昇進するか否かを判断する準則が昇進基準である。昇進基準は語られても、それ以前の「基準」というものについて考えを巡らせた文章は意外と少ないものと思われる。少し、基準一般について考えてみたい。
協会の役員や審議委員会の委員が「○○勝以上の優勝」など基準を明示することが多い。なぜ、彼らは基準を明示するのだろうか。
それは、ある結果に説得力を持たせるためだろう。
ある優れた基準があり、それを適用した結果があるとすると、その結果も信用がおけるから、結果に説得力が生じる。
昇進基準の場合で表現すれば、ある優れた昇進基準があり、その基準が適用された結果昇進したのだから、昇進が正しいという説得力が生まれる、ということになる。
説得力が持ち出されるということは、説得の対象が存在することが前提とされている。その対象には、ファンやマスコミはもちろん、最大の利害関係者である親方、力士も含まれる。
さらにその背後には、その対象の価値観が多様であるということも前提となっている。この価値観というのは、横綱というものに対する考え方、星数や優勝の考え方、さらに公平性や、昇進対象となる力士、現役の横綱に対する思い入れ、利害関係などもあるだろう。
この関係者が昇進可否の決定に関与する協会員、横綱審議委員会の委員と価値観を共有しているのならば、結果として下された決定には基準などなくても対象は納得するはずである。そうでないから、基準が必要となってくる。
もう一つ、意思決定過程内部の自己拘束という機能もある。
意思決定を行う横綱審議委員会、理事会、審判部も、個々の親方の組織体であり、構成員である個々の親方はまた不正な意図を持ちうるものである。現実には影響力の不均衡があり、影響力を持つ者が不正な動機に基づいて昇進可否の決定に関与しようとすることもありうる。
基準は、そのような不正な意思決定をも防止するものである。それは、別の構成員が基準を持ち出すこともあろうし、不正な動機を持つ者が、基準の存在があることにより不当な関与はしない、という関与自体を防止する機能もあるだろう。
基準には、全ての場合に適用される、という性質がある。いかなる力士も昇進基準において提示された条件の下で判断されるのである。そのような意味で、力士は公平である、ということになる。基準というのは、公平性を証明する機能がある。
ここまでメリットばかりを書いてきたが、デメリットもあるかもしれない。基準を定めた以上はそれに拘束されるが、そのような拘束による昇進結果が不当であると評価すると、そのような結果が生じるのは基準を作成したことによるデメリットとなるだろう。このようなデメリットから、昇進基準の必要性を否定する者もある程度存在する。
可否を判断するにあたり優れた基準を作成することが困難であると考える場合や、協会の判断が拘束される必要は全くないと考えるならば、基準の作成自体が好ましくないということになるだろう。これを、昇進基準否定説ということにする。
これと区別したいのが、「連覇かどうかで判断するのは画一的すぎる」といった類の批判である。
後述するが 、以降考えていく基準では、昇進するか否かが画一的に定まるような基準ばかりではなく、もう少し抽象的な基準も採用しうるものとして考えていく。そして、そのような基準も含めて考えれば、上述の批判は、基準を定めること自体への異議ではなく、連覇かどうかで判断するという基準への異議だといえるだろう。この立場は、画一的でない適当な基準を定めればよいわけで、昇進基準自体の否定とは一線を画するものである。
後述のように、私は、基準を設ける一定程度の明確性がある基準を備えておく必要があると考えているが、現在の昇進基準で持ち出される3場所33勝が「目安」というように、後述の最低限の明確性を備える必要もないという主張も考えられる。そのような主張は、ここでは、明確性否定説としたい。
協会が自己拘束することにメリットがあり、デメリットを上回ると考えれば、昇進基準を作成すべき、ということになる。
ここでは、説得力のある基準の作成が可能かを考えてみたい。横綱昇進基準における抽象的な考慮要素の例としては、相撲内容や品格がある。仮にこれらが決定的なものだと考えるのであれば、説得力ある基準の作成は困難だろう。だが、私はこれを決定的な基準だとは思っていない。
また、基準を作成するには考慮要素が多すぎるという意見もあるだろうが、個人的にはそんなに多いとは思えない。考慮要素の中で特に重要なのは、星数と優勝等(優勝、優勝同点、次点)であり、その他、横綱の人数、横綱との対戦、ということになろう。それらを全て取り込んだ基準の作成が困難だとも思えない。が困難は思えない。
星数と優勝というのが決定的な要素で、いくら他の全ての要素が優れていたとしても、星数や優勝による基準を満たさなかった場合は見送るべきだと考えている場合は、星数や優勝による基準を作成することに肯定的それが一般的な見解ではなかろうか。
次のような昇進基準がありうる。勝ち越している限り大関に留まるが、負け越したら陥落する。そして、大関が二名以下、つまり、空き家が生じると、関脇以下の勝ち越し力士の中でもっとも上位に置かれるべき力士が大関に昇進する。空き家が無い場合でも、関脇が一定の成績、例えば12勝をあげると昇進する。要は、三役と同様の取り扱いをするのである。
つまり、大関だからといってやれ3場所33勝だの仰々しい昇進問題としない、という主張である。
普通に名称を考えれば、これも昇進基準否定論となるだろう。しかし、それは先ほどの昇進基準否定論と区別がつかなくなるので、特別昇進基準否定論と名付けておきたい。
大関、関脇、小結は東西一名おかれなければならないという必置ルールは、究極的には一定の成績を要求する昇進基準とは矛盾すると考えているので、実は有力だと思っている。
しかし、とりあえずは横綱や大関に特別の昇進基準を設けることに意義があるのだ、ということは前提として以下話を進める。