English is fun!と言う人もいるかもしれません。しかし、多くの人にとってはそうではないです。また、fun(楽しい)だけでは学習を続けるモチベーションにはなりません。損得を含めた、英語を学習する明確な理由がないと続けることは難しいと考えます。ここでは、私の考えをまとめてみました。
1つ目は「損をしないため」です。
同時翻訳技術が進めば、いずれは英語を話せなくても海外の人とコミュニケーションが取れるようになるでしょう。じゃあ英語を学習する必要は無い?そうでしょうか?そんな素晴らしい技術、タダで誰でも使わせてもらえるでしょうか。違うと思います。きっとお金を払わざるを得なくなるでしょう。例えば、今の時代のスマホのようにです。
情報社会の今、スマホは生活に必須なものになっています。スマホなどのデジタル機器が苦手な人を想像して下さい。スマホの乗り換え、セットアップ、トラブル対応、アプリの使い方、インターネットバンキング、決済サービスの使い方、など複雑なものになればなるほど、中には自分で行うことが難しくなる人もいます。そのため、そういう便利で得をするサービスを利用できなかったり、サービスを利用するために、さらに別のサービスにお金を払わざるを得なくなったりしてしまいます。トラブルがあった時に、自分では何も出来ないのは困りますし、余計な出費がかさみます。知識と技術があれば、安く済ませたり、機会を最大限利したりすることが出来ます。
これはあくまで想像ですが、英語が苦手な人は時間的、機会的、金銭的に損をするのでは?社会的に弱い立場に追いやられるのでは?との思いがあります。人々に広く使われる便利なものほど、基本的でシンプルな知識・技術を身につけていない人は弱い立場に追い込まれる可能性があります。
スマホなどのデジタルに強い人は利益を享受出来るが、弱い人は不利な立場になっている。技術が便利で幅広く使われるようになればなる程、それに弱い人は立場が不利になります。それが英語でも起こるかもしれません。
実は翻訳ツールを使いこなすにはかなりの英語の力が必要になります。しばしば翻訳ツールは予想外の結果を返してくることがあるからです。例えば、責任感がある立派な人のことを表現するときに「人の嫌がることを進んでやる」のように言ったりします。「人の嫌がることを進んでやる」を翻訳ツールに入れるとwilling to do things that people hate.と返ってきますが、これは意図している内容になっていますか?英語を訳すとwilling to (〜するのをいとわない) do things (ことをする) people hate (人が嫌う)となります。「人々が嫌うことを喜んでする」となります。なんだかずれていませんか?
willing to do things that people hate.は本来とは全く逆に、「人々が(されて)嫌がることを進んでやる」という嫌な奴のことに捉えられかねません。きちんと伝えるにはwilling to do things that people don't want to do. としなければなりません。「適切に訳されているか」に気がつくためには翻訳されたものをチェックする高度な英語力が必要です。間違って訳されているのを鵜呑みにすると、相手に誤解されてしまうだけでなく、その間違いに気づくこともできなくなります。
また、言葉にはそれに込められた意図があります。例えば、「この部屋寒くないですか」という発言は、しばしば「この部屋が寒いと私は感じているので、部屋の温度を上げてほしい」という意図を伝えるために使われます。日本人なら、「もしかして寒いですか?」と気づいてくれる方が多いでしょう。なぜなら、相手の気持ちを察する文化が日本語には根底にあるからです。相手が表現していないことでも、言葉から意図を汲み取る習慣が染み付いています。これは日本という共通の常識、土地、四季など、前提知識を広く共有しているために可能になることです。
一方、英語は様々な国や地域の人が話す言葉であるため、お互いの文化について知っていることは少なく、常識が通用しません。前提知識で「相手がわかってくれるはず」と思ってあいまいな表現で伝えたいことを直接言葉にしないでいると、気づいてくれない、なんだかおかしい、と意思疎通が成り立たなくなることがあります。きちんと自分の伝えたいことは、「〜して欲しい」などと依頼しなければなりません。これは英語を実際に学んでいかないと気づきにくいことです。翻訳ツールは言語を理解してはいないので、そこまで伝えることはできないのです。
日本は少子化で、これから人口がどんどん減少します。人が減れば、国内でものを買ってくれる人が減り、経済規模は縮小していきます。経済規模が縮小すると、サービスの提供者が減っていきます。日本では十分儲けられず割に合わないと判断されれば、企業による情報、出版、その他サービスは引き上げられ、無くなってしまうかもしれません。日本語だけではアクセスできる情報やサービスが限られていく可能性があるのです。
また、減る一方の人口を補うためにますます海外から人を受け入れて来てもらわないといけなくなるでしょう。観光立国推進、などはその一例かもしれません。しかし、世界には魅力的な国が多くあります。日本には確かに魅力的な様々な文化があります。しかし、輸送技術の発展で物理的距離は縮まっても、言語の壁は以前高くあります。言葉が通じにくいというデメリットに勝るほど、多くの人が来続けてくれるような魅力的な日本であり続けられるでしょうか。
仮に海外から人々が来てくれたとしても、選ぶ権利はその人々にあります。お店を選ぶときに、英語が使えるサービスとそうでないサービスがあったとしたら、どちらが選ばれるでしょうか。あなたが提供するサービスは選ばれるでしょうか。
世界と競争する中で、人々から選ばれ、魅力的に映るためには、英語が必要かもしれません。
学習とは、時間という資産を使っての将来への投資です。特に、中高生、大学生はこの時間という資産を豊富に持っています。投資ですから、投資先と投資量によってはリターンが何倍にもなって将来返ってきます。リターンというのは、分かりやすいものでいえばお金です。儲かりやすくなる、給料が増える、稼げる、などです。
しかし、将来という不確定なことですから、リターンが投資した時間に期待できるほどのものにならないかもしれません。「私は投資先に英語学習はリターンが小さい」と判断するなら、あまり努力と時間を割かないのも自由です。しかし、英語学習にゼロ投資して、スポーツに全て時間を注ぎ込むなどの極端なやり方はリスクにもなります。それは、一つの道が怪我や病気などで断たれた時、他の道がないからです。「あの時ちゃんと勉強しておけばよかった」という後悔になって将来必要なときに返ってくるのは困りますね。
投資のリスク軽減においては、資産の分散と時間の分散が推奨されています。一つのことに100%注ぎ込むのではなく、様々な状況が起きたときのことを考え、色々なものに投資しておくと、一つがだめになっても他で補うことができます。また、時間をかけて少しずつ行うことです。一度に一気に注ぎ込むのではなく、毎日少しずつ行うことでリスクが軽減されることが分かっています。
英語学習も将来の自分への投資先の一つと考えるといいのではないでしょうか。