何故昇進基準を語りたいのか。
それは、結局のところ、「現実の大関の昇進基準に不満がある」からではなかろうか。
例えば、「大関が弱いから昇進基準を厳しくしろ」という意見や、「最近の大関昇進は厳しくなりすぎである」という意見がある。
これらの意見は、現実の昇進基準に不満があるということだろう。
もう一つ、「昇進基準などなく、協会の恣意がまかり通っており、昇進基準などない」という意見がある。
批判の文脈であれば、これは昇進基準があいまいである(存在していない)ことを批判しているのだろう。
なお、これを批判として持ち出していない場合は、その方はそれで良い、と思っているのであり、昇進基準の対案を出す、ということはおそらくしないであろう。昇進基準否定論である。
ともあれ、現実の昇進問題に対する不満が昇進基準論を語る目的なのではあるまいか。