(Harold "Shorty" Baker / May 26, 1914 in St. Louis, Missouri – November 8, 1966, New York City)
在籍期間: 38, 43, 46-51, 57-59, 62年
デュークは常に自分のまわりに自分の求める音を提供してくれるミュージシャンを揃えていたが、バンドはその奇癖と偏屈ぶりで有名だった。それは僕の聞いたかぎりではもう他に類を見ないようなものだった。トランペット・セクションの何人かは、何年にもわたって互いにただの一言も口をきかなかった。ショーティ・ベイカーが僕に一度こんな話をしてくれた。
「最初にバンドに入ったとき、連中は俺に一週間のあいだずっと間違った音を吹かせていた。譜面にいくつかの変更があることを誰も教えてくれなかったんだ! 変更を譜面にちょっとマークしておいてくれる人間の一人もいなかったんだ。トランベット・セクションはとにかく「隙あらば」という感じだったね。俺はそういう雰囲気にはどうしても馴染めなかったよ。故郷のセントルイスでは、ミュージシャンはみんな家族も同然だったからね。自分で知らずにドジ踏んでたりしたら、誰かがそっと耳打ちしてくれたよ」
サキソフォン・セクションもいろいろ大変だった。ベン・ウェブスターがある夜バードランドにデュークのバンドの演奏を聴きにきた。ベンはその何年か前にデュークのバンドを辞めていた。ボール・ゴンザルヴェスが、よかったらちょっと演奏していけよと誘い、ベンはポールの楽器を借りてステージに上がり、ジョニー・ホッジスの隣の席に座った。ホッジスは挨拶もしなかった。デュークが何をやりたいかと尋ねると、ペンは「アイ・ガット・イット・バッド」がいいなと言った。そしてそれはもう素晴らしく美しいソロを吹いた。その曲のあいだじゅうジョニーはベンの顔をぐっとにらみつけていた。
ペンがステージを下りたあとで、ポールが席に戻ってくると、ジョニーが憤然とした声で言うのが聞こえた。「あれは俺の曲だったんだぞ! あいつはあれが俺の曲だってちゃんとわかってやったんだぞ!」
(『ジャズ・アネクドーツ』、295-296頁)