(Charles Melvin "Cootie" Williams / July 10, 1911 - September 15, 1985)
【在団期間: 1929-40、62-74】
エリントンオケを代表するプランジャー・ミュート職人。
バッバー・マイレイのポジションを引き継ぎ、
第1期コットン・クラブ時代からブラントン・ウェブスター・バンドまで、
エリントンオケのスタープレーヤーであり続けた。
クーティの在団期間は29-40年、62-74年。
なんと40、50年代の20年間はエリントンオケとは無関係の音楽生活を送る。
この「空白の20年間」に、クーティはベニー・グッドマンのバンドに移籍し、
自分のバンドを起ち上げたり、モンクの「'Round Midnight」のクレジットに名を連ねたりした。
リーダーとしてバンドをまとめることの限界を感じたのか、エリントンが異種格闘技戦を繰り広げる62年、
クーティは再び結局オケに戻ってくる。
エリントンオケ在団時が音楽的キャリアのアクメーである、というのはエリントニアンの悲しい傾向だ。
ホッジスにせよ、クーティにせよ、オケに戻るという行為そのことよりも、
自分の音楽的才能、リーダーとしての能力の限界を認めることが辛かったのではないだろうか。
ホッジスと同じく、オケに戻ってからは再び独立することはなく、エリントンの死後まで在団し続けた。
この姿勢からも、両エリントニアンの諦念と覚悟がうかがえるのである。
さて、クーティの最もブリリアントな時代はもちろん30年代なわけで、
再発CDやダウンロード音源などで入手しやすくなったとはいえ、いきなりは手に取りにくい、というのも事実。
再入団後のクーティについては、30年代の全盛期を知っている人からは評判が悪いが、
リードセクションの次に個性的な面々が並ぶトランペットセクションにおいて、確固たるポジションを専有した。
「Tutti for Cootie」「Concerto for Cootie (Do Nothin' Till You Hear from Me)」のメドレーは、
60年代ライブの定番レパートリーだった。
音楽を離れた話をすると、
クーティといえばウィリアム・クラクストンのこの写真が有名だ。
写真としての構図も決まっていて、オフステージのミュージシャンの静かな興奮が伝わってくる。
この写真を見るたびいつも思うことだが、後ろの男は何者で、何がしたかったのだろうか?
この男がいなければ、もっと完成度が上がって歴史的な1枚になりそうな予感がするものの、
この男の存在が写真に奇妙な「華」を添えているようでもあり、何か心に残る1枚となっている気もするのである。
最後に。
どうでもいいトリビアだが、クーティの誕生日はリー・モーガンと同じだったりする。
(Lee Morgan, 1938-72)
Happy Birthday, Lee & Cootie !