群青(ウルトラマリン、ラピス・ラズリ)

色は、視覚から人の心に直接訴えかける強い力がある。人類は、有史以前から色に心を動かし、憧れ、自在に利用しようと苦心してきた。色素の利用は、学問としての物質科学の黎明よりもはるかに長い歴史がある。

色素のうち、溶剤に不溶の固体で表面での光の反射を利用するものを顔料、溶剤に可溶で光の吸収を利用するものを染料という。色は赤・青・黄の三原色の重ねあわせによって構成されるが、赤および黄色の天然顔料は、地球上に多量に存在する鉄の酸化物を利用できる。ところが、青い顔料は古来から貴重で、天然由来で利用できるものはごく少ない。鮮やかな青は、人類の憧憬の色でもあった。

青い顔料の歴史を紐解くと、ラピス・ラズリ (lapis lazuli) という鉱物性顔料に行きあたる。ラピス・ラズリという名は古く、ペルシャ語を起源としている。顔料としてはウルトラマリンという名が付けられているが、これは中東・中央アジアから地中海を経由してヨーロッパに運ばれる「海の向こうから来た青 (azzuro oltramarino、アズロ オルトラマリノ)」という意味を持つ。逆は「海のこちら側の青(azzuro citramarino、アズロ チトラマリノ)」で、これは普通は藍銅鉱をさす。古くからアフガニスタンのラピス・ラズリは有名で、宝飾品素材として利用され、ツタンカーメンのマスクに黄金と共に豊富に用いられている。また、多くの画家のパレットを飾る色でもあった。ウルトラマリンは屈折率が低く、隠蔽率(下地を覆い隠す能力尺度)がやや小さいものの、耐光性や耐熱性に優れ、極微粒子では明るい青を、やや粗い粒子では独特の紫がかった青を表現できる。ヨハネス・フェルメール(1632-1675)をはじめ、ウルトラマリンの青を愛する画家は多かった。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』には、ウルトラマリンを用いた青いターバンが色鮮やかに描かれている。合成のものが供給されるまでは、最上級の絵画用ウルトラマリンは、その重量の金の2倍の価格で取引されたという。極東には、シルクロードを経由して届けられた。日本では、塊状のものは瑠璃、絵画用顔料は群青と呼ばれたが、中世になるまで、ほとんど輸入されず利用もされなかった。日本画における群青と言えば、いわゆる岩群青と呼ばれる藍銅鉱(塩基性炭酸銅)であった。。

今では、世界最大産出量を誇るチリを筆頭とし、30ヵ所を越えるラピス・ラズリの産地が地球上に知られているが、極上のものはやはりアフガニスタンがほぼ独占供給している。アフガニスタンの首都カブールから4日ほど奥に行った谷あいのサーレサン(Sar-e Sang)に鉱山があり、標高三千メートル近い急峻な山岳地帯に坑道を開け、人力で掘りだしている。その量は年間で数トン程度しかない。この周囲では、六千年近くラピス・ラズリの採掘を続けている。

物質科学から見たラピス・ラズリは、青金石(せいきんせき、lazurite, Na6Ca2(Al6Si6O24)(SO4,S,S2, S3,Cl,OH)2)をはじめとし、方ソーダ石(sodalite, Na8(Al6Si6O24)Cl2)、藍方石(アウイン、haüyne、(Na,Ca)4-8(Al6Si6O24)(SO4,S,Cl)1-2)など数種の鉱物の混合物である。かつては青金石そのものも混合物だとも言われたが、後に立派な菱型12面体結晶の標本が見出されるようになり、その疑義は払拭された。顔料としての価値は、これらのうちもっとも色の濃い青金石のみが有する。青金石は奇妙な組成を有するケイ酸塩鉱物で、かご状アルミノケイ酸塩骨格(ソーダライトケージ)を有しつつも、硫化物性の硫黄(モノスルフィド、ポリスルフィド)を陰イオンとして有している。この特殊な組成のために、変成を受けた特殊な石灰岩地帯にしか産せず、その希少価値を保っている。

【藍方石(アウイン).鮮青色の透明度の高い鉱物。ドイツ、アイフェル産】

【ラピス・ラズリに含まれる硫黄分の多い方ソーダ石 (sodalite) の結晶。菱型12面体の結晶が見える。アフガニスタン産】

ラピスラズリは、様々なグレードのものが存在するが、顔料用にはこのような質感のものが向いている。

結晶粒が細かく緻密な塊状であり、それでいて鮮やかな青を出すもの。

ウルトラマリン製造には、よい原石を選ばないと、歩留まりが極端に下がる。

ラピス・ラズリは、方解石や黄鉄鉱などの鉱物と密雑な混合物となって産する。密度が高い顔料は水簸(すいひ)により、容易に不純物と分離することができるが、ラピス・ラズリの密度は 2.4 g/cm3 と、共存する方解石の 2.7 g/cm3 に近く、これらの分離は非常に難しい。また、ラピス・ラズリの構成鉱物である方ソーダ石や藍方石は粉末にすると色が淡くなり、顔料としては色がぼやけてしまう。色鮮やかな顔料ウルトラマリンを得るためには、多くの苦労があったようだ。

ルネサンス期の絵画顔料のレシピを記述したチェンニーノ・チェンニーニ『絵画術の書(Il Libro di Arte)』に、ウルトラマリンの精製法が記述されている。これによれば、粉末にしたラピス・ラズリを松脂などと練ってペーストとし、これを灰(アルカリ)を溶かした水中で揉むと、純度の高いウルトラマリンが泳ぎだしてくる、とある。これは、青金石の結晶構造のにある硫化物性の硫黄が、若干の親油性を持っていることによるミセル形成によるものと考えられる。ラピスラズリのアルカリ耐性、そして化学的性質をうまく利用した分離法と言えよう。とはいえ、ラピス・ラズリから上質のウルトラマリンを得る歩留まりは非常に悪く、数%程度しか得られなかったらしい。

天然のラピス・ラズリは供給に難があるため、古くから顔料用途への化学合成が検討されていた。青金石は極めて熱に強く、セラミックスの一種とも言える。その生産は複雑かつ困難で、仕込んだ原料すべてが灰になってしまうこともしばしばあり、第二次世界大戦前の製造は博打に近いものだったようだ。戦後になって再現性の高い生産レシピが確立され、高品質の合成青金石が安定供給されると、天然のそれはほぼ駆逐された。人工的なラピス・ラズリの合成は、安価な粘土鉱物であるカオリン、硫黄、炭酸ナトリウム、石炭および二酸化ケイ素から、天然のものよりも鮮やかな色のものができる。それでも、チェンニーニ法によるウルトラマリンは今だに細々と作り続けられている。紀元前から人類を魅了してきたラピス・ラズリの青は、現在でもなお、多くの画家をとりこにしてやまない色である。

(文献)

François Delamare "Blue Pigments. 5000 years of art and industry", Archetype Publications (2013).

坂井基樹・竹見洋一郎・佐藤恵美・入澤光世、「青 空と水とやきものの始まり」、INAX出版 (2011).