ギル・エヴァンス
(Gil Evans / 13 May, 1912 in Toronto, Canada - 20 March, 1988 in Cuernavaca, Mexico)
「私がこれまでにしたすべてのことは、ビリー・ストレイホーンがやったことを再現しようとする試みだ」1)
あからさまなトリビュート・アルバムや、エリントン・ナンバーのカバーこそないものの、
ギル・エヴァンスのアレンジを聴けば、本人の言葉通りにエリントンからの影響は明らかだ。
一聴して識別できる独自のハーモニー、ソリストとオーケストラとの対等な関係性
(Priestesのサンボーンや、Monday Night OrchestraのHoward Johnsonなんて、
エリントンバンドが電化したものと考えても違和感ないよなあ)、
そういえば、ギルが晩年に率いていたバンドの名前も、
Monday Night Orchestra であって、Monday Night Big Bandではなかった。
終生、自分の率いるバンドを「オーケストラ」と名乗り続けたことからも、
その「サウンドへのこだわり」がうかがえる。
ギルにとって、自分の音楽を追求することは、
エリントンミュージックを解釈することと同義だったといえるのではないか。
エリントンの曲をカバーしていなくとも、意識の上ではずっとカバーしていたのだ。
また、これは状況証拠というかこじつけのように聞こえるかもしれないが、
ギルにはエリントンと同名の作品がある。
エリントンの作品から、10年後の発表。
これ、ギルのエリントンへの目くばせではないか。
本当のところ、ギルがどれだけエリントン/ストレイホーンを意識していたのかはわからない。
だが、数少ないながらエリントンへの音楽面での直接的な言及があるのも事実。
そのうちのひとつはマイルスの項目でも述べた "MILES AHEAD" の'The Duke'、
もうひとつはスティーブ・レイシーとのデュオ、"Paris Blues"の'Paris Blues'。
猫ジャケ(俗に言う「ネコード」)としても秀逸な一枚だが、
音楽的な内容はもっとすばらしい。
選曲はモンクとミンガスのナンバー中心。
ギルのエレピとレイシーのソプラノによって、
これらの曲の新しい解釈が示されたといっても言い過ぎではない出来だ。
ちなみに、モンクとミンガスの曲はギルとレイシーが終生好んで取り上げた曲である。
エリントンからはちょっと脱線するが、
スティーブ・レイシーはソプラノ・サックスのひとつの理想の形を提示した、
と管理人は評価している。
ソプラノ・サックスは、楽器の特性上、非常にコントロールが難しい不安定な楽器である。
クラリネットの同類として使用されたアーリー・ジャズ期以後は、
コルトレーンを筆頭にその不安定さに惹かれて多くのジャズマンが自分の表現方法に選んだ。
だが、70年代以降、フュージョンなどのスッキリとした音楽が登場すると、
電気楽器との相性のよさから、こうした音楽によく使われるようになった。
なんといってもその成功例はリターン・トゥー・フォーエヴァーだと思うし、
渡辺貞夫や本多俊之などはその使い方がとても上手だ。
しかし、なんといってもソプラノ・サックスの魅力はその不安定さにあるのである。
ショーターのソプラノなんて、均一な音色・安定したピッチで聴いたってぜんぜん面白くないではないか
(もちろん、デイヴ・リーヴマンのように圧倒的なテクニックでソプラノをコントロールするカッコよさもある。
メタリックにゴリゴリと吹きまくるリーヴマンは、文句なしにカッコいい!)。
晩年のスティーブ・レイシーは、ショーターほど天衣無縫にならずに
ジャズのフレーズを吹きながらの不安定さを表現していた。
矛盾した表現になるが、不安定さをコントロールしていた、とでもいえるかもしれない。
管理人は、若きレイシーの"Reflections"とこのアルバムを聴いて、
すっかりスティーブ・レイシーのファンになってしまった。
レイシーはやはり初期の作品、"SOPRANO SAX"で、
'Day Dream', 'Rockin' In Rhythm' をカバーしていた。
レイシーは、その最晩年にエリントンのカバーアルバムを残す。
"10 OF DUKES + 6 ORIGINALS"
(2000年10月15日埼玉県岡部町『エッグファーム』でのソロ・ライブ録音)
2004年に亡くなるレイシーが来し方を振り返ったライブ録音、と、
まとめてしまいたい誘惑に駆られる。
いずれにせよ、この演奏が日本で録音されたのは嬉しい。
スティーヴ・レイシーのエリントンからの影響については、別館でもう少し書いた。
エリントンを意識しながらも、そのの直接的な言及を注意深く避けていた二人が、
その晩年にデュオで1曲だけエリントン・ナンバーをカバーする。
'Paris Blues'という、「知る人ぞ知る」選曲もいい。
ギル・エヴァンスはこのアルバムの翌年、1988年に亡くなる。
多くのミュージシャン・音楽ファンがその死を嘆いた。
しかし、その直前にこの美しいアルバムを遺してくれたことに管理人は感謝したいのである。
【参考文献】
『ギル・エヴァンス 音楽的生涯』、ローラン・キュニー
数少ないギル・エヴァンスの研究書であり、重宝する1冊だが、
索引がないのが残念。
この本も絶版です。
1) "All I did ― that's all I ever did ― [was] try to do what Billy Strayhorn did."
(David Hajdu のストレイホーンの伝記、"Lush Life"(邦訳未出版。現在、管理人が勝手に翻訳中)の序文にある一節から)
このコメントは、1984年に作者がギルにインタビューしたときのもの。