日本画の彩色

日本古来の絵画表現は、オリジナルは中国や朝鮮から伝来した技法であろうと思われ(唐絵)、これはゆっくりと日本国内で発展して独自の絵画文化を形成した(大和絵)。江戸末期~明治期になると、日本にも油絵をはじめとした西洋画技術が導入されたため、それとの区別・対比として旧来からの絵としての「日本画」という言葉が、アーネスト・フェロノサの活動により発生した。ここでは日本画の詳細な特徴は説明しないが、彩色色材からみた日本画は、かなり特殊なものである。

日本画における彩色では、天然の無機化合物、特に鉱物性の顔料を「岩絵具」として好んで用い、その粒度(粒子サイズ)で色調と質感をコントロールするのが大きな特徴であろう。メディアムは水、接着剤は膠が基本である。狩野派では、このような扱いをする本来の岩絵具としては、岩緑青(孔雀石)と岩群青(藍銅鉱)が双璧であり、これらのみが岩絵具に相当する。というのは、この二つはたとえばパリグリーンプルシアンブルーなどの西洋の合成顔料に比べ着色力が低く、微細にすりつぶすと色が白ずんでしまいやすいため、苦肉の策として粗い顔料を使って濃い色を出し、質感をそれに合わせるために他の顔料も粒度を揃えた、という用法上の要因によるところが大きい。粒度が粗くなると、当然ながら筆運びが極端に悪くなるが、これは致し方ないし、大きな粒径の顔料を用いて彩色する技術が日本画には長けている。

江戸以前の日本画では、黄色は石黄、水酸化鉄、そして染料であるガンボージの使用による。青は藍銅鉱か顔料的に用いるインジゴ(藍の花を回収したもの)、緑は孔雀石、赤は辰砂(真朱もしくは銀朱)か弁柄鉛丹が多い。染料としての臙脂(ラック)の使用もある。白は主に胡粉(生物原料の炭酸カルシウム)を用いた。黒はである。顔料としては、ウルトラマリンのような鮮やかな青がなかったため、色表現にややカバーできない領域があって、同時期の西洋絵画に比べやや落ち着いた色合いを示す。さらに、金箔や銀箔を多く利用した。

江戸末期~明治初期に舶来の顔料が導入され、その色は大きく様変わりした。プルシアンブルー合成ウルトラマリン、洋紅(カーマインレーキ、マダーレーキ)など、優秀な顔料が使用され、また江戸時代以前にはあまり使用例のなかった顔料の使用も数多くみられ、かなり様変わりした。しかし、日本画のモチーフと表現法は、進化しつつもそのまま息づいているかに思える。また、やはり鉱物性の顔料使用を好む傾向は、引き継がれている。

最近の日本画顔料

桃簾石(とうれんせき、チューライト):マンガンを含んだ灰簾石 (zoisite) というケイ酸塩鉱物である。桃色。

鉄電気石(てつでんきせき):複雑な組成の含ホウ酸ケイ酸塩で、電気石グループは多くの種を包含するが、鉄を含んで黒いものを黒色顔料に用いることがある。

エジリン(錐輝石):緑がかった黒の表現に用いることがある。最近、マラウィで質の良いものが多産するため、それを利用している。

黒曜石末:天然の火山ガラスで、塊では微量に含んだ不純物により黒であるが、粉にすると白くなる。粒度のコントロールで、その間に生じるやや茶色みを帯びた白を用いる

水晶末:天然の二酸化ケイ素結晶の粉末で、屈折率がさほど高くないことから、白色顔料としての隠蔽率は低い。むしろ、他の彩色部位と粒度を揃え、質感を統一されるような向きに用いられるようだ。

(文献)

丹青指南