三賞というのは場所単位の成績に対して与えられるものだが、千秋楽取組前に審判委員と記者らにより決定される。場所単位の成績を審査すべきなのに、場所が終わる前に決まるのである。
このことは三賞のある本質につながるように思われる。
親方は協会の仕事に部屋の仕事があり、記者は記事を書かねばならない。これらの仕事は、特に千秋楽においては大変なものだろう。
つまり、三賞の決定は片手間になされるもので、もともと肩肘張って厳格に審査すべき筋合いのものではないのである。いわば、不完全な場所審査というべきものだろう。
三賞は、その程度の話なのである。これが本質だと思う。
そんな三賞を突き詰めたくなるのがマニアの血というものである。