まともに規定を読んでいただいた方は、死に体の定義らしきものが書かれていることに気づかれたと思う。
第十四条 (中略)相手の体が重心を失っているとき、すなわち体が死んでいるとき(後略)
死に体という勝負決定において重要な概念なのだから、こんな末端の規定にこっそり紛れ込ませるのではなく堂々と規定してほしかったが、それを正面から規定するのは難しいから回避したのだろう。
さて、「重心を失う」の意味からはっきりさせておきたい。
最初のイメージとして考えられるのは、ほっといたら落ちるということだろう。文字通りに受け取れば重心というのは常に存在し、無くなるものではないのだが、(足裏以外の)体が自然落下して地面に着地する状態を「失う」と表現しているのだろう。通常の状態では、重力を二本の足で支えているから体は落ちない。
では、二本の足が両方離れていれば、重心を失うことになるのか。そうではないだろう。真上にジャンプしたらそのまま足で着地できる状態から、足裏以外の体が着地する状態とはいえない。
では、斜め前方に推進力があって両足が地面から離れている場合はどうか。これは場合によるが、足裏で着地できるのならば、足裏以外の体が着地する状態とはいえないことになるだろう。
つまり、両足が地面から離れているときに、次に足裏を着地させられる体勢ならば重力を失ったとはいえず、そのような状態でないのが「重心を失った」状態といえるということではなかろうか。
いったん足裏を着地させられるが、その後は着地原則により負けになる状態をどう見るか。これは、実は話を飛ばしていた、「着地はしているが重心を失っている場合」の問題だろう。つまり、足裏が地面に接していた状態であっても、放っておけば着地原則により負けになる状態というのはあり、これをどう見るかということである。
ここで話を戻したい。死に体というのは、勝負判断のために用いられるもので、審判が判断できるものでなければならない。「重心を失った」といっても、重心が点で現れているわけではないし、次に足を送れるかどうかという判断も容易ではない。足が地面についている状態であっても、それ以前の流れから着地原則による負けになる状態になる、ということを判断できる場合もあるだろう。しかし、死に体判断の明確性を期すため、足裏が着いているときは負けにならない、とすることは不合理ではないと思われる。というわけで、ここでは足裏が地面に接している状態であれば重心を失っておらず死に体にはならないものとしたい。
同様に、両足が地面から離れており、次に足裏が地面に着地できる体勢ではあるが、その後は着地原則により負けになる状態も、死に体にはならないものとしたい。
前の頁で、相撲大事典の死に体概念を、以下のようにまとめた。
「体の重心を失ったり復元力がなくなった」場合で、「逆転は不可能である、または、それ以上相撲は取れないと判断される体勢に陥った」ときは負けになる。
先の14条の規定になかった語が色々含まれている。
まず、「復元力がなくなった」である。とはいえ、先の説明の重心を失ったと別の意味に理解する必要はほとんどないのではなかろうか。あえていえば、足を送れるが、そのときの足は土俵外であるときは「重心を失った」と表現しないのであれば、そのような場合を「復元力がなくなった」と表現することは可能だろうが、先の説明では端的に土俵外着足を含めた着地原則に違反しない足裏着地がある場合には重心を失ったとはしないことにしているので、ここでは同じような意味ととりたい。
「逆転は不可能である」という語について、著者は単なる説明で独立した意味を込めていなかったかもしれない。
しかし、次のような意味を見出したい。すなわち、先の「重心を失った」という状態だけでは、相手がもっと体勢が悪い場合であっても死に体となる。これは不当ではないか。
不当ではない、と考えられる方もいるかもしれない。重心を失った時点の先後で判断すれば良い、と。
しかし、次の事例はどうだろうか。
いわゆる重ね餅の事例、寄り倒しとそれを受ける側の関係を考えていただきたい。
そして、両者が地面から飛んでおり、重心を失ったものとする。
このとき、寄り倒している側、上にいる側の力士に死に体を認めるのは不自然ではなかろうか。
さらにいえば、上にいる側の力士だけ地面から飛んでいる場合もありうる。
上にいる力士は上体から突っ込んでおり、もはや足を送れない。他方、下の力士は踏ん張っている。しかし、上の力士の寄り倒しが成功して結果寄り倒した。
このような場合、上にいる力士が先に重心を失っているが、それ故に死に体となって負けるとすれば、明らかに不当だろう。
つまり、勝負判定は相手より優れているかどうかだが、「死に体」の判定においては相手の体との位置関係が不可欠の要素ではないかと思う。重心を失っていても、相手の体との位置関係によっては、死に体にならないことがあるとすべきではなかろうか。
これに対しても、相手の体の上に乗れば地面に着地しないという考え方はあるかもしれない。しかし、重心を失っていないということは困難だろう。そこで先ほどの重心を失ったことと並列されていた「復元力を失った」にあたるかだが、やはり復元もできないだろう。そうなると、重心を失っているが相手の体の上ならば死に体ではない、という位置づけになる。そうなると位置づけとしてはあまり変わらない。
「それ以上相撲はとれない」についても、同様の意味を見出したい。
基本的に、 相撲の技は、ほとんどは足を通じて固定された土俵に力を送ることで受ける反対側の力を利用するものだろう。だから、足が地面になければほとんど相撲はとれない。しかし、自分の体重を直接相手に伝える技もあり、そのような技は足が地面に接していなくてもかけることができる。たとえば、下に力士がいるときにはたく、ひく、単に潰す、あるいは、相手をつかんでいるときに、その手を相手の反対側や下に引っ張ることで相手の体を出したり落としたりする。このような場合は、足が地面に着いていなくてもできる。そこで、重心を失った場合であっても、このような行動がとれる体勢であれば、まだ死に体とはしない、とするのである。
以上、「重心を失う」は、両足が土俵から離れていて、かつ、次に土俵内に足裏がつくように足を送れない状態をいうが、重心を失っても、相手力士の体との関係次第では、重心を失っても死に体とはならないものとしたい。
先の14条の規定は、重心を失えば死に体になるという一般論を念頭に置いたものであり、重心を失ったことが死に体に直結するものではないものとしたい。死に体そのものを規定したものではないから、死に体について完全に正確な理解を示したものと受け取る必要もなく、このような理解も許されるのではなかろうか。