助けを求める人が、心配事や、被害を想定し、それに対して、どのような助けが必要かを、平時に依頼しておくことが共助の原則である。
しかし、共助の方法を議論する時に、しばしば、「助ける側」の立場に立ってしまい、自分が「助けられる側」になった時に、どうして欲しいか、という観点が忘れられている。
例えば、「窓に鍵がかかっていたら中に入れない。ガラスを割ってでも中に入って良いのか?」とか、「マンションの場合、中で家具の下敷きになっていてもわからない」とかの問題がしばしば議論される。この場合、無断の住居侵入が許されるかどうか、が議論になる。
しかし、この問題は、「助ける側」の視点ではなく、共助の原則である、「助けられる側」の立場から判断することが良いと考えられる。
自分が「助けられる側」、例えば家具の下敷きになったと想定した時、ガラスを割ってでも入ってきて欲しい、と考えたら、その旨、「助ける側」の人たちに依頼しておく。依頼をしなかった場合、救援者が玄関のドアをたたいただけで引き上げたとしても、それは、「自己責任」である。
マンションの場合も、応答がなければ、(もし可能なら)ベランダに入って安否を確認して欲しい、という要望もあるかもしれない。
また、「私は日中は外出していることが多いので、共助には協力できません」と共助に後ろ向きな発言もある。しかしこれも、「助ける側」の発想であって、自分が外出中に、残された家族が地震でケガをし「助けられる側」になる場合を考えれば、積極的に共助の議論に参加すべきと考えられる。
また、「集合時間が5分程度は早すぎる」という意見も同様である。「助ける側」の視点からすれば、集合の前に、外出中の家族の安否確認や、テレビ・ラジオでの情報収集が優先しておきたいかもしれないが、「助けられる側」の立場で考えて、もし自分が家具の下敷きになったり火災が発生したりした場合を考えると、「一刻も早く」助けて欲しいということになる。
エステシティでは、ご近所の救助、支援を実行する安否確認システムを構築しているが、訓練で集まった時に、各自が望む「助け」について意見交換をしておくことが良いかと思われる。
2025. 9. 6