「金融街」は地獄の輪転機 アニメ「C」

2011.6.26 初稿 2015.5.29 修正

「C」The Money of soul and possibility control.というタイトルのアニメが完結した。タイトルは英語だが日本のアニメで、金融街(民間銀行、株式・証券債権などの市場)をテーマにした深夜アニメ作品です。日本のマスコミがびびって扱わないような金融の異常さに堂々と切り込んで見せた意欲的な作品です。その内容について少し考えてみました。

<核となる設定は「金融街の黒いカネ」>

主人公は余賀公麿(よがきみまろ)という大学生である。原因不明の失踪により父親を失い母親も他界、叔母にお世話になって育ったため、大学へ進学してもおカネが無くバイトの掛け持ちでなんとか生活する毎日。そんな折、深夜に試験勉強する公麿の元に、ミダス銀行通商部を名乗る真坂木(まさかき)という奇妙な男が現れる。真坂木の言うには、現実の世界と平行した異世界に「金融街」が存在し、そこで行われる取引に参加して他の参加者と金融で勝負すれば楽におカネが儲けられるという。そのおカネは現実世界でも自由に引き出して使えるから、公麿にもぜひ参加するように勧める。そしてその元手となるおカネをミダス銀行が貸し付けるというのだ、公麿の未来を担保にして。

自分の未来を担保にして借り入れたおカネを使って金融街では「ディール」と呼ばれる勝負が参加者同士で繰り返される。金融街での勝負は「アセット(資産)」と呼ばれる自分のパートナーと組んで戦う。アセットは自分の未来が擬人化されたキャラクターで、金融街では自分と一心同体の存在だ。勝負は資産と資産の戦い。そして勝負に勝てば相手の資産を奪うことでおカネを手にすることが出来る。しかし勝負で負ければ、担保として差し入れている自分の未来がミダス銀行に奪われることになるのだ。そして最悪にも破産した参加者は自分の未来をすべて担保としてミダス銀行に取られて廃人同様となり、自殺したり、事故で死んだりして人生を終えるのです。そしてミダス銀行の発行するミダスマネーを現金自動支払機から引き出した公麿が目にした紙幣は真っ黒い色をした「黒いカネ」だった。

これはすごい設定です。挑戦的過ぎて驚きます。このアニメの監督の勇気には驚きますね。こういう金融のダークサイド部分をマスコミは絶対に触れないからです。金融街のバトルで負けて破産した人は担保として差し入れていた未来をミダス銀行にすべて奪われることになる。金融街の暴走のために多くの人が破産してミダス銀行に次々に未来を奪われていく。これは私たちの現実社会の金融制度そのものです。

<「黒いカネ」に依存する現代経済>

金融街の中心的存在であるミダス銀行は巨大な輪転機を持っており、この輪転機が人々の未来を次々に吸い取っておカネに変えています。まさに地獄の輪転機です。そこから吐き出される膨大な黒いマネーが現実社会にも流れ出して、物語の現実経済に大きな影響を与えています。私たちの現実世界でも金融街から流れ出すマネーに経済活動は大きく依存しており、依存するがゆえに金融街の影響が大きくなってきました。影響が大きくなるとますます依存するようになり、経済はいつしか金融街の生み出す黒いカネなしで立ち行かなくなりました。そして金融街がまるで経済を支えるかのように人々が思い込むようになる。何か金融街が非常に重要なものであると思い込むようになる。そのため、たとえ未来をすべて担保にしたとしても何も不思議に思わないようになる。恐ろしいことです。

なぜ金融街の黒いカネに経済が依存するのか?市場経済のメカニズムにおいては、カネが無いと経済が動かないからです。市場経済のメカニズムにおいては、おカネの循環に乗って財(モノやサービス)の生産と分配が行われる仕組みなので、おカネが潤沢に出回れば経済は活性化して人々の生活は豊かになる。一方、おカネが貯蓄されるなどして滞るようになると、経済は低迷して人々の生活は貧しくなり貧富の格差も広がる。つまりおカネが必要なのです。だから何でも良いからおカネがあればよい。黒いカネだろうと偽札だろうと無関係です。人々が「おカネであると信じているもの」があれば、経済は活性化するのです。そのため、それが黒いカネであると知りながら、世界は未来を担保にしてまで黒いカネにすがるのです。

金融街は地獄の輪転機を使って凄まじい量のミダスマネーを供給します。金融街の生み出す膨大な黒いカネこそがインフレの原因であり、バブルの原因でもあるのです。アニメではやがてミダス銀行による「決済」が行われます。ミダス銀行の決済により、ほとんどの人々の未来は銀行に奪われ消えてゆきます。

<黒いカネの正体は「預金通貨」>

この地獄の輪転機が生み出す黒いカネの正体は何でしょうか?この作品では比喩を多用しますので、あまり謎解きをしてしまうと面白みがなくなってしまうのですが、あえてこの部分だけ解釈するとそれは信用創造によって生み出されるおカネつまり「預金通貨」だと考えることが出来ます。多くの人は、おカネは日本銀行が輪転機で刷るものだと信じています。しかし実際に輪転機で刷られるおカネは世の中に循環しているおカネの一部分にすぎません。世の中のおカネのほぼすべては、民間銀行が信用創造で作り出した預金と呼ばれる実体のないおカネです。

そのおカネは、誰かが担保を差し入れて銀行から借りる事で生まれます。実際には未来ではなく土地や家などの資産を差し入れる事でおカネが無から発生します。ですから、金融街は人々の資産を担保にしておカネをどんどん生み出すことができます。そして物語に登場する地獄の輪転機はとどまることなく黒いカネを生み出し、バブルを引き起こしては崩壊し、莫大な人々の未来を決済により吸い取り続けています。最終的に人々から奪った担保を手に入れている奴は誰なのか?物語は何も語りません。真坂木が意味深な台詞を残しています「それはうえが決める事ですから」。地獄の輪転機は下ではなく上にあるのです。

物語のエンディングに至るストーリにおいて、主人公の公麿とその仲間たちは、ディールで勝つことにより手に入れた膨大な黒いカネを現実世界に還流させることでハイパーインフレを引き起こし、「円」の価値を崩壊させることで円を消滅させます。そのため円の価値に寄生していた金融街は葬り去られ、主人公は輪転機を逆回転させることによって黒いおカネを消去し、かわりに奪われた未来を取り戻します。

そして未来を担保にすることで生まれ、主人公のパートナーとして戦ってきたキャラクター「資産(アセット)」も消える運命となります。金融街での戦いが終わって、「円」の消滅した現実世界に戻った公麿が目にした光景は、まるで金融街の地獄絵図が何もなかったかのように平穏な空気が流れ、「ドル」を使って日常を暮らす幸せな人々の姿でした。

<本当に大切なのはおカネなのか?>

「ハイパーインフレで円の価値を消滅させる」・・・・現実社会でこんなことをすれば社会は大混乱になるでしょう。しかし、考え方によっては「それもあり」かも知れません。人々にとって本当に大切なのはカネの価値ではなく、人々の生活を支える財(商品やサービス)の生産と分配です。財の生産と分配がしっかり機能すればカネの価値など1万分の一になっても関係ないのです。人々の生活に必要な財が必要な量だけ生産されるなら、「配給経済」でも人々は生活できるのです。配給経済なら通貨価値や物価などという概念すら存在しなくなる。SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)のように高度な情報物流網の発達した今日の社会では、市場によらない生産と分配という経済形態が模索されても良いと思うのです。もちろん今すぐに実現は無理ですが。

「C」The Money of soul and possibility control.は非常にすばらしい試みです。今の日本人のおカネに関する知識レベルはほとんど「文盲」です。おカネの稼ぎ方は理解していても、おカネの本質を知る者は極めて少ない。多くの日本人がおカネの本質とは何かを真剣に考えることが出来るようになったとき、日本は次の時代へと踏み出すことができると思います。果たしてその時が来るのでしょうか・・・・・。