(あきよし としこ、December 12, 1929 -)
穐吉敏子の音楽については、アレンジャーとピアニスト、そのそれぞれの立場から考えてみる必要がある。
特に、エリントン・ミュージックへの関わり方をみてみると、
この2つの立場で大きな違いが見られるのは面白いところだ。
まずは、アレンジャーとしての立場から、
自身のビッグバンドのオーケストレーション/アレンジ面への影響をみてみよう。
トシコ・タバキン・ビッグバンド(正確には「穐吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキン」)
といえば、ときに「あざとさ」すら感じる「和」の匂い漂う独特なアレンジが特徴的だが、
別にあの和太鼓からエリントン・サウンドのエコーが聞こえてくるわけではない。
穐吉敏子がエリントンから受けた影響は「他の誰にも真似できない、オリジナルなサウンドを創り出す」という姿勢であり、
あの「和」なアレンジは、その意味で「エリントン的」と呼んでもいいなかもしれない。
バンドを「ビッグバンド」ではなく、「ジャズ・オーケストラ」と呼んでいることからも、
穐吉敏子がエリントンを強く意識しているのは明らかだ。
なんでも、夫のルー・タバキンとビッグバンドを結成する際、
穐吉敏子は何が自分のオリジナリティか、ビッグバンドのサウンドとして、何を前面に打ち出すか悩んだらしい。
このときに大きなヒントになったのがエリントンの音楽で、
エリントンはどんな音楽を書いても、常に自分の黒人としてのルーツをオープンにしている。
ならば、日本人である自分も、自分のルーツを表現すればいいのではないか…という境地に至ったらしい。
そのエリントンに対する最大限の賞賛がこれ。
Tribute To Duke Ellington (1999)
一方で、ピアニストとしては、エリントンへの率直な「愛」を聴くことができる。
すなわち、穐吉敏子が少人数編成でエリントン曲を演奏するときは、凝ったアレンジではなく、ジャズ・スタンダードの1曲として取り上げることが多い。
具体的なエリントン曲のカバーは以下の作品。
まずは70年代のこの2枚。
特に、Dedications 1とDedications 3では、若きピアニストとしての穐吉敏子を存分に聴くことができる。
Dedications 1, 1976
I Let A Song Go Out Of My Heartをカバー。
さらにこれも。
・ Dedications 3 -plays Billy Strayhorn, 1976
なんとビリー・ストレイホーンカバー集。
貴重な試みなので、曲目を挙げておこう。
1. Take the "A" Train
2. Day Dream
3. Rain Check
4. Lotus Blossom
5. Charpoy
6. Lush Life
7. Chelsea Bridge
8. Intimacy Of Blues
・ Japanese Trio Live at Blue Note Tokyo 1997, 1997
Japanese Trio Live at Blue Note Tokyo 1997
(b. 鈴木良雄、ds. 日野元彦)
#4でSophisticated Ladyを8分にも及ぶカバー。3人とも饒舌な演奏である。
穐吉敏子、演奏は達者だが曲後のMCを聞いていると少し心配になってしまう。
この日、体調でも悪かったのだろうか。
・Solo Live at The Kennedy Center, 2000
Drop Me Off In Harlemをカバー。
いずれも、バップの語法によるエリントン解釈で、
トシコ・タバキン・ビッグバンドのオーケストレーションから受けるような先鋭さはない。
トリオの演奏は、自分の好きなミュージシャンの曲を、親しい仲間とカバーした気安さが感じられる演奏だ。
例えるなら、井上陽水がライブでボブ・ディランをカバーしたり、桑田佳祐がストーンズをカバーしてる雰囲気、
といったところか。
特に凝ったアレンジもなく、好きなミュージシャンの曲をカバーしました、という感じの演奏…
…が、単にそれだけ、と言えてしまうのが残念なところか。
年代的に前後するが、管理人がよく聴くのはこの1枚。
と、以上、エリントンLoverとしての穐吉敏子を描出したが、
実は、10代の穐吉が初めてエリントンの音楽を聴いた時にはピンと来なかったらしい。
昼間あいている将校クラブには電蓄があり、Vディスク(Victory Discの略)という、12インチで、落としても割れない(後のLPの走りだと思う)米国のレコードが何枚か置いてあった。その中にはデューク・エリントンの「クレッシェンド・アンド・ディミヌエンド・イン・ブルー」などがあり、エリントンのレコードをかけてみたが、当時の私には、そのアブストラクトに聞こえる全体的なサウンドが何だかよくわからず、これは苦手だなあ、と思った。
Vディスクをリアルタイムで直接手にしたあたり、
「さすがはリビング・レジェンド!」と言いたくなるところだ。
このエリントン初体験時の感想、
あの穐吉敏子でさえ違和感を感じたのだ、やっぱりそれが普通なのだ、と、
ちょっと安心するエピソードでもある。
穐吉敏子については、岩波新書から『ジャズと生きる』という、
直球タイトルの自伝が出ているので、これは一読をオススメします。
穐吉敏子やジャズに特別な関心がない人でも、
当時の日米文化、留学事情などを知る上でも大いに参考になる本。
おそらく公共図書館を探せばすぐ見つかると思うけど、アマゾンなら、多分1円とか破格の値段で手に入る。
さて、こうなったら、娘のマンデイ満ちるへのエリントンの影響も知りたいところだが、
自分の楽器にフルートを選んだところをみると……どうなんだろう?
【 参考文献 】
『ジャズと生きる』、穐吉敏子、岩波新書、1996年
(2015年1月)