鉛白と亜鉛華

亜鉛華(酸化亜鉛)の結晶。

亜鉛精錬工場の煙道に生じたもので、結晶の粒が細かいほど白くなり、

粒が粗いと無色透明なガラスのように見える。

しばしば赤や緑に着色するが、この色は酸素の欠陥に基づく。

「潔白」という言葉にあらわれるように、無垢や純粋の形容では、しばしば「白」という表現が用いられる。厳密には、「白」は「色」ではない。「白」は、光が物体表面において、可視領域全域の光を、入射角度や波長による差異無く乱反射する状態を指す。逆に、すべての可視光がすべて吸収される場合が「黒」である。色を記述する場合は「白」ではなく「無色」と表現するのが正しい。理想的な白や黒は極限的なもので、現実の物質には存在し得ない。しかし、清潔な純白さは万人に必要とされ、ほんの少量で下地の色を覆い隠す「白色顔料」は古くより求められてきた。

無色の化合物は世に数多存在するものの、それらがすべて優秀な白色顔料として利用できるわけではない。白色顔料の性能評価としては「隠ぺい率」がある。これは、下地の色を覆い隠す顔料量による。隠ぺい率の大きな白色顔料は、粒子の屈折率が高いこと、粒子が微細(もしくは粒子に光を散乱する二次的な組織が存在する)なことの二つが重要な要素である。金属酸化物は、高周期であればあるほど屈折率が高くなり、全質量に対する金属の含有率が高くなるほど屈折率が上がるため、安定な金属酸化物が古くより利用されてきた。

最も歴史があるのは鉛白(えんぱく、white lead)である。これは塩基性炭酸鉛 2PbCO3·Pb(OH)2 を成分とするもので、屈折率は 1.94-2.09にも達する。天然にも少量存在するが、およそは合成によった。二重底の陶器の容器の底に酢を入れ、更に鉛板を丸めて収め、ゆるく蓋をして堆肥の中に三か月ほど埋めておくと、徐々に酢酸と二酸化炭素の作用で鉛板は芯まで酸化され、すべてが鉛白に変化する。このような方法で紀元8世紀ごろから鉛白は世界中で化粧用や絵画用白色顔料用に作られてきた。鉛白は硫黄を含む化合物やガスに接触させると、硫化鉛を生じて黒変する欠点があるものの、より以前からのカルシウムの白(炭酸カルシウム、水酸化カルシウム)には無い高い隠ぺい力が、特に絵画用に重宝された。

しかし、鉛は重元素毒性があり、過度の鉛白の使用、特に人体への着色はしばしば重篤な鉛中毒を引き起こした。今では鉛白の使用は最盛期の1割にも満たないが、油彩絵具にはまだ残っている。その重厚な白は、芸術家を引きつける強い魅力があるのだろう。

より化学に対しての理解が進み、金属製錬の技術が上がると、亜鉛鉱より作られる亜鉛華が広く用いられるようになった。亜鉛化合物の有害性は低く、人体に対する影響は鉛白よりはるかに低い。酸化亜鉛は高温で昇華性があり、空気を通じて強熱すると蒸発し、これを煙道に通じて冷やすと、簡単にnm単位の酸化亜鉛の真っ白い微粉末ができる。ポーランドの亜鉛精錬工場には、高温の煙道に数 cmの亜鉛華結晶が成長しているところがある(写真)。鉛白と違って硫黄で黒変せず、人体へは収斂作用を示すことから、顔料のみならず軟膏などの医薬品にも用いられた。プラスチックやゴムの加硫剤、陶器の釉薬、ガラスへの添加剤として使われるほか、最近は透明導電膜やナノ粒子の高度利用なども検討されている。しかし、万能白色顔料の王座は、その後に出現した酸化チタンに奪われてしまったかに思える。

パブロ・ピカソ「三人の踊り子」1925年、油彩。

光の表現に鉛白の白が効果的に使われている。

ロンドン、テートギャラリー。

亜鉛華。ナノメートルサイズの純白の粉末で、風に舞いやすい。

顔料や工業用亜鉛源のほか、有機合成における酸化剤として用いることも。

粒子が小さくなるほど反応性が高くなる。