「アフリカ最大の資源は天然資源ではなく・・・?

〜日本から最も離れた国・ブルンジで思ったこと〜」

河野賢太(アフリカ地域、2013年度入学)

1.日本から最も離れた国・ブルンジで思ったこと

2016年12月17日、国境を越え、僕を含む乗客をぱんぱんに詰め込んだバスは人気の無い山道をどんどん登っていく。もう一時間強は乗っているだろう。「はたしてこの先に首都があるんだろうか?」と思っていると、宮殿が目に飛び込んでくる。聞くところによると、これは大統領の宮殿で、今は建設中らしい。中国語が建設中の機材に書かれており、こんな国にまで中国企業があるとは たまげたものだ、と感心するや否や、平地が目に飛び込んできた。家のトタン屋根が太陽光を反射し、キラキラ光っている。奥には湖がある。とても小さいけど、なんて美しい都市なんだろう、と僕は思った。


ここはブルンジ共和国・首都ブジュンブラ(写真1)。ある意味日本から最も離れた国の首都に僕は足を運んだ。 僕は2016年9月〜2017年9月の1年間、Protestant University of Rwandaというルワンダの大学(#1)で平和構築・紛争解決学科に在籍していた。そこで僕がやっていた事を一言で言うと、「暴力紛争後の社会にて、いかに加害者と被害者が信頼関係を取り戻し、和解していくか」について、アフリカ各国から来た学生達と考えていた。しかし今回の留学体験記では、あえて、ルワンダではなく、ブルンジで過ごした3週間の間、僕が感じた事を話したい。ルワンダについては、同じ留学先で勉強していたアフリカ地域専攻の後輩達が話してくれるだろうから。

注)#1: Protestant University of Rwandaの詳細は、以下を参照されたい。 URL: http://www.piass.ac.rw/

写真1: ブジュンブラの位置。(出所: BBC, 4 December 2017, “Burundi country profile”, URL: http://www.bbc.com/news/world-africa-13085064)

ブジュンブラに来た理由は、「人々がどう暮らしているか想像もつかないブルンジに行きたい!」という理由からだ。というのも、ブルンジはルワンダと違い、2015年に大統領が「任期延長する」と宣言した事を契機にクーデターが発生し、情勢は不透明なままだ。同じ紛争に喘いでいる南スーダンとは違って、資源が少なく、アフリカで一番経済的に貧しい国だ。ただ、そこには人々が住んでおり、僕の友達にはブルンジ人も多くいる。彼らの育った国についてもっと知りたい。そう思い、リスクを承知で友達の一人に頼み込み、ホームステイを3週間させてもらった(絶対私から離れるな、と言われたが)。

賄賂を要求してくる腐った警官、政府を熱烈にサポートする若者との出会い、酔っ払い同士の喧嘩、気さくな若者、おそらく初めて外国人である自分を見て泣き出す赤ん坊、頻繁に起こる停電、心が素朴な美しい人々、友人の親戚の結婚式… 。

写真2: (左)ホームステイ先の家から見たタンガニーカ湖。奥に見える山から先は、コンゴ民主共和国。(右)野生のカバを見たければぜひブルンジへ!(以降の写真は全て筆者撮影)

あの3週間で起こった事全てはとても書ききれないけど、印象に残ったエピソードが一つ。

ブルンジにはタンガニーカ湖という世界で2番目の深度を誇る湖があり、そこへ友人と足を運んだ(写真2)。野生のカバや飼われている牛が寝そべっているビーチには、ボートマンと呼ばれる、木製の船を漕いでタンガニーカ湖を案内する観光客相手の商売を営む男たちがいる。「調子はどうだい?」と来てから覚えたキルンディ語で話しかけると「まぁまぁだね。にしてもキルンディ語を話すなんて驚きだよ。どこで覚えたんだい?」と陽気な笑顔で返される。「ほんの少しだけね。友達が教えてくれるんだ。ところでビジネスの売り上げは?儲かってる?」と更に聞くと、彼の顔つきが真剣味を帯びた顔つきに変わる。「2015年のクーデター騒ぎから、すっかり景気が悪くなっちまった。その前は毎年音楽フェスがあって、コンゴやタンザニア、ひいてはケニアからも観光客が来ていたのに…。俺はあんたが外国人だから話すが、誰が大統領になったっていいと思ってるんだ。彼が安全をもたらしてくれるならね。今の大統領はダメだね。暴力と腐敗が蔓延している。日本人のあんちゃん、どうかブルンジの状況を日本に伝えてくれ。」と。

これは、いかに現在進行形の紛争が無数の一般市民に影響を与えているか、始めて実感した瞬間だった。「紛争」「数千人が国を追われる」などといったよくニュースで自分たちが見る言葉が、実体験と結びついた。

夜にはステイ先の家族と一緒にご飯を食べ、いつものように楽しく食べながら、僕は友人に質問する。

「君はブルンジと違って、平和なルワンダで留学しているけど、将来はどうするの?経済的にも豊かなルワンダで働くの?今日あったボートマンのお兄さんも言ってたけど、今のブルンジの政治的状況を考えると、ブルンジで働くにはなかなか難しい状況だと思うけど。」

すると、友達が返す。

「日本人のあなたはブルンジに来て驚きの連続ばっかりだと思うけど、紛争について一言言いたい。ブルンジはアフリカでも一番貧しい国だけど、わたしは自分の事を惨めだと思った事は一度もない。だって私には暖かくて大好きな家族がいるんだもの。ブルンジには独自の文化があって、それを誇りに思っている。今は確かに政治的に難しい状況だけど、平和について実際に学んでいる私たちが、暴力を使わない方法で、この国に平和をもたらす力になりたい。」と答えた。

これが僕にとっては衝撃だった。貧しい=不幸せではないと気付いたから。実際ステイ中も、近所の子供が自由に出入りしたり、家族や親戚同士の繋がりもとても密で、「孤独」ってのはないんだなと思った。すごく羨ましかった。こりゃアフリカで自殺なんて少ないなって納得した。

ネットの環境が全くない所で過ごした3週間(写真3~4)、これまでの人生でも一番幸せな、そして人間らしい時間を送っていたのだな…と、虚ろな目をした会社員たちが、僕がブルンジ行きのバスに詰め込まれていた時と同じくらい混んでいる「新宿発京王八王子行き」の電車の中で、僕は時々思い返す。特に就職活動中の今なら尚更だ。金を稼ぐのももちろん良いし、それは大事な事だけど、もっと他に大切な事があるんじゃないかな、と最近思う。これは僕のアフリカでの経験から来ている、なんとなく言語化はできない思いだ。

写真3: ステイ中は料理を手伝ったり、水を汲みに行ったり…。

写真4: (左)ステイ先の温かすぎる家族と友達と。(右)ステイ先の近所の家族と。

留学中、お世辞にも平和とは言えない国々に足を運び、色んな人に会い、色んな事を感じた。ルワンダに留学しに行った、と周りの日本人に言うと「そんなとこに何しに行ったの?」と返されるが(親にまで)、僕にとってはこれまでの人生で一番意味のある時間だった。自分のちっぽけさを知り、アフリカ中から来た優秀な友達に刺激を受け、アフリカ大陸に魅せられた。ある者はアフリカにある石油や金、ダイヤモンドに魅せられ、またある者は雄大な自然に魅せられる。だが僕が一番魅せられたのは、人そのものだった。同じ大学で学んだ才能溢れる友人たちがいれば、アフリカはもっともっと良くなると確信した。将来はそんな彼らと一緒にアフリカで働きたいと思い、今はアフリカで働ける仕事を探している(写真5)。そして最後にはなるが、2年後にはブルンジで選挙が行われる。どうか少しでも平和裏に、政権移譲が行われる事を願うばかりだ。

写真5: 留学先のアフリカ各国から来た学友達。将来は平和構築分野で活躍するだろう。

2.アフリカ留学を考えている人へ(インターンでも当てはまると思います)。

一つ。謙虚さは日本人が美徳とすることの一つですが、僕の意見を言うと、アフリカ留学に当たってそれは役に立ちません。むしろ自分の意見をはっきりと主張し、違うと思った意見には、はっきりと(理由を述べて)否定することが求められていると思います。本当に腹を割った関係を築きたいのなら、まずは自分という人間をストレートに表現することです。そして相手の意見の否定は人格否定ではないと留意すること。自分の意見を否定される際も同様です。

二つ。謙虚になりましょう(さっきと言ってることは真逆ですが)国際関係や平和構築系のアカデミックな議論をする際には、日本人はどうしても「外国人」として否定されることもたまに起こり得ます。その際に反論するだけでなく、「なぜ相手はそのように思うのか」をしっかり汲み取ることが、真の意味で彼らの意見を聞くということになると思います。

三つ。トラブルを楽しむだけの胆力を持ちましょう。アフリカで、時間通り・予定通り物事が進むことはまああり得ないです。そして辛いことももちろんあります。ベットはダニだらけ、「中国人」と間違われる…その際イライラするのではなく、おおらかな気持ちを持ち、ジョークでも言って笑い飛ばすこと。そして補足ですが、現地語を少しでもいいので覚え、街に出ましょう。学びの半分は、学外での現地人との会話にあります。

※ この記事を読んでの質問、感想、疑問があれば、僕(河野)の連絡先rwanayuhak@gmail.comまで。