社会問題を引き起こすのです。ただ「カネのためだけに」。グローバル化に未来はありません。

<相互依存から自助自立へ〜脱グローバル化>

グローバル化がまったくダメというのではありません。現実的には国際分業や貿易が不可欠なものであることは確かなのです。しかし、グローバル化は目指すべき理想の社会ではありません。新自由主義のように、なんでも全てグローバル化、グローバル化神聖主義のような考えに陥る事無く、グローバル化を冷静に見つめる事が大切です。冷静に考えれば、なんでも全てグローバル化ありきではなく、必要に応じたグローバル化、適切な範囲でのグローバル化という視点を手に入れる事ができるでしょう。

それこそがバランスのとれた世界経済の仕組みを構築する上で不可欠な事なのです。

2012年頃?の記事