文明の発達による文化の混淆をテーマにした作品。
「全世界がオリエンタル化しつつある」というマクルーハンの学説を引いた、1分半にわたるエリントン自身の紹介アナウンスで幕が上がる(このアナウンスの全文のトランスクリプトは下)。
その引用に沿う形で、主に中国、オーストラリア、アフリカの音楽について、エリントンが独自の解釈を行っていくのだが、まさに「民族音楽家」としての面目躍如。曲解スレスレの解釈が並ぶ。
豪華絢爛な王朝文化を描き、晩年のコンサートでは欠かせないレパートリーとなった#1「Chinoiserie(中国趣味)」、オーストラリア発祥の「ワルチング・マチルダ(Waltzing Matilda)」とゴスペルを融合させた「TRUE」(ライナーノーツのStanley Danceの解釈)、トーキング・ドラムを描いた「Afrique」など、全8曲と曲数は多くないものの、聴きどころ満載。
なお、エリントンは作曲中の作品に暫定的的に4文字のアルファベットを付ける習慣があり、#5-7の3曲はこれが発表までに直されなかったためと考えられている。#5のGongは曲中に使われるゴングから名付けられた。#7のTrueは、65年のSacred Concertで演奏された「Tell Me It's The Truth」のアレンジを変えたものだ(なので、Stanley Danceの解釈は深読みのし過ぎだろう)。#6のTangはよくわからないが、おそらくTANGOのことではないだろうか。タンゴに特徴的なアクセントとバンドネオンの響きを、エリントンはこう聴いたのだろう。
ストレイホーン、ホッジスは既に亡くなっており、レイ・ナンス、ジミー・ハミルトン、サム・ウッドヤードもオケを去ったこの時期のサウンドは、
残念ながら55年体制に慣れた耳にはさびしく響くのも事実。
しかしその分、これまでのスター・プレイヤーの力量・クリシェに頼らない、
老エリントンの新たなアイデアを模索する創造的な姿が浮かび上がるわけで、その意味でも興味深い1枚である。
例えば、#2の Didjeridoo はハリー・カーネイのバリトン・サックスをオーストラリアの伝統楽器「ディジェリドゥ」に見立てた曲だが、リズムはゆるいブロークン・ビーツといってもいいし、ホッジスとキャット・アンダーソンをフィーチャーしていた#4のAcht O'Clock Rock はキャット・パートをオルガンに代えている。クレジットこそないものの、このオルガンはワイルド・ビル・デイビスだろう。キャットには悪いが、このオルガンのかぶせ方は実にクール。この曲のベストアレンジだと思います。
また、テナーのソリストにハロルド・アシュビーを採用し、ポール・ゴンザルヴェスとのWキャストにしたのは競争心を煽るためか、それとも「エレガントな嫌がらせ」か。
ソロの内容にしても、クーティにはプランジャーを使わせず、シノワズリではワン・コードのままハロルド・アシュビーにソロをやらせるなど、随所に当時の流行への目配せがうかがえる。
さて、ここで本作品のテーマについて考えてみる。
思い出そう、43年初演の『Black, Brown and Beige』は、アメリカに連れてこられたアフリカ人がアメリカ社会・文化に溶け込んでいく様を描いた組曲だったことを。その30年後、エリントンは地球規模にまで拡大した「文化の混淆」の組曲を書いた。このテーマはエリントンのライフ・ワークだっといえる。
ただ、本作品冒頭のマクルーハン解釈に顕著だが、エリントンの異文化への態度にはある種の偏りがみられる。以下、この問題について考えるが、まずは冒頭のアナウンスを対訳でみてみよう。
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「…ではここで「シノワズリー」を。去年の今頃、われわれは「アフロ=ユーラシアン・エクリプス」という名前の新しい組曲の初演を行いました(注:70年9月ののMonterey Festivalのこと)。この組曲の名前は、みなさんご存知のトロント大学のマーシャル・マクルーハン氏の言葉からいただきました。
マクルーハン氏はこう述べています、「全世界のオリエンタル化が進んでいる。このままだと、誰も――オリエントに住む人々でさえ――自分のアイデンティティを保つことはできないだろう」と。みなさん、ご存知のようにわたしは世界中を飛びまわっているわけですが、ここ最近の5,6年間では、まったくこの言葉通りのことが起こっていることに気が付きます。さて、われわれ自身にも――これと並行してかどうかはわかりませんが――同様のことが起こっているわけでして、今日はみなさまにそのうちのほんの一部をお聞かせしたいと考えています。
よろしいですか、会場のみなさま。これからお聞かせする世界では、視界・価値観をカンガルーとディジェリドゥーの視界・価値観に合わせました。その結果、われわれはこれまでとは「正反対」(注:オーストラリアとのダブルミーニング)で未開の世界から考えなければいけなくなります。この観点からみてみると、「誰が誰の影響を受けているのか」など、もう誰にもわからないでしょう。
さて、重責を負うハロルド・アシュビー、彼が担う大役とは、自分に授けられた中国的なエッセンスを少しだけみなさまにお聞かせすることです。このオーケストラのピアニストが中国風の「リキティキ」フレーズを終えた後、お聞かせできることでしょう」
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このエリントンのアナウンスはシブい。その声質と流れるライムに満足してしまいそうになるが、ここには重要な事が語られている。
まず、エリントンが引いているマクルーハンの学説だが、「ホット/クール」で有名なメディア論でなく、「グローバル・ヴィレッジ論」のことだと思われる。
マクルーハンの考えでは、技術・メディアの発達により、個人主義のグーテンベルクの銀河系から、地球規模の部族主義の集合的アイデンティティへと移行する。この社会構造のことをマクルーハンは「グローバル・ヴィレッジ」と呼び、ビッグ・ブラザーに象徴されるような全体主義・恐怖政治となることを恐れた。ひとまず、このようにまとめてみよう。
これは2017年のわれわれならサイードを参照しながらグローバリゼーションの文脈で考える問題だ。そう考えたとき、議論の対象となるのはグローバル化に飲み込まれていくマイノリティや、周縁の伝統的文化の消滅の問題、いや、そもそも中心/周縁ってなんのこと? という問題系が生じていくわけだが、エリントンにはマイノリティの立場からの問題提起・異議申し立てという観点は存在しない。あくまで文化の混淆について語るだけであり、政治的な問題についての発言は注意深く避けている。
このスタンスは前述の『Black, Brown and Beige』から変わらない。そもそもコットンクラブでの「ジャングル・サウンド」もエキゾチシズムを売り物にしていたわけであり、エリントンはオリエンタリズムの外に出て発言することはなかった。
だが、このことからエリントンはオリエンタリズム(当時はまだそのような概念はなかったが)に無関心だった、とは結論できない。というか、注意深く政治的な発言を避けることこそ、エリントンのスタンスだった、とは考えられないだろうか。政治的な影響力をもつアフロ・アメリカンの中でも、エリントンは極めて穏健派だ。これはワシントンで生まれ、ホワイトハウスの業務に従事する家庭、という成長環境が影響しているのかもしれない。しかしそれよりも、「いち早くアメリカ国内のエスタブリッシュメント層に食い込んだアフロ・アメリカン」としての自覚がエリントンにはあったのではないか、と管理人は考えるのである。つまり、エリントンの政治的な発言は非常に影響力が大きいため、慎重なスタンスを選択せざるを得なかった。もしかすると、エリントンの幾度となく繰り返される民族音楽への言及は、マイノリティへのメッセージだったのではないか。
スポーツの世界で成功するように音楽の世界でアフロ・アメリカンが成功するということ、ウィントン・マルサリスはそのロール・モデルを作り上げた、と述べたのは中山康樹だったが、そのウィントンがエリントンを賛美する理由は、エリントンの音楽自体のほかにこんなそのスタンスにもあるはずだ。
次に、オーストラリアへの言及。
管理人は長い間この作品のタイトルに疑問をいだいていた。「Afro-Eurasian」とはアフリカとユーラシア地方のことだろうけど、アナウンスで言及しているオーストラリアは範囲外(大陸移動説の用語で「アフロ・ユーラシア大陸」というものもあるが、これもオーストラリアは一部しか含まない)。オーストラリアは何の関係があるのだろう? と。
しかし、それはエリントンのアナウンスをきちんと読めばわかることだった。すなわち、文化間で影響を受けることが免れない現代では、従来の観点(=アフロ・ユーラシア大陸)からではその影響関係がわからず、自分のアイデンティティを見失っていくだけである。そこで重要なのは、一度これらとは違う次元の観点(=カンガルー、ディジェリドゥ)から考えて自分の立場を相対化し、新たな視点を獲得することである。その一端として、エリントオケはこの組曲を演奏する、ということだ。
「Down Under(正反対に、反対側に)」はオーストラリアのことを指し、オーストラリアはまだまだアボリジニなどの「out back」な文化も残っている地域である。このような言葉遊びの観点からも「オーストラリア」は適切な地域であり、「うまいこと言ったった!」というエリントンのドヤ顔が目に浮かぶ(同様に、アナウンス中のenjoy the shadowという言葉は組曲タイトルのEclipse(蝕)からでてきた言葉だと思われる)。
実際にオーストラリアの音楽(の解釈)も演奏するが、この組曲におけるオーストラリアは、以上のような象徴的な意味づけがされているのである。…これで、そのまま「Didjeridoo」を演奏してくれればわかりやすかったのに! アナウンスの次に始まる演奏が中国をテーマにした曲なのでオーストラリアの意味がわからなくなってしまうのだ(この組曲の1曲めは、たしかに「Chinoiserie」がふさわしい。「つかむ」のにはもってこいの曲)。
晩年の創造性と、民族音楽家としてのエリントンを確かめることのできる1枚。
'71 (Fantasy)
#1 Chinoiserie
#2 Didjeridoo
#3 Afrique
#4 Acht O'Clock Rock
#5 Gong
#6 Tang
#7 True
#8 Hard Way
Recorded at National Recording Studio in New York, NY on February 17, 1971.
【p】
Duke Ellington
【b】
Joe Benjamin
【ds】
Rufus Jones
【tp】
Cootie Williams, Mercer Ellington, Money Johnson, Eddie Preston,
【tb】
Malcolm Taylor, Booty Wood
【btb】
Chuck Connors
【as, cl】
Russell Procope
【as, cl, fl】
Norris Turney
【ts】
Harold Ashby, Paul Gonsalves
【bs】
Harry Carney
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“Ah, this is really this Chinoiserie. Last year, eh, we about this time - we premiered a new suite titled Afro-Eurasian Eclipse, and of course the title was inspired by a statement made by Mr. Marshall McLuhan from the Univeristy of Toronto.
Mr. McLuhan says that the whole world is going Oriental and that no one will be able to retain his or her identity, not even the Orientals. And of course we travel around the world a lot, and in the last five or six years we too have noticed this thing to be true. So as a result we have done a sort of a thing – a parallel or something – and would like to play a little piece of it for you.
In this particular segment, ladies and gentlemen, we have adjusted our perspective to that of the kangaroo and the didjeridoo; this automatically throws us either "Down Under" and/or out back, and from that point of view it’s most improbably that anyone will ever know exactly who is enjoying the shadow of whom.
Ah, Harold Ashby has been inducted into the responsibility and the obligation of scraping off a tiny bit of the charisma of his chinoiserie immediately after our piano player has completed his rikki tikki.”
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Marshall McLuhan (1911 - 1980)
Cotton Club時代のエリントン。
サウンドだけでなく、ステージもエキゾチシズム満載。
【ディスク評】
・ジャズ批評 No.112 (2002年7月) 特集 ジャズ・ビッグバンド
暴走に拍車がかかる晩期傑作
デューク・エリントンは生涯ずっと黄金時代だったと信じてやまない僕にとっては、七〇年代の彼もまた、実に実にいとおしい。確かにジョニー・ホッジスの他界は痛いが、デュークの実験意欲、鬼の創造力はさらに高まりをみせ、あらゆるマニュアルをことごとく粉砕したかのような音の重ねっぷりときたら文字通り恍惚と紙一重、思わず冷や冷やしてしまう暴走ぶりである。まあとにかく「シノワイザリー」(原文ママ)を聴こう。いきなりマクルーハン理論を語りだす御大。そしてしばし後に流れるひっちゃかめっちゃかな音響。ウィントン・マルサリスひきいるリンカーン・センター・オーケストラもカヴァーしたこの曲こそ、晩期エリントンの「ええじゃないか性」を象徴する。この二年半後の七四年春、デュークは亡くなり、故マーサー・エリントン、ポール・マーサー・エリントンが楽団を継いで現在に至る。それらゴースト・バンドの演奏もそれなりにいいが、スケベさが抜け落ちているので聴いた後の征服感に欠けるのは致し方ない。『女王組曲』(Pablo)の後半、『ラテン・アメリカ組曲』(Fantasy)、英国のオーケストラに単独で加わった『コラージュ』(MPS)も晩期デュークの必聴盤だ。(原田和典)
(Tivoli Gardens, Copenhagen July 1970)
この時期のサックスセクション。
左から、ポール・ゴンザルヴェス、ハロルド・アシュビー、ノリス・ターネイ。
ちなみに「TANG」はあのエミネム(EMINEM)に大胆にサンプリング/カバーされている。
HIPHOP AND JAZZ MIXED UP 2 S.MOS
この#8でエミネムが「Tang」を、Young MCが「Jubilee Stomp」をカバーしており、どちらもエリントンの元ネタへのリペクトが感じられる素晴らしいサンプリング(というか、トラックはほとんどそのまま)。エミネムは実に「らしい」ラップで、悪ガキぶりを発揮してて頼もしい(当時40歳だが)。