(John Cornelius "Johnny" Hodges / July 25, 1906 – May 11, 1970)
【在籍期間 1928-1950, 1955-1970】
ウィリー・スミス、ベニー・カーターと並ぶ、スウィング時代の3大アルトの1人。
だが、ホッジスは「3大アルトの1人」というよりも
「エリントン・オケのリード・アルト」という肩書の方がしっくりくる。
ホッジスはエリントン・オケに通算40年近く在籍していたが、
その花形プレイヤーという立場「だけ」に満足していたわけではない。
51年から55年にかけてオケを脱退し、自分のバンドを率いていたこともある
(ホッジスの乱。このときともにオケを脱退したのがソニー・グリーアとローレンス・ブラウン。
このホッジスのバンドには、一時期コルトレーンも在籍したこともある)。
これはエリントンの待遇が悪かったためとも言われており、
特に、自分が作った曲をエリントンが盗んだ、と周囲にこぼしたこともあるらしい。
ただ、ソロ作のホッジス作品を見ると、その多くがブルースであり、
エリントンが盗んだ、にしても曲の一部だったり、リフ程度なのでは、とも思ってしまう
さて、ホッジスは再びエリントン・オケに戻ると、もう二度と脱退することなく、
70年の死までオケにとどまることになる。
ただ、いくつかソロ作品は作成しており、それは例えばこんな作品だ。
Blues-a-Plenty, Johnny Hodges (1958, Verve)
ピアノはすべてストレイホーン。
また、ズバリのタイトルの作品を発表している。
Johnny Hodges With Billy Strayhorn And The Orchestra, Johnny Hodges (1962, Verve)
Johnny Hodges With Billy Strayhorn And The Orchestra
この作品ではストレイホーンはピアノを弾かずにアレンジに徹しており、
そのせいあってホッジスのアルトの美しさが際立つ作品に仕上がっている。
――エリントンはもちろん素晴らしい音楽家、バンド・リーダーだ。
しかし、自分だって捨てたもんじゃない。いや、このオーケストラのサウンドに最も貢献してるのは自分のはずだ。
ならば、もう少し待遇がよくてもいいんじゃないのか?
少なくとも、もう少し自分の一般的な知名度が高くてもいいはずだ。
……だが、自分のサウンドを最も効果的に使ってくれるのもこのオーケストラなのは自分でもわかっている。
…結局、今のポジションにいることが1番賢い身の処し方なのだ……
そんなエリントンへのアンビバレントな思い、という点で通じるものがあったのだろうか、
ホッジスとストレイホーンは仲が良かった。