長崎県五島列島の福江島大瀬崎は、離島ではありますが「日本」の最西端として、古代から現代まで非常に重要な岬です。遣唐使の時代から火台が置かれていたという記録があり、日露戦争の日本海海戦では「敵艦見ゆ」の無線を受信したところです。太平洋戦争時には大陸や南方へ出征する何百万の将兵が見送ったところでした。何よりこの岬に置かれた灯台が重要なのは、古代から現代まで、この灯台の火が見えたことで「日本に無事に帰ってきた」と、多くの人たちに安心を与えた火だったことです。この灯台の火が「日本」だったのです。しかし一方で、特に先の戦争では、かなりの数の人々がこの灯台の火を見ることができずに異国の地で亡くなりました。そのこともまた、忘れてはならないと思います。
旧大瀬崎灯台の第一等8面フレネルレンズのうち4面が、東京晴海のホテルマリナーズコートのロビーにあります。初め私は復元展示されているのかなと思っていましたが、このように実際の灯りとして使われており、しかも光源が回転して優しくロビーを照らしています。
東京、お台場の船の科学館にある旧大瀬崎灯台の灯籠です。これは昭和47年の灯台建て替えの際に灯籠部分を譲り受け、復元した塔の上にのせたものだそうです。この灯籠の中に、上のホテルマリナーズコートのロビーを照らすレンズがあったのでしょうか。レンズと灯籠、この二つが東京の、しかもお互いとても近いところに今もあるのが何とも不思議な縁です。
船の科学館の本館はずっと閉館でしたが、周辺施設はまだ大丈夫と思っていましたが、この灯台周辺は柵囲いがされ、工事していました。この灯台の運命が心配です。2017年11月26日
こちらは同じく船の科学館敷地内にある旧安乗埼灯台。昭和1948年の新灯台建設に伴って、記念灯台として港区の浜離宮、さらに横浜の第三管区海上保安本部に移設され、1973年に船の科学館に寄贈されたものだそうです。本来は日本最古の木造灯台として貴重のものでしたが、オリジナルはこの復元のうちごく一部分なのだそうです。しかも見たところかなり傷んでいます。この灯台も心配されます。