昇進基準とは昇進の基準であり、昇進というのは番付における地位が上昇することである。
そこで、昇進基準を語る前提として、番付をおさらいしておきたい。
ウィキペディアから引っ張ってくると、
「番付(ばんづけ)は大相撲における力士の順位表。」である。
これは番付の大原則として支持されるべきものだろう。
何の順位かというと、実力で、実力というのは成績を残す力だろう。
大相撲においては下位に行けばそれに釣り合った相手と対戦するので、成績が直ちに下がるわけではないところにややこしさが残るが、実力を比較するときは、両者が同一の相手と対戦することを想定すれば説明はつくだろう。
以下、「格」というのは、横綱や大関や関脇や小結という、東西や何枚目という点については抽象化されたそれぞれの地位を指す。
番付における地位が上昇することが昇進である。
なぜ昇進するのか。それは、実力の順位が前場所の番付よりも上と評価されるからである。
その評価は、前場所(まで)の成績に基づいて判断される。
その判断は、いくつかの仮定を前提としている。
「ある成績を残した力士」が「当該地位において残した成績と同等の成績を残せる力がある」という仮定があり、「ある場所において実力を有している者は、次場所においても同等に実力を有している」という仮定がある。この二つの仮定の結果、ある成績を残した力士は、次場所においても同じ地位において同様の成績を残すと見込まれる。これを、一致原則と呼びたい。
一致原則の結果見積もられた次場所の実力の順番に上から配置した力士の順位表、というのが番付の基本的な位置づけである。
しかし、番付には順位表という性質だけでは説明がつかない要素がある。
現実の番付編成では、横綱はいなくても良いし、役力士は2名を超えていても良い。
例えば、東西一名の横綱がいるとし、実力3番目と評価されるべき力士がいるとする。この力士は、順位としては、東横綱の二人目に置いても、東大関と置いても、順位としての評価は変わらない。
逆に言えば、この力士を横綱にするか、大関にするかは、別の判断要素が必要になるのである。なぜこのようなことになるのかと言えば、それは役力士の人数が可変だからである。
なぜ可変になるのか。これには二つの理由がある。
役力士の人数が可変である理由として、降格が定型的であることが挙げられる。
役力士が勝ち越した場合、その格の中での順位が変動することはあっても、格が下がることはない。大関はさらに二場所の負け越しがなければ降格しないし、横綱は降格しない。
そして、ある格に在位する力士が全員勝ち越し、さらに昇格しない場合に、下の格から力士が昇進したときは、その格の人数は増加する。
逆に、その格の人数が減少する場合もある。
横綱が引退したとき、同時に大関から横綱に昇進すべき力士がいないときは、横綱の人数は減少する。大関は「横綱大関」の問題があるが、「横綱大関」を横綱であり大関ではないものとして扱えば、横綱と同様減少する。これに対し、関脇と小結は、2名未満に減少することはなく、必ず二名は置かれることとなっている。
なお、以下、三役というのは関脇と小結の意味で用いる。
この異なる扱いを言い換えれば、次のようになる。
相対的な順位は、三役とは結びつきがある。3,4番目に強い力士は、関脇以上にあることが必ず保障され、5,6番目に強い力士は小結以上にあることが必ず保障される。
これに対し、大関や横綱はそのような結びつきはない。一定の実力がない者は、第一人者であろうと大関にはなれない。当然、横綱になる保障もない。
このように、横綱や大関は、順位という純粋に相対的なものではないものが要求されているのである。
もっとも、横綱や大関という地位が完全に順位から分離されている、というものでもない。連覇という昇進基準は、優勝を基本単位としているが、優勝は「当該場所で最も優れた力士」という順位である。
いやいや優勝が大切ではないのだ、星数が大切なのだ、という意見もあるかもしれない。例えば北の湖は、連覇にはこだわらない、13勝が目安であると言っていた。
では、なぜ全勝でもなく14勝でもなく13勝が横綱の目安なのか。それは、優勝者の成績だからではなかろうか。
結局のところ、横綱とは、最上位の格という「順番」が最も重要な性質であり、そこから逃れることはできない。
以下、折に触れ、さまざまな基準に実際の成績を当てはめた仮想番付に基づく横綱、大関陣を提示していく。
十五日制定着以後を対象とする。
手作業によるミスもあるかもしれない。もちろん、ミスのご指摘は大歓迎である。
番付再現は、現実の成績に当てはめてみて不自然ではないかを確認する目的で作成するものである。
そのような目的から。いくつかの決まり事を定める。
まず、実際の番付において三役以上の者を大関昇進基準の対象とする。
厳しい基準を検討する場合、実際に大関に昇進した者が、その基準では関脇にとどまる。
このような時、基本的にはその分一人三役から弾き出されることになるわけだが、そのような計算までは行わない。その弾き出されるべきものも三役にいるものとして扱う。
上記のような関脇にとどまるケースの場合、それに応じて三役の編成を考える方が好ましいだろう。
次に、公傷制度は実際にあったものとし、公傷休場場所では降格しないものとする。場所数には参入する。例えば、10勝から3場所以内は降格しないという降格基準にするとき、その3場所には公傷休場場所も含まれる。
他方、3場所連続休場で降格していた時期であっても、提示した降格基準を適用する。
本来公傷休場の場所も全て降格基準を適用すべきだろうが、公傷休場場所の降格は不自然という印象が強い。それは、当時の大関が休場しても降格しないという前提の下に休場したものを、事後的に別の基準で降格させることに起因している。
仮に公傷休場の場所に降格するという制度下ならば大関は出場していた蓋然性、降格基準を満たさなかった蓋然性があり、その蓋然性を重視する、という理由である。
この理屈は降格基準の変更一般に妥当するものかもしれないが、角番制度のみこのような取扱いをしてもよいと考える。
例えば3場所連続負け越しで降格していた時代に2場所連続負け越ししたとき、降格するという制度ならば成績が上昇し、降格基準を満たさなかった蓋然性はあるかもしれない。しかし、それは、降格するとすれば成績が上昇する、反面負け越した現実は手を抜いているということを意味する。いや、それも一概に責められることではないかもしれないが、通常プロスポーツのトップは気合を入れれば成績が上がるというような単純なものではないだろう。
というわけで、公傷休場を特別扱いしてよいと思われる。
後述のように、昇進しても見送ってもよい、という余地を認める場合、番付再現はその余地の中の一例であり、別の判断もありえた、ということになる。
後述する上位対戦のない力士が優秀な成績をあげた場合の取扱いである。
表に出してはいないが、今のところ上位対戦圏内の最優秀成績者は無条件で優勝決定戦に進める制度を考えている。
これを前提にして、上位対戦圏内最優秀成績者は優勝同点として扱う。
現実に大関にとどまった力士が、再現上横綱になった場合で、横綱降格制度を設けなかったときは、現実に大関を降格した場所を引退場所とする。
実際には横綱に上がった力士が大関にとどまった場合、そのまま成績を当てはめていくと、関脇に陥落する、といった事態が生じる。さらに、そこで全休、といった事態も生じうる。
彼らが本当に大関に留まっていたのならば強行出場したのだろうし、関脇でも出場したのかもしれない。そこに現実の休場という成績を当てはめる作業をするのだが、結局のところ仮想の域を出るものではなく、完全な再現は基より不可能である。
厳密性にこだわりすぎることには意味がないと思う。
審議の結果の大関の数は、昇進場所の場合と、昇進した場合の新大関の場所とが混同されていて理解し難い。申し訳ない。
1958年に年6場所制が実施されたときに、「3場所連続負け越し」で陥落することに定められた(この制度下での大関陥落者は、松登(昇進当時は2場所連続負越で降下)と若羽黒の二力士)。しかし「これでは甘過ぎる」という意見も出たために、1969年7月場所からは再び「2場所連続負け越し」での降下に改められた。
1972年1月場所当初は、大関のみ適用外であったが、1983年5月場所からは大関も公傷適用の対象に該当された[5]。しかしその後、場所中に公傷適用による休場力士が増加し、さらに当時の大関陣が休場すれば公傷と認定される弊害が多く出た理由もあって、2003年11月場所限りで公傷制度は廃止となった。