率直に言って、最もごった煮的であり、技能でも殊勲でもない力士が受ける賞という印象だが、新入幕で二桁挙げるとやや受賞しやすい印象がある。
賞金が同じであることからすれば、三賞に優劣はないのだからこのような実態は好ましくないと思われる。これを強く問題視するのであれば、敢闘賞にも独自の意味づけを与えることになるだろう。
独自の意味づけを与えるとすればどのようなものになるのかを考えてみたい。
語の印象からすれば、善戦することである。が、一方的に勝った相撲をマイナス評価するのもおかしい。そうなると、負け戦にあっさりした相撲がない、少ないということを判断基準とするという方向性が考えられる。
あるいは、現在もそうかもしれないが、単純に星数最優秀で決定するか。殊勲賞もそのように理解できる余地があるから、仮に敢闘賞を関脇以下最優秀成績とすると、殊勲賞は現在のように対優勝者戦勝利ないし上位対戦で勝利が多い者と位置づけることになるだろう。
あるいは変化が少ないということか。これは私は技能賞で審査すべきであるという印象である。
私が考える独自の存在意義がある敢闘賞は以上の通りだが、これについては人によっていろいろな案があるかもしれない。