三久忠志

私の日中友好懸賞論文事業

三久忠志

新年おめでとうございます。

この瀋陽日本人教師同窓会のほとんどのメンバーは私よりもあとに瀋陽に滞在されたので、私のことをご存知ありません。それで先ず私の中国での経歴を補足しておきますと、1999年8月に大連外国語大学へ赴任したのが最初です。2年目の2000年に瀋陽の東北育才学校に転勤し、翌年さらに東北大学に転勤し多田啓司ご夫妻と交流いたしました。瀋陽に行って初めて瀋陽日本人教師の会に参加しました。次の年も東北大学から教師会には二回参加。ところが私立保育園の経営にかかわっていた徳島在住の母親の健康問題もあって、東北大学を1年で終え帰国しました。

私は中国から帰国以来、徳島で日中青年交流協会を立ち上げ、中国の日本語学生に呼びかけ日本語懸賞論文を続けてきました。今年度で15年になります。

帰国後、中国の日本語学生の情熱に動かされて、すぐに日中友好協会の会長と相談して日本語弁論大会の事業を始めました。第1回目は2003年度、東北大学の教え子の招待が最初です。私は大連にも深い思い出があったので大連外大、大連理工大学にも呼びかけました。

3回目から遼寧師範大学にも呼びかけました。この事業の最初は、徳島日中友好協会の協力を得ながらも個人的な希望から始めたので、資金面は9割は自己資金の持ち出しでした。2009年には趣旨に賛同する方がたとともに徳島日中青年交流協会を立ち上げ、会員は約40名近くになりました。

この会を進める際に、瀋陽日本人教師の会の皆さまがたの協力を戴いて、2年に一度は現地で弁論大会を開いてきました。日本人教師会の代表者には審査員をお願いしていました。論文応募の中から毎年、2名ないし3名を選んで徳島に1週間招待するという事業でした。 懸賞論文事業の内容は: ①年度の初めに今年の課題(日中友好に関するテーマ)を決めて中国の大学に通知 ②9月、2年ごとに現地で弁論大会を開き優秀者を決定 ③11月ごろの1週間日本に招待、大学との交流やホームステイ、市長の表敬訪問、日本での弁論発表など、最後の1日は大阪観光 運営は会員の会費が主な財源で、会員は全国にまたがっております。時々団体から助成金を受けることがあります。

以上のような日本語弁論大会の運営をしてきましたが、その結果、学生の日本に関する認識が大幅に変化してよくなったと思います。日本への留学も増え卒業後は日系企業への就職はもちろんですし、第2回の学生特使は中国の外交官になりました。日中友好への貢献の功績は著しいものがあると自負しています。

ところがこの会は資金面で苦労しているだけでなく、二三年前から、中国はお金持ちになったのだから日本から年金生活者が中国の大学生を招待する必要はないという会員が出てきたりして、継続がむつかしくなっております。加えるに、私の健康状態もあり、中止にしようかと迷っております。

大連、瀋陽の大学だけでなく、地元徳島の二つの大学からも同じテーマで論文を発表会に特別参加してくれ、素晴らしい意見の交流ができております。最近は論文の内容も大学生らしく内容の濃いものになってきました。それだけに中止することは残念です。ちなみに昨年のテーマは「平和を作り出すもの」 本年度は「30年後のアジアへの希望」でした。 というわけでいろいろと迷っておりますが、年頭に当たり皆様方のご健勝を祈念します。(20190108)

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