2019年10月21日
幸運にも仕事で長崎、しかも大瀬埼灯台のある福江島に行くことになり。この二つの重要な灯台を見ることができました。
伊王島へは橋もかかっています。今回は行きは長崎港から小型船、帰りは i+Land nagasaki というリゾート施設の専用バスに乗れました。島ではその施設のレンタル自転車を借りて灯台まで行きました。日帰り温泉もあり、しょっぱいお湯でした。
伊王島は南シナ海から長崎港への入口にある島。1866年の江戸条約によって欧米4か国と江戸幕府により8つの洋式灯台の建設が約束されました。ここに灯台を設置することは長崎に縁の深いオランダの要求によるとのこと。
灯台の設計は日本の洋式灯台を多数手がけた御用外国人技術者リチャード・ヘンリー・ブラントン。1871(明治4)年に点灯しました。その後も原爆で被害を受けたりなど長い歴史を経てきました。
4等?フレネルレンズでした
退息所(官舎)がそのまま資料館となっています。なかなか充実しています。
右が初代の灯台。原爆の爆風で被害を受けたのは下部だけで、今も灯篭は明治期の初代のまま。
展望台からの灯台。夕日の名所。
古代にはここから西には日本人が住むところはなく、いわばここが日本の西の最果て。遣隋使の昔からここに烽火台がおかれていたそうです。
大陸に渡る日本人が最後に見た日本。そして帰ってきた者が最初に見る故国の土地。それがこの大瀬崎です。
それは第二次世界大戦中に大陸に出征する兵隊さんにとっても同じでしょう。しかし大瀬埼灯台の灯を多くは見ることがなかった。
昔からここから先は命懸けの航路だったのです。
一番奥の駐車場から、行き20分、帰り40分です。
映画『悪人』のクライマックスのシーンはここ
灯器はLEDでした。この灯台は戦争で被災しましたが、レンズは被害を免れ、現在は東京・晴海のホテルマリナーズコートのロビーの証明として利用されています。フランス製の一等フレネルレンズでとても立派なものです。
旧大瀬埼灯台(番外編)もごらんください。戦争で被災したレンズと灯篭は、奇しくも東京の、それもごくごく近い距離の異なる施設に保管されていたのです。