Thelonious Sphere Monk (October 10, 1917 – February 17, 1982)
モンクはエリントンよりもひとまわり年下で、
マイルスはそのモンクのさらにひとまわり年下。
エリントンは27年からハーレムのコットンクラブで専属バンドを務めており、
40年代に「ミントンズ」でジャズのキャリアをスタートさせたモンクにとっては、
当時のエリントンは大きな存在と感じられていただろう。
リバーサイドと契約後の第1作がこれ。
プロデューサーはオリン・キープニュース。
・Thelonius Monk Plays Duke Ellington, (1955,7/21, 27, Riverside)
55年のオリジナルジャケ。
58年の再発ジャケ。
「Sophisticated Lady」「Solitude」「Caravan」と、
エリントン・スタンダードナンバーを演奏。
特に気負った様子もなく、演奏もいつものモンクに聞こえる。
だが、プロデューサーのオリン・キープニュースは、
リバーサイド移籍第一作目をどのような内容にするかかなり悩んだらしい。
エリントンカバー集というのはキープニュースの提案だったようだが、
モンクの答えは「エリントンの曲、よく知らないんだよね」とのこと。
ここからはミュージシャンとプロデューサーの腹の探り合い。
お互いが相手をどこまで信頼できるか、によって作品の質が決まる。
キープニュースの自己採点はなんとかモンクのテストに合格した、というもの。
この詳細は村上春樹編集『セロニアス・モンクのいた風景』に詳しい。
この本については、別館 「Kinda Dukish」の以下の記事で。
そして、ジャズ・ミュージシャンはこのカバー集が大好き。
カーラ・ブレイ、大西順子らのこのカバー集についてのコメントは別館 「Kinda Dukish」の以下の記事で。
大西順子氏は、「これ聴いていると、アー、幸せになれるって感じ」らしい。
→ ジャズ・ミュージシャンは『Monk Plays Duke Ellington』を愛する。
さて、一方のエリントンもモンクのことを気にはしていたようだ。
なんとモンクの曲を録音し、「モンク風の」オリジナル曲も録音している(kinda 「monkish」!)。
しかし、これ、エリントンはどこまで真面目なのか…。
・The Private Collection, Vol. 3: Studio Sessions 1962, 7/25, 9/12, 13
62年の「オクラ入り」音源集。すべてがstudio録音というわけではない。
62年のNewport Jazz Festivalでの演奏。
関連曲は#12 Monk's Dreamと#13 frère Monk
(ライナーノーツでStanley Danceが#12を「Blue Monk」としているのは間違い)。
「frère Monk」は英語に直すと「Brother Monk」。
モンクを連想するようなフレーズをリフにしたブルース。
クーティのプランジャー・ソロをフィーチャーしており、「セッション曲」として流した感が強い。
このエリントン、「モンク風に」ふざけて弾いているのではないか、と見るのが加藤総夫。
なるほど確かにそうかも。
とすると、タイトルも「よう、兄弟!」ってな感じかな。
そう思って聴いてみると、
初めは「うん?」と首を傾げたMonk's Dreamのスカスカなイントロも、
意図的なものなら納得。
管理人は「frère Monk」の始まりがあまりにも「Epistrophy」してて笑ってしまった。
「エリントンによる『お笑い』としてのモンク。」(加藤)
ここで、エリントンとモンクについての重要文献を紹介しておこう。
日本語で読める文献としてこれを外すことはできない。
上のプライベートコレクションのコメントもこの本から引いた。
・『ジャズ・ストレートアヘッド』加藤総夫(講談社、1993年)
自身もピアニストである加藤総夫氏の筆により、
エリントンとモンクの音楽について実に的確かつ刺激的な指摘が述べられている!
特に、エリントンとモンクがしばしば「似てる」と評されることについては以下のとおり。
…そのタッチの重量感やノリの感覚など、エリントンとモンクを分かつ要素はいくらでもある。また誰でも容易に気づくように、エリントンはピアノにしてもオーケストラにしても、外声と低音の間がびっしり詰まった密集位置のハーモニーを好んだが、モンクは内声を故意に抜かすのが好みだった。
…作曲家としてのエリントンとモンクを考えてみても、両者の「個性」の違いが一層際立ってくるだろう。エリントンの曲は、「調性」が危なくなるぎりぎり手前に踏みとどまっていたが、モンクの曲はそうではなく、向こうまで踏み込んでしまっている。・・・「パノニカ」では、ツー・ファイヴ(というのもエリントンの曲ではめったに使用されない進行だ)が、故意に異なる調に解決されるし、「エピストロフィ」では、コードは調性を確立させるための要素ではなく、サウンドを面白くするための装置にすぎない。簡単に言ってエリントンは、あくまでオーケストレーションの中で調性を揺らすことを企んだのに対し、コンボ編成での演奏を中心としていたモンクは、曲のハーモニーとメロディーの関係から調性を揺れ動かそうとしていたといえるだろう。
両引用ともに同書の「エリントンとモンク ミュージシャンが影響を及ぼし合うことをめぐる神話」から。
まったくそのとおりだと思う。
管理人はエリントンもモンクも愛して止まないが、両者が似てると思ったことは一度もない。
「似てる」なんて言う人は、たぶん」両者のヘンなタイム感をざっくりまとめて「似てる」としてるのだろう。
もう、そろそろエリントンとモンクをまとめるのは止めませんか?
エリントンとモンクについては、管理人はこの本以上のことは書けそうにないのでここまで。
後は同書をどうぞ。
さて、エリントンもモンクも、多くのジャズのスタンダードを書いた。
ならばいっそのこと、同時にこの2人に立ち向かったらどうなるか。
まとめてカバーした、こんなものもある。
Howard Rileyのピアノソロによるモンク&エリントン曲集。
ディスク2枚組、全21曲(Recorded at Greenholme Studio, London, 1993-02-04 (Disc 1), 1994-02-16 and 1994-02-23 (Disc 2)
聴いてみたいような、聴くのが怖いような…。
(2016. 1)
【参考文献】
・村上春樹 編集・翻訳『セロニアス・モンクのいた風景』