・ジャズ最後の日/加藤総夫
エリントンの音楽についての考察は、現在日本で出版されているなかでは
次の「ジャズ・ストレート・アヘッド」と合わせた加藤総夫の研究が他の追随を許さない。
エリントンと直接は関係ないが、この本で管理人が一番好きなところを以下に引いておく。
これら三つの章に書き記したさまざまなことを十年にわたり考え抜いた揚げ句、ぼくはもう今では、なによりもまずジャズを聴くという生活を送らなくなってしまった。送れなくなった、といった方が正しいかもしれない。といっても音楽を聴かなくなったわけでは決してなく、むしろ音楽をさらに一層愛するようになり、生活の中でも音楽がますます重要なものになった。にもかかわらず、それがジャズであることは本当に少なくなってしまったのだ。
だが、それは決してジャズに夢中になっていた数年間が何の意義もなかったことを意味しない。驚くべきこと、そして嬉しいことは、ジャズを真剣に聴き込んだことによって、ジャズばかりではなく、すべての音楽に対する聴き方が明らかに変わってしまったということだ。ぼくがジャズに夢中になったことの意義はここにある。ジャズはぼくの音楽の聴き方を変えてしまった。 ジャズを聴いたためにすべての音楽は、それまでと違う響きとしてぼくの前に立ち現れるようになったのだ。
(十三頁、「序章」)
ここでは「ジャズ」について述べられているけど、この「ジャズ」と「音楽」はいろいろなものに置き換えられると思ういます。
たとえば、「ビートルズ」と「ロック」、「ゴダール」と「映画」。「手塚治虫」と「マンガ」とか。
管理人にとっては、まだまだエリントンやジャズについてその域に達するまで聴き込んでいない、
というのが正直なところです。
さて、『ジャズ・ストレート・アヘッド』と比べると、軽い文体で、なんとなく「ニューアカ」な時代の雰囲気が漂うこの本ですが、もちろん、エリントンについての文章も充実してます。特に濃密に関係しているところを挙げると…
第2章 ジャズと呼ばれてきた物語
1 ジャズ的な響きの語り部たち
・ よく考えてみるとぼくたちはエリントンのことを少ししか知らない
・「増殖装置」としてのエリントン
・エリントンの遺したもの
・とにかく豪快なエリントンのピアノ
あたりでしょうか。
特に「よく考えてみるとぼくたちはエリントンのことを少ししか知らない」が素晴らしいです。この短いエッセーこそ、管理人にこんなマニアックなサイトを創ろう、と触発した文章です。
上記だけでなく、ジャズや音楽について軽い文体ながらも、かなり深いところまで言及されている本です。
定期的に発売されるディスク・レビューも悪くありませんが、こういう原則論を読んでみるのも悪くないですよ。
というか、未だにジャズ批評に足りないものは原則論だと思うのです。