三賞は殊勲賞から書くのが慣例であるように思われる。
しかし、この文章は本当は技能賞をテーマとするものだったが、ついでに三賞全体についても持論があるので三賞全体について書いた次第である。
要は技能賞が書きたかった話なので、一番先に書いておきたい。
優れた技能を発揮した者に与えられる。
受賞例を眺めると、「業師」と呼ばれる力士や、小兵力士など、受賞する力士が固定化する印象がある。
まずは、技能に何が含まれるのかを見ていきたい。
出発点は、技能というのは相撲に勝つことを目的とするというものである。そして、まずは「技」を離れて相撲に勝つための行動を考えたい。
ます、勝負結果に最も影響する力士の行動は、勝負に直結した行動であり、ほぼ決まり手だろう。
決まり手でなくても、状況によって決まり手になりうる行動がこれに次ぐものといえるだろう。
例えば、寄り切りでない寄り、押し出しでない突き押し、決まらない引き、いなし、投げである。
さらに、間接的に自分の体勢を有利にし、相手の対戦を不利にするものもある。もろ差し、巻き替え、前捌き、おっつけ等である。
このような力士の行動全てが技能に取り込まれるのならば、成績最優秀者を技能賞とすれば良いのである。しかし、そうなってはいない。それはなぜか。
勝負結果に影響する技能以外の要素として思い浮かぶのは力である。力によって勝ったのは技能の表れとは見にくい。
このことから、小兵力士がよく技能賞になるのは理解できる。一般に力に劣る小兵力士の勝利は、技能によるものと見るのが自然だからである。
しかし、技能というのは相手に力を伝えるものである。
してみると、技と力というのは二項対立のようなものではなく、技は力をうまく伝える技術なのだろう。
そこで、力を非効率に伝えるのは技能ではなく、効率的に伝えるのが技能であるとしたい。
その一つの指標として、体の中心部分に対する攻撃よりも末端部分に対する攻撃の方がより少ない力で相手を不利にすることができ、より技能性が増す、といえるのではなかろうか。
数多ある技の中で、相撲の最も重要な技能と思われる押しを取り上げたい。
二分論でいえば、四つ相撲は力勝負で、体格的にそれで勝てない力士が押し相撲となる傾向があるといえるだろう。
そして、現実問題突き押しの力士が技能賞を受賞するのはままある。
しかし、比較的少ない印象があり、更にいえば、私にも技能っぽくないという感覚は理解できる、ような気がする。
というわけで、押しの相撲がなぜ技能っぽくないか、という私の感覚を詰めてみたい。
まず、押しは誰にでもできる、というものである。
栃ノ心が技能賞を取るのは、吊りはやる人自体が少ないからだろう。つまり、誰と使わない技をすれば、それ自体で卓越したことになり、やる人が多い技を使っても、卓越したことにはならない。
つまり、技能賞の資格である技能の卓越性というのは、希少性のある技能を見せるか、希少性の無い技能が優れていることを示すか、であるように思われる。
では、希少性のない押しの技能としての卓越性はどこにあるか。
先ほどの力との関係が頭をもたげてくるのである。
押しというのは技能であっても、押しで勝ちまくる、というのは、技能というより押しによって相手に伝えられる力が強いからであると感じられる。これが押しに卓越した技能が認められにくい理由の一つである。
逆に言えば、優れている理由が力でなければ技能といって良い。手数が多いのであればこれに当たるだろう。
次に、前述した技能性である。
押しというのは、一般に相手の体の中心部分を土俵外に向けて押すものであり、末端部分と比べて非効率的な印象を受ける。
この点については、ノド輪は技能性が高いということになるだろう。
第三に、いなしが併用されることである。
印象としては、押し相撲というのは、押し合い叩き合いで、うまく叩きが入れば勝ち、うまく叩きについていければ勝ち、というものではないだろうか。
これが「技能」らしくないのは、偶然性が高いからではなかろうか。
なぜ偶然性が技能を否定するのかというと、技能というのは訓練できるものであり、訓練できるということは予め状況を再現できるものであるから、偶然起きた状況に対応する力は技能ではない、ということなのだろう。
叩き等のいなしの技能性について考えたい。
技能賞の選考において、叩きが技能と見られていないのは明らかである。
しかし、いなしというのは、相手が自分に向かってくる力を利用した行動であり、その分だけ自分の力を必要としないので、技能性が強い。
それでも技能とされない主な理由は、先の偶然性だろう。つまり、相手が適切に対処したのならばいなしは有効な手段ではなく、相手が対処できるかは偶然に負うものであるから、技能ではないというのである。
確かに通常はそういえるが、偶然性では片付けられない、相手が自分に来ざるを得ない状況を作った上での叩きもあるように思われる。
そのようないなしまでも技能性を否定するのは、もはや、相撲の基本的な技能は前に出るものであり、いなしはこれに逆行する非技である、というような観念があるように思われる。
しかし、そうなると単純な押し合いが励行されることになるが、これは技能を奨励する賞としては逆行した価値観ではなかろうか。
現在のいなしを技能と認めない運用は疑問である。
以上技能の外郭を少し明らかにした。
さて、これが小兵力士の技能賞を取る場合に当てはまるか、というのを見てみたい。
小兵力士が、卓越した技能を発揮して優秀な成績を取る、というのが理想的だろう。
しかし、それは理想に過ぎないように思われる。大概の小兵力士は、特定の技能ではなく、相手の攻めをかわしにかわし、変化も含めその場の状況に即座に対応して勝ち星を稼ぎ、技能賞を採る。
この場合、技というものの主眼は、相手の攻撃を凌ぐという防御的なものであり、しかも偶然性に対応した結果であるといえる。
それにもかかわらず、小兵力士が技能賞というパターンは多い。
小兵力士以外の場合に、相手の技を凌ぐということが技能として評価されるかといえば、そんなことはない。
業師と呼ばれる人が評価されるのは、技の多様性だろう。
それを評価するのも良いが、特定の技能を評価して受賞させる場合も多い。
つまり、技能賞の「技能」の中身を詰めていくと、まるで中身がバラバラなのである。
この技能の内容を交通整理したい、というのがこの文章の野望である。