前述のように、基準自体の正当性が重要で、それは格にふさわしい成績を用いているものだ、という話をした。
つまり、昇進基準の作成には、横綱にふさわしい成績や大関にふさわしい成績とはどのようなものかを考える必要がある。今後私が昇進基準を複数提示していくことになると思われるが、私の格にふさわしい成績の評価は一つであり、先出しして総論で述べておきたい。
この次に述べる要素が優勝である。では、なぜ第一の要素として星数を上げるのか。
理由は簡単で、横綱は優勝制度創設以前から存在していたからである。
また、横綱以外では、基本的に地位と星数のみで編成される。例外は、幕下15枚目以内全勝の十両昇進くらいのものである。
では、どんな星数が横綱において期待される成績といえるだろうか。
まず15勝。これは横綱の成績として適切だろう。
明治大正辺りも、「全勝又は無敗」というのが一つの基準として言われていた。
場所単位の成績では最高の成績である。
14勝も評価が高い。昇進例を見ても、昇進問題の対象となる場所において優勝がない場合、いくつかの例外を除いて昇進場所は14勝である。
優勝のモードである。しかし、これには「1敗」というケチがつく。なぜ、1回負けても未だ横綱にふさわしい成績として認められるのだろうか。
それは、おそらく、横綱も地位である以上東西一名が望ましく、横綱が二名であることが望ましい以上、いずれかの横綱が負けることは想定される、という考え方なのではなかろうか。
この、東西一名が望ましいという価値観は、絶対的なものではない。
すなわち、14勝を横綱において期待される成績としないことも認められる。
13勝になると微妙なものが出てくる。
これが横綱にふさわしい成績なのはなぜだろうか。
横綱が3名であることも認められるからだろうか。しかし、それをいうならそもそも横綱が何人いようが制度上問題となるわけではない。歴史上4横綱が最大だから12勝までは横綱の成績か。それならば5横綱が誕生したら横綱にふさわしい成績が変わるのか。このような議論の陳腐化を避けるために、14勝では、「東西制」を援用して横綱として想定される人数を限定したわけである。
おそらく13勝がなぜ横綱の成績として認められるかといえば、優勝者の通常の成績であるとともに、ほとんどの場合終盤まで優勝争いをしたという意味を持つという、優勝に関連付けられる成績だからなのではないだろうか。
これを横綱の成績とすることは、優勝を横綱の成績として認めることを前提としているように思われる。
12勝は、優勝しても綱取りを否定されるほど、現実的には消極的な要素となっている。
優勝者の成績として、意外ではないが、低レベルの感がある。横綱にふさわしい成績とするならば、やはり優勝から根拠づけられる成績であろう。
また、現行の番付編成では、空き家が無い場合でも、東筆頭の10勝は小結に昇進するし、少し前まで小結の11勝は関脇に昇進していた。さらに、北の湖は横綱昇進の目安を13勝と発言している。次点のモードでもある。
このようなことから、大関については12勝を基本的な成績とすべきだと思っている。
現実に発生した優勝の最低記録である。12勝未満で綱取り白紙というルールがあるが、このルールは、11勝では横綱にふさわしい成績とはいえないという意味だろう。
他方、大関昇進基準の目安として3場所33勝が唱えられており、この基準は大関にふさわしい成績として11勝を基本的なものに据えているということだろう。
何より二桁という問答無用の分かりやすさがある。感覚的なものだが、おそらくこの感覚から離れることは困難だろう。現実に発生した次点の最低星数でもある。
実際にも、大関昇進の昇進場所の事実上最低限の星数だろう。
以下、優勝、優勝同点、優勝次点を、優勝等と呼びたい。
横綱以外の番付編成からは、星数が横綱昇進の基本的な成績とみてもよいだろう。では、優勝を横綱の成績として認めてよいか。
優勝決定戦制度創設以降においては、優勝は、場所単位で最優秀者であること、すなわち第一順位にいる者であることを示す。
しかし、東西必置である大関とは異なり、いなくてもいい横綱には、順位を無視することも許される。
とはいえ、横綱も番付の地位であり、番付が実力、すなわち期待される成績の順位表であるから、大関以下の力士よりも高い成績が望まれる。だから、横綱が一人いる場合に、横綱に期待される成績があるとすれば、その成績は優勝を意味するし、先ほどと同様東西制の援用を許して二人いる場合にも、準優勝以上を意味する。
以上、論理必然というわけではないが、優勝や準優勝を横綱の成績として認めてもよいように思われる。
準優勝でも、慣用上優勝者と同じ勝星である優勝同点は、次点とは別の扱いとされている。もともと優勝決定戦制度がなかった名残りということか。
本割の成績では優勝と同様だが、優勝と異なり「1番」ではない。優勝に近い評価が与えられてよいだろう。。
本割の成績が優勝者に次ぐもので、優勝者に劣る成績である場合は、優勝次点となる。
一番ではなく二番なので、明らかに横綱の成績だ、とは言い難い。
あとは東西制をどの程度横綱に反映させるか、という問題になるだろう。反映させる場合には、他の横綱に優勝をさらわれた横綱の成績が想定されるから、横綱の成績として認められうる。
優勝次点は少し幅が広すぎるという評価も可能だろう。そうすると、次点をさらに細かく見て一定のもののみを評価する、という方向性も考えられる。
以下では、その優勝次点を限定した成績を見ていきたい。
1-6-4-2-3-1 相星決戦敗北
優勝次点のうちもっとも優勝同点に近いと思われるものが、相星決戦敗北である。
優勝決定戦の先取りのような印象があり、五分に近い優勝争いをしたとみれるだろう。
1-6-4-2-3-2 千秋楽まで優勝争い次点
審判部の比較的安定した「準ずる成績」の解釈として、優勝プラス千秋楽まで優勝争いで準ずる成績である、とするものがある。この「千秋楽まで優勝争い」をした次点のことである。
言い換えれば、14日目終了時点において最優秀成績者と一差であり、かつ最終的に優勝次点の者、ということになる。
事後的に見れば、対戦順という偶然事情によって「準ずる成績」かどうかが決まるという批判がありうる。
しかし、本場所の優勝決定を千秋楽まで持ち込ませたという結果は評価できる。次点の中で優勝に近いものを選出する基準として、この結果を重視して「千秋楽まで優勝争い」を持ち出すのは、一つ適当な基準のようにも思う。なお、相星決戦を評価するのも、同様の問題はある。
14日目に優勝決定がなかったのは、本人が優勝者と1差以内だった場合に限られる。実例があるかどうかは分からないが、本人が優勝者と2差で、さらにもう一人1差の力士がいたために14日目での優勝決定がなかった場合は、この千秋楽まで優勝争いにはあたらないものとする。
また、14日目終了時点で一差であるものの、千秋楽に最優秀成績者同士の対戦が組まれているために優勝しないことが確定している場合については、これには当たらないとする。
あくまで次点のうち優勝に近いものを考えよう、という意図で評価すべき成績として提案したものだからである。千秋楽まで優勝争い次点を包含する「千秋楽まで優勝争い」概念があることになる。
なお、千秋楽まで優勝争いの次点を、以下優勝争い次点又は争い次点という。
1-6-4-2-3-2-a 14日終了時点において首位と1差だが、首位同士の相星決戦があるため優勝できないことが確定しているケース
1-6-4-2-3-3 一差次点
前述のように、対戦順に依存する問題から解放された評価としては、一差次点がある。
星数とは別個の要素として優勝等を考え、その優勝等の評価としてまた星数を持ち出すのは、入れ子構造になっている感。しかし、もともと優勝等は挙げた星数の順序という星数を単位とした派生的な要素であるわけで、星数を再び持ち出すことがおかしいわけではない。同点と次点を区別しているのも、星数が違うことを前提としている。もっとも、この理由付けにについては、同点と次点の区別自体を否定する考え方もあるだろう。
1-6-4-2-3-4 優秀次点
優勝争い次点と一差次点は異なる観点からの分類であり、前者が後者よりも優れているということではない。
これら二つを、通常よりも優勝に近い次点として特別に区別する意味で、「優秀次点」といいたい。
1-6-4-2-3-5 単純次点
以上述べた次点に当たらない次点を、単純次点と呼びたい。
現行制度では、基本的に上位は総当たりであり、反面上位でない力士との間に対戦相手の不均衡が生じる。それにもかかわらず、一勝は同じ一勝として扱って優勝力士を決定していることには、それ自体不公正がある。
現実はそうとして、個人が望ましい制度を考えていく上では、この上位対戦のない力士はいないものとして考えた方が良いのではないか。
しかし、個人として昇進基準とは別個に望ましい優勝制度を考えることも可能であり、この問題はそちらに任せたい。
したがって、上位対戦のない力士が優勝等に絡んだ場合でも、特別の扱いはしない。