勝負判定についても、現実の勝負判定はいかなる基準において行われているかという議論と、望ましい基準とは何か、という議論に大別できる。そして、例によって私がより興味あるのは後者である。
勝負判定については、このページが素晴らしい。ここに書いてあることはいずれにせよ勝負判定を語るうえでの前提である。
http://tsubotaa.la.coocan.jp/binran/binran_r.html
このサイト、大相撲が無くなるまで永久保存してほしいと個人的には思っているのだが…
相撲大事典(金指基著・現代書館)には、死に体関連の語がいくつか収録されている。これらの相互関係を見てみたい。
まずは死に体。「体の重心を失ったり復元力がなくなって逆転は不可能である、または、それ以上相撲は取れないと判断される体勢に陥ったときをいう。例えば、体が後方へ三〇度以上傾き、つま先が上を向いてしまったような状態をいう。」とある。
「それ以上相撲は取れない…体勢」というのは抽象的だ。相撲といえるような行動がとれなくなった場合というのが通常の理解だろうか。しかし、足がついて重力を失っていないような場合に、何も行動がとれないからといって死に体を取るのだろうか。例えば、攻めていったところ、いなしをくって土俵際で必死に踏ん張っているが前への推進力が強くて土俵を割るのは時間の問題だという場合、死に体として土俵を割る前に負けにするのだろうか。
そうでないとすれば、おそらく、「体の重心を失ったり復元力がなくなった」場合に、「逆転は不可能である」とまではいえない場合であっても、「相撲は取れないと判断される体勢」であれば負けだということを言ったのではないだろうか。
このような理解によれば、「体の重心を失ったり復元力がなくなった」が必要条件で、「逆転が不可能であるか相撲は取れないと判断される体勢」が十分条件という意図だったかもしれない。
この例示も怪しい。「体が後方へ三十度以上傾き、つま先が上を向いてしまったような状態」というのを、地面に足が着いた状態で考えれば、早すぎではなかろうか。
あまり使われないが、生き体という項立てもある。
「勝負がほとんど決まりかけたように見えても、まだ相手に対して抵抗することができ、逆転の可能性が残っていると判断される体勢のこと。(中略)生き足が残っていれば生き体と判断される。」
中略後の文に注目していただきたい。「生き足」という言葉があるらしい。これも項立てされている。
「
勝負がもつれて判定をしにくい状況となったとき、しばしば用いられる表現。
①体は土俵外に飛び出していても、足裏の一部や足の指が土俵内に残っていたり俵にかかっている場合を「生き体」といい、その足を「生き足」という。生き足の残った力士の勝ちとなる。
②土俵際の攻防で、相手が逆転不可能な死に体になったとき、自分の足の一部が土俵の外に出た場合も「生き足」といい、これも負けにはならない。
」
これもすっきりしない説明である。②については、先に死に体になった力士が負けという当たり前の話だろう。
そうなると主要な説明は①で、この説明の場合に生き足、生き体になることには異存はないのだが、その他の類型はないのだろうか。これが必要十分の説明だとすると、重力を失って足が離れた場合は直ちに生き足がなく死に体となるが、これでは早すぎると思われる。
そうなると、①の「土俵内」というのは土俵に接地している場合ではなく土俵空間内のことをいっているのだろうか。そう考えれば死に体が早すぎる問題は解決するが、「土俵内に残っていたり」の例で「足」ではなく「足の裏」と表現するのは不自然という感はある。そもそも、「死に体」は重力を失ったか、回復は不可能かという判定だったはずだが、それを判断するための生き足が「土俵外に出たかどうか」ではおかしくないか。
というわけで、①の説明は「生き足」の必要条件であり、十分条件ではないと理解したい。
以上の死に体関連の相撲大事典の考え方を統一的にまとめたい。
まず、「逆転は不可能である、または、それ以上相撲は取れないと判断される体勢に陥った」ときは負けになる、逆にいえば、そのような体勢に陥らせれば勝ちであり、相手の足裏を土俵外に着かせたり、足裏以外の部位を地面に着かせたりすることは、実は大相撲において勝利に必要なものではない。
その体勢は、「体の重心を失ったり復元力がなくなった」場合が前提である。しかし、このような場合であっても、逆転不可能や相撲は取れないと判断される体勢でないことがありうる。
その判断においては困難をつきまとうので、分かりやすい判断基準が必要である。それが「足」であり、よく分からないときは足をみて土俵に残っていれば生き足となり、生き足が残っていれば負けとはならない。これは死に体の分かりやすい判断基準として出されたものであり、必ずしもこれによって判断する必要はない。
以上が、相撲大事典における死に体に対する私の理解である。