滝ノ下緑青・群青と長登銅山

日本画における緑は、「緑青(ろくしょう)」(または天然起源を強調して「岩緑青(いわろくしょう)」)と呼ばれる塩基性炭酸銅 Cu2(CO3)(OH)2 を主成分とする顔料が古くより積極的に用いられてきた。この顔料は、可溶性の銅塩と炭酸イオンとの反応により人工的に合成することもできるが、天然のもの、すなわち鉱物名「孔雀石 (malachite、マラカイト)」という銅鉱物を粉末にしたものが好まれた。天然モノが珍重された理由は、主成分である塩基性炭酸銅の着色力の低さのためによる。これから作られる顔料の彩度は粒子の大きさに依存しやすい。すなわち、孔雀石は細かい結晶ほど白ずんでくるのだが、天然物は合成品に比べ結晶サイズがより大きくすることができ、より色が濃い傾向がある。そのため、顔料としては天然物のほうが見かけ上の彩度が高い。一般的に、天然顔料は鉱物の塊を砕いて様々な粒径の粒子を作りだし、これの分級(篩や水簸等を利用し、粒子サイズによってより分けること)によって顔料とするが、化学反応による合成では、合成条件を制御することによって粒子を所望のサイズに作り分け、それを顔料とすることが多い。塩基性炭酸銅は、合成では天然のような粗粒の結晶がなかなか作れないのである。

日本における孔雀石の産地は、尾去沢鉱山をはじめとした東北の銅鉱山、多田銀山(兵庫県)、そして長登銅山(山口県)が古典産地として著名である。最後の長登銅山は、秋芳洞の近隣に位置する日本でもっとも古い国営銅山であり、奈良の大仏を鋳込んだ銅を供給した千年を超える操業の歴史を持つ。その鉱山名は「奈良登り」から来ているとされる。しかし、長登銅山は古すぎ、記録も不完全で、銅の総生産量すらはっきりしない。最近になって進められている発掘調査事業により、鉱山周辺から出土した木簡などから、天平時代にはすでに銅を製錬していたということが次第に明らかになりつつある。日本で最も古くから銅を主成分とする緑色顔料を生産したのは、多田銀山ではなく長登銅山であろう。ここの孔雀石は着色用緑色顔料「滝ノ下緑青」として出荷され、建造物や絵画着色にブランド品として利用されてきた。

顔料鉱石の採掘

長登鉱山の地質は、石灰岩と深成岩の接触部に胚胎した典型的な接触交代鉱床(スカルン鉱床)で、初生の銅の鉱石鉱物としては黄銅鉱と斑銅鉱を主とする。この鉱床は長年の水の作用により酸化・加水分解されて様々な銅の二次鉱物を生じ、一部は赤銅鉱・自然銅・藍銅鉱および孔雀石を主とする銅の二次富化帯となっている。顔料用としては孔雀石が主に採取された。長登集落の北方には北平集落があり、ここは「喜多平鉱山」という鉱山名で長登鉱山支山として稼行されていた。鉱物採集家にとっては、長登鉱山よりむしろ喜多平鉱山のほうが有名かもしれない。

長登銅山、滝ノ下大切四号坑の坑口。

この坑は大正期に坑口が取開けられ、その際に下部の探鉱が行われているが、この坑道自体はものすごく古い。

滝ノ下に多く点在する狸掘り坑道。

石灰岩が多く、水がよく抜けるので、時代にもかかわらず埋もれていない坑が多い。

長登銅山周辺は、石灰岩の浸食作用によってカルスト地形が顕著である。

特に喜多平鉱山はカルストの中にあると言ってもよい。

長登鉱山の孔雀石には、主に3つのパターンの産出形態があって、ひとつは石灰岩の隙間に生じたもの、もう一つはガーネットや灰鉄輝石を多く含むスカルン母岩の隙間に生じるもの、最後は、いわゆる「赤ボヤ」と呼ばれる二次生成した褐鉄鉱の隙間に生じたものである。ズリに含まれる孔雀石をよく見ていると、どうやら最後のものを狙って掘った感じがする。褐鉄鉱は比較的脆く簡単に取り除くことができるため、孔雀石との分離は他のものに比べ容易である。長登の褐鉄鉱は、常に少量のヒ素を含んでいる特徴がある。これは、硫砒鉄鉱の分解により生じたヒ酸イオン AsO43- が鉄イオンに吸着されたものであろう。ヒ酸イオンは鉄と非常に結合しやすい。

長登鉱山のズリを歩くと、ちらほらと小さな孔雀石の破片が落ちている。

褐鉄鉱の隙間に生じた孔雀石の脈が、風化して剥がれ落ちたものだ。

古い時代の採掘物のうち品位がそれほど高くなかったものが、そのまま数百年放置されているのだろう。

長登銅山周辺の遺跡から出土する孔雀石の破片。

その多くは、いわゆる「赤ボヤ」(酸化帯に生じた赤褐色の褐鉄鉱の塊)の隙間に

生じたものであり、黄銅鉱や斑銅鉱のような、現在の銅山で好まれる硫化鉱よりも

むしろ、酸化帯を狙って採掘したことがうかがえる。おそらく、深部を掘る技術が

無かったのだろうと思われる。

長登鉱山の藍銅鉱。いわゆる日本画での「岩群青」で、孔雀石に比べるとはるかに少なく、極めて貴重な顔料だったのだろう。長登鉱山界隈では酸化帯の一部に藍銅鉱が産した。また、藍銅鉱に色がよく似た斜開銅鉱 (clinoclase) と呼ばれる銅の塩基性ヒ酸塩鉱物が北部の北平周辺ではかつてまとまって産したため、これもまた「岩群青」として採取されたのかもしれない。というのは、正倉院の御物に長門からの面が収蔵されているが、ここに用いられている岩群青に著量のヒ素が含まれていることが分析結果より指摘されているためである。

長登および喜多平鉱山からは、ヒ素を含んだ銅の二次鉱物が数多く報告されている。孔雀石によく似たものでは銅とカルシウムのヒ酸塩鉱物であるコニカルコ石が産する。これや先の斜開銅鉱は孔雀石や藍銅鉱と見分けが難しく、どうしても少量含まれてしまったのだろう。逆に、ヒ素を含む岩緑青や岩群青だと、ここ長登で生産された顔料である目印になるのかもしれない。

斜開銅鉱 (clinoclase)。

Cu3AsO4(OH)3 の組成を有する銅の塩基性ヒ酸塩で、藍銅鉱に似て非常に濃い藍色をしているが、藍銅鉱よりやや色が暗い。

昭和の終わりごろまで長登鉱山の支山であった喜多平鉱山の跡地でこの鉱物を多く産したが、現在は露天掘り跡が産業廃棄物の埋め立て場になってしまったために、採集することはできない。この標本は広島県瀬戸田町のもの。

実際の顔料づくり

日本山海名物図会巻の二における多田の緑青づくり。粉体にして水簸しているものと思われる。

擂り鉢。おそらく手選鉱により選り分けた孔雀石の小塊をこの鉢の中でさらに細かく擂り、水簸にかけたものだろう。

孔雀石は他の鉱物に比べやわらかく、砕くのは難しくない。

未だ、最後に擂った孔雀石の粉末が少量残る。

長登銅山文化交流館(美祢市美東町長登)収蔵展示品。山口県指定文化財。

滝ノ下緑青の精製と分級(粒の大きさによって分ける操作)は、このようなギザギザの付いた「樋」に水分散液を流して行う。

砂金掘りが使う「ネコ流し」の手法によく似ているが、ギザギザの向きは上流側を向いている(ネコ流しは逆)。

これによって、密度差によって不純物をより分け、粒度によって緑青の色合いを揃える。

より細かい緑青はより流されやすく、色合いは薄くなる。

長登銅山文化交流館(美祢市美東町長登)収蔵展示品。山口県指定文化財。

木樋の裏の墨書。「録青戸樋」とある。嘉永年間に作られたもの。

おそらく昭和初期に生産されたものと思われる滝ノ下緑青。

非常に粗い粒径のもので、色濃いがざらついている。

ただし、これが実際に長登鉱山産の孔雀石によるものかはわからない。

現実には輸入物の孔雀石はかなり以前から外国産のものが輸入されていて、それを使用して作られた可能性もある。

淡口の滝ノ下緑青(白緑青)。これも昭和初期の生産品と思われる。これは粒がはるかに小さく、それに由来し色は白っぽい。

(文献) 諸国産出石類略説