「書を捨てよ、村へ入ろう」

~フィールドワーク留学のすすめ~

井出 有紀(アフリカ地域研究専攻、2016年度入学)

目次

1.はじめに

2.留学生活について

2-1. ガーナはどんな国?

2-2. 留学前半: ガーナ大学での生活

2-3. 留学後半: 農村でのフィールドワーク

3.ガーナ大生であるメリット

4.おわりに

1.はじめに

「派遣留学(交換留学)」というと、みなさんはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。インターナショナルな仲間たちとの寮生活?夜中まで予習しないとついていけない厳しい授業?成績優秀者のイメージ?大方間違ってはいません。派遣留学は、外大と協定校間の学生交換システムです。この制度のもとでは休学なしでの長期留学が可能で、単位互換もできます。大学による選考を通過した学生のみが派遣されるため、派遣留学生であることは一種のブランドだとも言えるでしょう。

しかし、期待を裏切るようで申し訳ないのですが、私は上にあげたような条件に驚くほど興味がありませんでした(意味がないとか悪いとかいうつもりはないのです。ただの趣向の問題だと思います)。私が求めていたのはガーナ社会に「没入」することであり、エリートばかりが集まるガーナ大学で書物と格闘することではなかったのです。普通、このような学生はそもそも派遣留学を選びません。大学を休学してインターンやボランティアの職を探し渡航するはずです。

しかし、私はあえて派遣留学制度を利用したうえで大学の外に出てフィールドワークを行っていました。実はこのことに、有意義かつ安全なフィールドワークを行う上でとても大きなメリットがあったと思うのです(図1)。この文章では、「お堅い」大学の制度派遣留学を逆手にとって現地での自由度を上げる方法について、私の留学生活を例に説明したいと思います。

これを機に、大学で勉強するだけではない派遣留学の過ごし方についてもぜひ考えてみてください。そして、そんな勝手なオブロニ(外人)すらも「身内」に変えて取り込んでしまうガーナ社会の懐の深さにも興味を持ってもらえたら、とてもうれしいです。

図1: ガーナ大学からの派遣留学生として外大に来ていたコフィと彼のおばあちゃん。私は全幅の信頼を置いているコフィとその家族の手引きで行動範囲を広げることができた。このような存在を持てるのが派遣留学のよいところである。

2.留学生活について

2-1. ガーナはどんな国?

私が留学していたガーナ共和国は、西アフリカ沿岸部に位置します。日本の約2/3の面積に88以上の民族が住んでいる多様性豊かな国です。気候的にも、南部が湿潤な(平たく言えば死ぬほど蒸し暑い)熱帯性気候であるのに対し、北部は乾燥したサバナ気候に属します(地元のお母さんが練ったシアバターなしでは過ごせません!)。当然地域や民族によって生業も異なり、南部ではカカオやキャッサバ(主食をつくるのに欠かせないイモ)の栽培が、北部では牧畜が盛んです(図2, 図3)。

図2: ガーナ南部Eastern州のカカオ畑。カカオの実は直接幹になる。

図3: 乾季のガーナ北部Upper East州にて。穀物は刈り入れ時、バオバブの実は食べごろになっている。

ガーナは1957年にイギリスの植民地支配からいち早く独立した国として有名です。もちろん、ガーナの人たちはそのことに大きな誇りを持っています。しかし、意外とイギリスかぶれなところもあり、トロトロ(庶民がよく使うミニバス)が英国旗を掲げて走っていたり、自分たちの英語を「イギリス英語だ」と自慢してみたり(全然アクセントも言い回しも全然違うのに!)します。

私がいちばん驚いたのは、植民地列強が支配の拠点として海辺に建てたお城に数代前までの大統領が住んでいたということです(図4)。そういうものは普通、取り壊したり負の遺産として取り扱ったりするものではないでしょうか。しかし、彼らは植民地時代に押し付けられたものさえも必要に応じてうまく利用し、自分たちのものに転換しているのでした。わたしは、ガーナのそういうところが好きです。

図4: 南部沿岸ケープコーストにあるエルミナ城(世界遺産)。かつての奴隷貿易の舞台は、地元の人々の重要な観光資源になっている。

2-2. 留学前半:ガーナ大学での生活

これはあくまでも私の経験に基づく情報ですが、ガーナ大学の授業は基本詰め込み式です。教科書を丸暗記して教授の意見を完コピしないと、ひどい成績をとることになります。もちろん自由なディスカッションなど許されるはずはなく、レポートにも独自性は求められません。ひとにより意見は様々だと思いますが、私はこのような授業が好きではありませんでした。しかし、このような授業形式は権威主義的なガーナの社会の縮図であるように思え興味深くもあったため、書物で知識を吸収する傍ら先生と生徒の関係性を観察していました(図5)。

図5: ガーナ大学のシンボル、図書館。西アフリカ最多の蔵書数を誇る。

そんなガーナ大学での日々がつまらなかったかといえば、そんなことはありません。私は友人に恵まれていました。ガーナ大生の多くは、首都の広大なキャンパスで寮生活を送っています。一般的に、学生は授業以外の予定を詰めません。遊び歩いたり課外活動を行ったりすることは珍しいのです(もちろん活発な学生もいます。裕福な学生にそのような傾向が大きいように思えます)。

私の友人たちも例外ではありませんでした。彼女たちと私は買い物に行き、料理をして食べ、部屋の掃除をして洗濯物を洗い、時々韓国映画を楽しみ、時間になると授業に出かける普通の生活をただ繰り返しました。彼女たちの唯一の大きな娯楽は(多くの割合を占めるキリスト教徒の場合)週に一度教会に行くことで、爆音で流れる音楽とともに踊り祈ることをなにより愛しています。私はアミューズメントパーク化した教会を好きにはなれませんでしたが、友人たちのことが好きだったのでいつもついて歩いていました。

彼女たちが連れて行ってくれたのは教会だけではありません。彼女たちは私を家族や知人に紹介することにすごく積極的で、週末ごとにかわるがわる郊外へと連れ出してくれたのです。うれしいことに、彼女たちの家族と話したり一緒に料理を作ったりする時間は教科書を読みあげるだけの授業より断然楽しく有意義でした。

教科書さえ手に入れば、独学でも知識は吸収できます。それならば、いっそ大学の外に拠点を移して地域社会のなかにもっと入ってみよう―――そんな訳で、私は留学期間の10か月のうち約6か月をキャンパスの外でのフィールドワーク(インターン含)に費やすことに決めたのでした。

図6: 友人フェリシアは、ほぼ毎週末甥っ子と姪っ子の世話をするために郊外の親戚の家に帰っていた。バンクー(キャッサバとメイズの粉から作る酸っぱいお団子。主食のひとつ。)のつくり方を教えてくれている。

2-3. 留学後半:農村でのフィールドワーク

私が滞在していた地域は大きく分けて2つ。インターンをしていたEastern州のAkuapem Hillsという山がちな地域、そして第二の故郷Manso郡Adubia村です。Adubia村はガーナ中部Ashanti州の州都Kumasiから3時間ほどの熱帯雨林に囲まれたド田舎にあります。わたしはAdubia村を主なフィールドとして、家族の形態についての研究を行っていました。

アフリカの家族というと、伝統的な大家族のイメージが強いかもしれません。しかし、都市化とグローバル化の影響は確実にガーナの農村部にも押し寄せています。進学や就職(出稼ぎ)、病院への通院などの生活上の都合でたくさんの人が都市部と農村を行き来しているのです。では、昔ながらの大家族は縮小・消滅してしまったのでしょうか。そして、ガーナも日本のように無縁社会化する運命にあるのでしょうか。個人的にはそうではないように思います。

そもそもガーナでは、「家族」の定義がすごく広いのです。血がつながっていなくても親しい人は「ブラザー」「シスター」と呼んで家族同然に扱うし、逆に面識のない血縁を頼りに都市へ出てきて一緒に暮らしだすこともあります。このように、もともと柔軟なガーナの大家族は人々の移動にともないさらに流動性を増し「拡大」しているのではないか、というような疑問がわきました。

これらは、それぞれの滞在地でフィールドワークを行った結果考えたことです(図7)。町や村へ出ることがなければ、私は日本の固定的かつ閉鎖的な家族の在り方にとらわれて、ガーナの家族の全体像が「つかみきれない」ものだということにすら気付くことができなかったでしょう。町や村の現実は、日本人としての「思い込み」やガーナ社会に対して抱いていた「幻想」を見事に打ち壊し、目を開かせてくれます。フィールドワークで生の生活にふれることは、研究だけではなく時に自分の人生の転機さえも生み出すものです。

図7: 主食フフ(キャッサバからつくるお餅)をつくエレンとお母さん。ガーナではよくあることだが、エレンは養子だ。養母とも近所に住む実母とも仲が良い。ガーナ社会のフレキシブルな家族の在り方は私の家族観を大きく変えた。

3. ガーナ大生であるメリット

ガーナ大生を名乗りながらキャンパスには実質4か月しかいなかった私ですが、ガーナ大生であったことには大きな意味がありました。

まず、タイトルの「書を捨てよ」と矛盾しますが、大学の図書館や本屋さんでは現地の興味深い文献が簡単に手に入ります。留学前、ガーナ人が書いた家族に関する情報はなかなか「ない」と思っていました。しかしそれは違ったのです。「ない」のではなく日本に届かないだけなのでした。農村で暮らしていた留学後半もたまに大学に出てきて様々な文献を調達できたことは、フィールドワークの大きな手助けになりました。

また、情報アクセスに関する利点としては、良質なフィールドワーク先/インターン先をより簡単に探すことができるという点も挙げられます。日本でアフリカでの活動先を探すのは難しいでしょう。見つけられたとしても、高額な仲介費をぶんどる仲介サイトを経由しないといけなかったり、超ブラックだったり、安全管理がしっかりしていなかったりという話をよく聞きます。しかし、現地で学生として生活する傍ら活動先探しをすればこれらのような問題には悩まされません。

とりあえず学生として向こうに渡ってしまえば、現地でのツテがいっぱいできるからです。協力隊の人、日本企業の人、大学の友だちなどからの紹介をもとに実際の活動の様子を確認してから活動先を選ぶことができます(この方法だったら、「先方から返信が返ってこない!」といらつくこともないでしょう)。手数料を払うどころか、条件によってはお給料をもらうことだってできるかもしれません。さらに、HPなどの発信ツールを持っていないけれど素晴らしい活動をしている現地NGOで地域密着型の活動をすることも可能です(図8)。必ずしも日本であせって活動先を決めることはないのです。

図8: 各地域のJICA協力隊の方を訪問し、活動の様子を見させてもらった。任期を終えた方がNGOを立ち上げ活動を続けている例もあったので、そういう団体でインターンさせて頂くのもおもしろいだろう。

「そんなに自由に活動して、派遣留学生をクビにならないのだろうか」と心配する人もいるでしょう。しかし、この点に関してガーナ大学は非常に協力的でした。農村に移り住んで活動するという私の計画をきいた留学生課の人は迷いなく「ノー・プロブレム!」と言い切り、「大学を離れてもあなたを守れるように居場所だけ教えてね」と言ってくれたのです。最初に1年分払った寮費も、いくつか事務所をたらいまわしにされたもののちゃんと返ってきました。

単身で行動していても大学に守られている、というのは大きなポイントです。日本からは目が届かず現地警察も汚職だらけのガーナでは信頼できる人との縁だけが自己防衛の手段ですが、自分のまわりにいる人(ガーナ人でも日本人でも)が本当に信用できるかはわかりません。正直、デート・レイプなどの犯罪が発生しやすい状況だと思います。そんな中、現地での所属先がはっきりしていてそれに権威があることは、犯罪に対する抑止力になるのです。これはとても大事なことだと思います。

とはいえ、現地の人たちを一方的に信用できないものとみなすのは失礼な話です。受け入れる側からしてみたら、こちらは身分不確定の外国人。それこそ手放しでは信用できないでしょう。村でフィールドワークをしているとき、公的機関に行くとよく「紹介状は?」と言われました。ガーナの役所はとても権威主義的なので、書類をとても大事にするのです(その割に管理はとても雑だから腹が立ちます。何度もケチをつけられて書き直した書類なのに、すぐにその辺に放られてどこかにいってしまうのがオチなのですから!)。そういう時に「ガーナ大学の生徒です」と言って学生証を見せると一発で通りました。このように、スムーズな調査を行ううえで現地の大学に所属していることはとても有利に働くのです。

一方、役所とは正反対に、村では一度コミュニティに入ってしまえばもうよそ者ではありません。「拡大する家族」の一員です。オープンな絆を持つガーナ社会では、たとえあなたの髪がまっすぐで黄色い肌に一重まぶただったとしても、一緒に暮らせば「家族」になれるのです(図9)。

図9: 第二の故郷Manso Adubia村にて家族と。

4. おわりに

留学には様々な形があり得ます。私のようにフィールドワークに取り組んでみてもいいし、大学での勉強にどっぷりつかってもいいでしょう。趣味やサークル活動を充実させるのも楽しそうです。「○○じゃなきゃいけない」「○○はしちゃいけない」なんてことは、実はほとんどありません。実際、カリキュラムから多少逸脱しても強制送還はされなかったですし、ひとに裏切られて人間不信になっても死にはしませんでした(ひとや自分自身を傷つけないための対策はきちんとしなくてはいけませんが)。多少世の中のレールから外れても、こころの鈴が鳴る方へ進めばよいのです。きっと大丈夫、人生という船はそう簡単には座礁しないのです。

最終更新: 2019年11月14日