公傷制度については、wikipediaに良記事がある。goo.gl/9mRD6e
公傷制度の必要性の話に入るためには、それがない番付編成から話を始めた方が良いように思う。 番付の仕組みは、ある場所の成績から、次の場所の実力を判断し、並べたものといえる。 延々と続いていく番付制度には、ある利点がある。それは、「多少の問題は時が解決してくれる」ということである。
ある力士が不相応に高い地位に上がってしまったとする。これは、実力と地位に不一致がおきた状態といえる。しかし、この力士はその場所において低い成績を収めるだろう。それによって、次の場所は、より不一致の少ない地位になる。 逆もまた然り。
ある力士が全休したとする。公傷制度のない番付では、番付が大幅に下がる。しかし、その地位で大勝ちすれば、番付が大幅に上がる。大勝ちしないのであれば、それは実力がそうなっているだけのことである。 何場所全休しても同じことで、結局場所を経ることにより適正な地位に回復していくのである。
では問題があるとしたらどういう点か。
第一に考えられるのは、過剰な番付降下である。
時間経過によって是正されるとはいっても、全休が続くと、適正な地位に回復するまで長期間を要する。この、実力と地位の不一致は容認できないほど大きい、というものである。 wikipediaの記事にある竜虎の件は、この問題だろう。
この主張は、過剰な番付降下が起きる長期休場にのみ公傷制度を認める考え方につながる。また、地位が実力よりも低下しているという考え方に基づくものといえる。
第二に考えられるのは、強行出場である。 wikipediaの記事にある藤ノ川、増位山はこの問題だろう。 しかし、これは問題なのだろうか。
休場の判断要素は、出場した場合のメリット、主に勝利数を増やせる可能性と、デメリット、主に出場したことによるケガの悪化の可能性と、出場した分の回復が遅れる程度ぐらいか。 最後のは無視してよいだろう。
出場によるケガの悪化の程度はケースバイケースである。 勝利を増やせるというメリットだが、典型的には、単純な星数ではなく、その場所において、優勝、昇進、降格が絡んでいる場合だろう。
自分の体を最もよく知る力士が以上のメリットデメリットを総合して適切に休場するか否かを判断すれば、それで良いのではなかろうか。 いや、そうではない、という判断があって、はじめて強行出場が問題となる。
表現を変えれば、協会が一律にデメリットの方が大きいと判断できる場合に、力士の誤った判断が生じるという問題が認められ、それを防ぐために公傷制度の必要性が認められるともいえる。
ここで、実際の公傷制度を見ておきたい。これを旧制度としたい。 wikipediaから借用すれば、その場所は休みを負けに換算して番付を編成するが、次の場所は休場しても、その次の場所は同じ地位に留まれる。公傷は1回の怪我につき、1場所までの全休が認められた。 とのことである。
ウィキペディアの例のうち、竜虎の例は連続休場で下42まで落ちたが、公傷制度があっても下11である。救済の程度は小さい。 藤ノ川や増位山の例では、当初休場した場所後の編成では地位が下落するから、公傷があったら休場していたかも疑問である。
旧制度は、公傷制度導入のきっかけとなったケースの解決策としては不適合だったといえる。
次に、廃止された理由を見てみたい。 wikipediaの文意からは、筆者は公傷認定による休場力士の増加が最大の問題だと捉えているようである。 何故休場力士の増加が問題なのか。興業上の理由だろう。特定の力士目当てで相撲を見るという動機も少なくはないから、客入りに影響がある。
さて、このような公傷認定に、いかなる問題があるのだろうか。
まずは、適正な判断を期待できるか、という問題がある。 協会の認定が軟化した動機が、協会を構成する親方が身内に甘くなることにあるのであれば、不当といってよいだろう。
次に、全治二か月という医者の診断書自体が疑義があるという問題。 これも、診断書が虚偽であれば不当だろう。 素人にとっては、脱臼癖のある人間の脱臼が全治二か月というのは不自然に感じられる。 wikipediaにおいて旧制度廃止の原因となった武双山の件は、この問題だと思う。
判断者の問題以外にも問題がある。 全治に明確な定義は無いようだが、通院加療が必要な期間というのが最も通用した意味であるようだ。 全治を公傷の基準として用いる場合、常に通院している力士というのは、常に全治二か月以上であり、公傷の適用をうけうるということになる。
武双山の件も、「古傷」であったが、古傷というのはそもそも全治するのだろうか。武双山の左足親指は全治何か月だったのだろうか。という問題とも捉えられる。
そして、そのような力士が多数に及んでいるならば、公傷をとろうと思えば常に取れる力士が多数いることを意味する。 これは不当ではないだろうか。
この旧制度の 経緯を、前に挙げた二点の必要性からまとめてみたい。
第一に、過剰な番付降下という視点から見てみたい。
旧制度では、公傷制度が無い場合に比べて1場所休場分番付を維持するものだが、1場所分だけでは、全休であっても、実力が元通りなら2,3場所で回復するだろう。時間経過に任しても不当性があるとはいえず、疑問のある制度だった。
第二に、強行出場という視点から見てみたい。
前述のように、基本的に負傷したときは休場するのが合理的判断だろう。出場しても黒星が嵩む一方だろうし、ケガが悪化するおそれもある。なぜ、それにもかかわらず強行出場するのだろうか。
その典型的な例としては、その場所における、あるいは負傷後の数番に勝った場合の価値が大きいという場合だろう。要は、優勝、昇進、降格絡みである。
このような場合の出場を否定するのならば、力士の申請をまたず協会が強制的に出場可否を判断する制度の構想につながるだろう。
旧制度は、最初に休んだ場所は降下し、次場所の休場については番付が降下しないものだった。 一場所目に降下するということは、その場所における優勝、昇進、降格防止絡みは防げない。
さらに、当初の実際の認定は、wikipediaから借りれば、「土俵で立ち上がれたら公傷にはしない」「古傷の再発は公傷にしない」 とのことである。このような場合は休場するのが合理的判断であり、通常は強行出場しないものだろう。あえて公傷の対象にする必要に乏しい。
結局、どのような場合を念頭に置いているのかは分からず、問題のある制度だった。
翻って、公傷制度のない現行制度が不当なものかどうかを考えたい。
公傷制度の目的を過剰な番付降下の防止として、現行制度における番付降下が過剰なものとなれば公傷制度が必要なものであると評価されることになるから、公傷制度の無い現行制度の番付降下が妥当なものであるかどうか、モデルケースを設定して考えてみたい。
区切りやすい場所数として、半年3場所と一年6場所の場合を考える。
1.小結から3場所連続休場
2.幕下筆頭から3場所連続休場
3.小結から6場所連続休場
4.幕下筆頭から6場所連続休場(以下連休)
これらについて、復帰後全勝の場合、勝率8割(6勝1敗、12勝3敗)の場合、勝率7割(5勝2敗、11勝4敗)の場合に、連休前の地位に復帰するまでに何場所かかるか、それが不当なのかを判断したい。
相撲レファレンスの地位検索で当該地位の当該成績の近時の昇進例から適当に次場所の地位を見繕った。
小結から三場所連続休場の場合
小結→前10→十5→下4
勝率10割だと4、5場所
6勝12勝だと、 下4→十13→十2→前11→前3→小結 5場所
5勝11勝だと 下4→十13→十4→前13→前7→前1?→小結 5場所〜6場所
幕下筆頭から3場所連続休場の場合
下1→下41→三21→三81
全勝だと2場所で幕下上位3場所で十両
6勝 三81→三23→下44→下18→下7→下1 6場所
5勝だと 三81→三51→三21→下58→下38→下24→下14→下6→下1 所要8場所
小結から6場所連続休場の場合
小結→前10→十5→下4→下44→三24→三84
7勝 三84→下47→下3→十10→前10→小結 5場所
6勝12勝 三84→三26→下45→下20→下7→下1→十11→十2→前11→前2→小結 10場所
5勝11勝 三84→三50→三22→下59→下41→下27→下17→下10→下5→下1→十12→十十5→前15→前6→小結 14場所
幕下筆頭から6場所連続休場の場合 下1→下41→三21→三81→二41→二102→口17
7勝 口17→二11→三20→下14→(十両) 4場所
6勝 口17→二40→三75→三18→下40→下17→下5→(十両) 7場所
5勝 口17→二74→二28→三93→三60→三33→三8→下46→下31→下19→下11→下5→下1? 11-12場所
客観的な評価は困難と思われるので、主観的な評価を述べたい。
栃ノ心が三場所連続休場の例で、かなりの大怪我といえる。 このような大けがで、復帰まで所要6場所というのも不当ではない。 幕下筆頭の例で5勝の場合がやや復帰に時間がかかるが、5勝を続けるということは元の地位に復帰しないのが不当といえるほどの成績なのかに若干の疑問がある。
というわけで、3場所連休については不当ではない。
6場所連休の場合においては妥当か。 3場所連休の時にも6場所の復帰は不当ではないとした以上、それ以下で復帰できる全勝の場合は不当ではない。
8割の場合、幕下筆頭から連休が開始した場合の7場所も許容範囲である。 しかし、力士の現役生活が通常長いものではないことをもふまえれば、小結から連休した場合の復帰まで所要10場所というのは長すぎるものと評価する。
7割の場合、3場所連休で述べたように、復帰に要する場所が長いのはやむを得ないことだと思う。が、それにしても小結から全休が開始した場合の14場所はかかり過ぎである。 以上のように、小結から連休が開始した場合には、やや復帰に要する場所数は妥当性を欠く。
しかし、この検討を公傷制度の評価に直結させることはできない。 六場所連続休場というのはごく稀な事態であり、この場合に不当な結果となることは制度の評価を決定的にするほどの欠点とはいえない。
出場前の連続休場場所数(3場所以上戦後、横綱を除く)
7場所連続休場後出場 1
6場所 4
5場所 16
4場所 42
3場所 136
もちろん4、5場所の場合も若干の不当性はある。しかし、制度化が必要なほど明白又は重大な不当性とはいえないだろう。 以上より、公傷制度は現時点で不要である、と結論しておきたい。
「公傷制度を変えるものとして、どのような案が良いか」という議論も当然あってよいし、その私案を出したい。
といっても、やはり公傷制度の位置付け、すなわち必要性といったものは考えなければならない。
まず、過度の番付降下の防止である。 必要ない、という現行制度の評価を覆す感があるので、二点述べておきたい。
第一に、先ほどの話は、「あえて公傷制度を作る程ではない」という話で、労を厭わず制度を導入するのであれば、それが好ましくない理由はない、ということ。
第二は、他のスポーツの負傷状況を見れば、他のスポーツと同様に休場させれば、長期休場は増加するのではないか、ということである。
サッカーでも野球でも四月の戦線離脱で「今シーズン絶望」は珍しくない。 これらはシーズンスポーツだから復帰まで一年という意味ではないが、反面これらは対戦型格闘技ではなく、体重を考えれば相撲の方がより重症になりやすく、負傷が多いだろう、という予想は不合理ではないだろう。
親方衆の本場所に賭ける思いは以前某記者がツイートされていた。癌を押して業務を行なっていたとのことである。若秩父の著書には、力士には本場所を努めるという強い思いがあり、怪我を押して出場した結果肘が十分に曲がらなくなったとあった。
角界のこのような本場所重視の信念は一般論としては好ましいもので、強行出場の副作用を考えてもデメリットが大きいと確言できるものではない。 しかし、 いずれなし崩し的に他のスポーツにおける成果は入ってくるものと思われ、将来的にそれによって長期休場が増える可能性はある。
そこで公傷制度案を出したい。
先に、「全休開始場所における地位から一つ下の格の最下位」という提案をした。しかし、「過剰な降格の防止」を目的とする以上、廃止された公傷制度と同じ発想にするのが番付による不公平が無く簡明である。
先に述べた連続全休の場合に元通りの地位に復帰するまでの所要場所数の評価から、「全休連続4場所目から番付降下が止まる」としたい。永遠に番付に留まれる不都合をなくすため、「番付降下停止6場所を経過した次の場所から、再び番付降下が始まる」というルールもつける。
以上が私案である。
強行出場の抑制を目的とした場合、様々な問題がある。
まず、強行出場を制限すべきレベルを二段階考える。
第一段階は、出場して白星を得られる可能性と出場してケガが悪化する程度を比較して、客観的には後者が上回るが、力士が前者を選ぶおそれがあって場合が強行出場を防ぐ必要のある場合である。
次に、第一段階が低すぎると休場力士が多数に上る。これが好ましくないのであれば、休場力士数の抑制との調整が必要である。これが第二段階である。 第二段階の方が公傷休場が認められにくくなるということになる。
第一段階においても、休場するのが合理的判断であるというレベルのみ公傷を認めることが考えられる。このとき、普通の力士は休場するだろうが、中には強行出場する場合もあるだろう。個人的なこだわりもあるだろうが、優勝、昇進、降格が絡んでいるのが典型的な場合である。このような場合も休場させるということである。
それよりも低いレベルの受傷に公傷を認めることも考えられる。ラグビーやアメフトでは脳震盪で退場になるらしいが、相撲では今のところ非現実的だろう。このように、通常合理的判断では自ら休場しない場合に、休場をさせるために、公傷制度を設けることもありえる。
このように、合理的判断では自ら休場しない場合のために公傷制度を設けるものとした場合、合理的判断によれば休場する場合も公傷制度を適用すべきだろうか。
制度目的からはやや逸脱するが、より程度の軽い受傷のみが公傷制度の適用を受けるということの不合理が大きいと考えれば、これも公傷制度を適用すべきだろう。
今のところはあくまで合理的判断において休場すべき場合に、非合理的な強行出場を抑止することを目的としたい。
さて、そのような場合、翌場所全休しても番付が降下しないという制度にしたとき、どの程度効果があるのだろうか。大関の角番絡みの降格については効果があるかもしれないが、優勝や昇進絡みには無意味である。そうなると、制度内容としては不十分といえる。
なぜ不十分な制度になるのかというと、一律に休場させてこそ目的を達成できるのに、力士の申請を前提とした制度となっているからである。
そこで、この制度目的を全うするためには、強制休場制度を考えるべきだろう。旧制度とは根本的に異なった制度となる。
従前は、力士が各々病院に行き、診断書を協会に提出して公傷の許可を得るという制度だっただろう。これに対し、協会が認定するのだから、まず第一に、協会がそのための医師を雇う必要がある。その上で、全力士を検査するか、土俵上において負傷が認められた力士のみ診断するか、という形になるだろう。
全力士を検査する場合は、さらに多くの医師が必要だろう。ボクサー等が事前に診断を受けているのは見かけるが、これは一日のみ、勝負もそんなに多いものではない。
十五日連続で数百人の力士を検査するというのは一大事業であり、非現実的かもしれない。
そうなると、土俵上において負傷が認められた力士を診断することになるだろう。
この本場所の診断によって公傷休場の判断がなされるのは、当然ながら、本場所の受傷のみである。巡業や稽古における受傷も公傷の判断が下されないか。
巡業においても医師が帯同するといった扱いも可能だろう。稽古中の受傷は問題である。しかし、この場合は本人の申請に対応するといった扱いでもよいだろう。
強制的に休場させることが可能になった結果、その休場させた力士に番付上の優遇を与えること自体は重要ではないが、制度を維持する上で好ましいとはいえるかもしれない。
そして、旧制度通り翌場所の番付降下が無い、という内容でもよいだろう。
選択肢が広く何とも歯切れが悪いが、これを結論としておきたい。
附
【公傷取扱規定】(昭和四十七年一月施行、昭和五十四年三月十三日改正、昭和五 十九年三月十八日改正)第一条
ここでいう公傷とは、翌本場所の休場を余儀なくされる本場所の土俵 上の怪我(身体各所の脱臼・骨折・挫創・挫傷(捻挫・腱断裂等)ならびに頭 部外傷)で、その症状が明かなものをいう。
第二条
公傷の認定は、相撲の審判に当っている審判委員の当日の現認証明書 と医師の診断書により、公傷認定委員と審判部長および副部長が協議して行う ものとする。
第三条
公傷認定委員は、理事の内より二名以上を理事会の承認を経て、理事 長が任命する。任期は、二年とする。
第四条
相撲の審判に当っている審判委員は、現認証明書に怪我の生じた状況 および怪我の状態を記載した現認証明書を、その時点の審判委員全員連名にて 三部作成し、一部を控とし、一部を当該力士の師匠または本人に交付するとと もに、一部を審判部長または副部長を通じて公傷認定委員に提出しなければな らない。
但し、審判委員が、当日の現認証明書を公傷認定委員に提出していな い場合でも、医師の診断の結果公傷と認められる怪我であった場合は、怪我を した日を含めて三日以内に現認証明書の提出があれば公傷と認定できるものと する。
この但し書は平成四年十一月場所より適用する。(平成四年十一月場所改正)
第五条
審判委員は、現認証明書の作成に当り、本場所開催場所に設置した医 務室で初診に当った医師より、怪我の状況について意見を聴取することができ るものとする。
第六条
本場所の土俵上で怪我をした力士は、直ちに現認証明書に記載された 協会指定の診療所または病院にて、医師の診断を受けなければならない。
現認証明書に基き診断した医師は、診断書を作成し、公傷認定委員に提出しな ければならない。ただし更に詳しく診断を必要とする場合は、その診断後診断 書を提出しても差支えないものとする。
第七条
公傷認定委員は、公傷の認定に当り、必ずしも当日行う必要なく、医 師の診断が確定したとき行うものとする。
第八条
公傷による場合でも、その本場所の休場日は負として番附編成を行う ものとする。
第九条
翌場所休場した場合は、その次の本場所の番附順位はその地位に止め る。(昭和五十九年五月場所改正)
第十条公傷による休場は、翌本場所限り認めることとし、その次の本場所より 平常通り番附編成を行うものとする。第十一条
公傷の認定は、翌本場所の力士の出場を拘束しない。出場する場合 は医師の診断書を添え、公傷認定委員に届出るものとする。出場した場合は休 場日は負けとし、平常の番附編成を行うものとする。
第十二条
現認証明書・医師の診断書および公傷認定書類は公傷認定委員が保 管し、番附編成日に審判部長または副部長に提出するものとする。
第十三条
公傷は、力士全員に適用する。