以上述べたように、非優勝昇進も綱取り継続論も否定したい。
それを踏まえた上で2-2-2の基準を操作すると、
昇進場所優勝で、前場所優勝次点以上又は13勝以上
昇進場所優勝次点以上又は13勝以上で、前場所優勝
となる。
これを、この節では修正基準1とよびたい。
ここで、明文規定との関連も振り返っておきたい。私は、横綱推薦基準でいう「準ずる成績」を昇進不当ラインと位置付けており、横綱推薦基準との関係では、昇進不当ラインの設定はほぼ「準ずる成績」の明確化を意味する。
最低限の明確性を持たせるために「準ずる成績」を明確化するのだが、連覇が横綱にふさわしい成績として優れたものであるというのはすでに述べた。では、なぜ連覇の他に準ずる成績が必要なのだろうか。
連覇が好ましいとされたのは、優勝という優れた指標を用い、適正な人数となったからである。
では、それ以外の価値観から、横綱にふさわしいかどうかの判断ができないか。
ここで、数字以外に、横綱にふさわしい成績かどうかを判断する価値観を提示したい。
それは、ある時代の第一人者が横綱であるとすれば、第一人者が横綱になれない基準は問題がある、というものである。これを第一人者観といいたい。
横綱が最上位の地位であることから、第一人者が横綱ということで、何となく合意を得られるのではなかろうか。
念頭に置いているのは北の湖である。初優勝から連覇までの成績を書くと、14優-10-13優-13同-11-12同-12優-13同-13優-9-12同-12次-13優-10-13優-12次-10-14優-12次-15優-12次-13次-15優-13次-15優-13優となる。
これで初優勝から4年後まで横綱になれないとしたら、確かにおかしいだろう。
この間のうち、最初の1年は、輪島も互角にやってきたが、次の1年では輪島は調子を落としており、北の湖が第一人者と言ってよい活躍をしている。3年目以降は本格的に輪湖時代となり、両雄が横綱として実績を残している。輪島が衰え、北の湖独走時代になり、ようやく北の湖は連覇を果たした。その後も優勝を重ね、結局五連覇まで優勝し続けている。
まず言いたいのは、この2年目のように、第一人者といっても連覇ができない場合があり、それは掬い取りたい、ということである。
ここではもう一つのパターンがある。輪湖のように、レベルの高い二人がいるとき、なかなか連覇が難しい場合がある。この場合に、両者を大関に留めるのではなく、両者を横綱として良いのではないかということである。もっとも、このような事態はまれだとは思う。
今の説明では6場所で説明したが、分かりやすく、遠すぎない期間であれば良い。
しかし、そもそもの話として、横綱はいなくても良い地位なのだから、どれだけ成績が低くても一定の期間の成績が相対的に最も優れてさえいれば「第一人者」として横綱にあげてよい、という意味では使っていない。
今度は、「第一人者の下限」が問われてくることになる。
その分かりやすいラインとしては、「過半数」というイメージが分かりやすいのではなかろうか。
6場所の期間だとすると、4場所優勝なら間違いなし。3場所優勝なら、優勝できなかった場所の状況など次第となる。
3場所の期間だとすると、3場所優勝なら間違いなし。1場所優勝なら、他の2場所で優勝争いし、状況次第となる。
このように「過半数」を目安としたとき、一つ昇進基準に加えたい成績がある。
「3場所に2度の優勝」である。連覇は既に見送り不当ラインとなっているので、優勝-それ以外-優勝というパターンを導入したいということである。
なぜか。先ほどの6場所の期間でみたときに、4場所優勝するパターンを考えたい。必ず連覇が絡む。
では、5場所のうち、過半数の3場所優勝するパターンはどうか。連覇がなく、交互に優勝と優勝でない場所を繰り返すパターンがある。奇数の場所ではこのような場合がある。
つまり、連覇と3場所に2場所優勝する場合を昇進基準に含めた場合、場所数をどう見るかにかかわらず、昇進させることができるのである。
たまたまかもしれないが、平成4年の小錦を昇進させることが可能になり、現実の昇進例に照らしたときに、横綱不在を消すこともできる。もちろん、過度に現実の昇進例にこだわることには意味がないことは自戒しておきたいが。
このような、連覇という成績では昇進できないが、第一人者ないし高レベルな成績を残す二人の力士を昇進させるという機能を持たせるために準ずる成績の意義があるものとする。
以上は、横綱に昇進させないことが不当であると感じられる場合であるが、それとは異なる理解として、横綱も東西一名いることが望ましいことを正面から認め、東西一名の横綱を立てるためには、連覇の緩和もやむなし、とするのである。
この場合、優勝同点や14勝も、横綱にふさわしい成績として重視しても良いことになろう。ただ、このような緩和の前提として、横綱が東西一名欠けているか、最低でもその見込みがあることが必要だろう。
現実の昇進例を見ていると、最強力士に次ぐ成績の力士を、第一人者ではなくても昇進させている。
これは、東西制の発想を横綱にも及ぼし、横綱も二人いることが望ましいという考え方から、優勝争いできる力士であれば横綱でよい、という考えにつながるだろう。
しかし、個人的には、いなくてもよい横綱という地位において、役力士の東西必置ルールの考え方をストレートに反映させるのは好ましくないと考えている。
したがって、第一人者でなくてもよいという考え方は採らない。
まとめると、東西一名いることが望ましいが、そのために明らかに第一人者とはいえないものを昇進させることはしない、ということである。